• 公開日:2026.06.12
「水破産」時代に突入した世界 サプライチェーンに迫る不可逆的な水リスク
  • 眞崎 裕史
出典:『Global Water Bankruptcy』

河川や湖、湿地などの淡水生態系はいま、地球上で最も深刻な危機にさらされている領域の一つだ。WWFの報告書によると、調査対象となった淡水域の野生生物個体群は1970年から2020年にかけて平均85%減少したという。そのような中、国連大学水・環境・保健研究所(UNU-INWEH)は2026年1月、報告書『Global Water Bankruptcy』を発表し、世界が回復不能な「水破産」の時代に入ったと警鐘を鳴らした。

WWFジャパンとウォーター・スチュワードシップの国際規格を運用するAlliance for Water Stewardship(AWS)は5月25日、都内の国連大学で「『水破産』時代に求められるウォーター・スチュワードシップの実践」と題したセミナーを共催。水・生物多様性・気候変動が交差する課題がサプライチェーンを通じて企業の足元に迫る実態が示された。その内容を前編・後編の2回に分けて紹介する。

「水破産」とは何か

報告書を執筆したUNU-INWEH所長のカーヴェ・マダーニ氏が録画で登壇し、水破産を「再生可能な流入量および安全な利用量に対して持続的に過剰取水し、その結果、水関連の自然資本に不可逆的または法外なコストを伴う損失が生じている状態」と定義した。

カーヴェ・マダーニ氏

続けて、水破産の構造を家計に例えて説明した。「水資産」には2つの口座がある。河川や湖、湿地、積雪といった毎年再涵養(かんよう)される「当座預金」と、帯水層(地下水)や氷河という先祖から受け継いだ蓄えである「貯蓄預金」だ。これに対して、都市生活、農業、産業、エネルギー、データセンターといったあらゆる用途が「支出」として水を消費する。収入を上回る支出が長期化し、なおかつ自然資本に修復不能な損害が積み上がった状態。それが水破産だ。

では、これまで言われていた「水ストレス」や「水危機」とは何が違うのか。水ストレスは、限られた供給に対して需要が高まっているものの、管理や効率化によって回復が見込める状態を指す。一方、水危機は干ばつや洪水、汚染などで一時的に水資源のシステムが限界を超える状態で、緊急対応による回復が想定されている。これに対し水破産は、過剰な取水や水質劣化が長期化し、帯水層や河川、生態系に修復困難な損害が積み上がった状態を意味する。マダーニ氏は「危機ならばシステムを回復できるという希望のもとで緩和に努力できる。しかし水破産は、かつての『ノーマル』そのものが失われた状態であり、緩和に加えて適応が必要になる」と説明した。

量と質、両面の劣化が世界各地で

水破産は水「量」の問題にとどまらない。マダーニ氏は「量に加えて水『質』の劣化も進んでいる」と指摘する。

出典:『Global Water Bankruptcy』

水量の面では、インド・チェンナイで都市に水を供給する貯水池が枯渇し、米国のフーバーダムの貯水池であるミード湖も過去に歴史的な低水位を記録。水質の面でも、アジアの一部地域では水が存在していても汚染により利用できない状態が広がっているという。「人間が活動する場所で、この問題と無縁な地域はどこにもない。ただし、兆候や症状は地域ごとに異なる」とマダーニ氏。既存のガバナンスや国際アジェンダではもはや対処できないとして、2026年12月と2028年の国連水会議を転換点に据えるよう呼びかけた。

需要を押し上げるAIと移行鉱物

需要側の構造変化を浮き彫りにしたのが、国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)学術事業アドバイザーで早稲田大学教授の勝間靖氏だ。「先進工業国ではAIの利用拡大が水需要を押し上げ、開発途上国では鉱物資源開発が水需要を高めている」と強調した。

特に脱炭素化に欠かせない「移行鉱物」(リチウム、コバルト、ニッケル、銅、レアアースなど)の需要急増は、水への負荷と表裏一体である。リチウムは、塩湖のかん水を蒸発池にくみ上げて濃縮する方法で採取されることがあり、乾燥地域では水資源や生態系への影響が懸念されている。気候変動対策のために必要な技術が、別の水リスクを生み出す構造だ。

「より大規模に」繰り返される汚染

勝間靖氏

勝間氏は、日本初の公害事件である足尾銅山鉱毒事件(19世紀後半)から、現代のザンビア・カッパーベルト州の銅鉱山の環境汚染まで、構造的に同じ問題が「より大規模に」繰り返されている現状を示した。ザンビアでは鉱山廃棄物をためる尾鉱ダムが決壊し、報道によれば約5000万リットルの廃液がカフエ川に流出。住民の健康被害や漁業資源の損失、土壌汚染などが報告されている。

さらに、武装勢力の資金源となる「紛争鉱物」(スズ、タンタル、タングステン、金など)の問題や、コンゴ民主共和国のコバルト採掘、とりわけ零細・小規模採掘の現場では、児童労働を含む深刻な人権リスクも指摘されている。スマートフォンやEV、再生可能エネルギー機器に欠かせないこれらの素材は、日本企業の調達網と途上国コミュニティの水・人権リスクとつながっている。勝間氏は「われわれはユーザー側に立つことが多いが、それがどこから来てどのように採掘されているか、無関心であってはいけない」と警鐘を鳴らした。

「共通項」としての水の可能性

水問題は単独で存在しない。生物多様性および生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム(IPBES)が公表したネクサス評価は、生物多様性・水・食料・健康・気候変動の5要素が相互に連関し、ある要素の改善が、他要素との間でシナジーを生む場合もあれば、トレードオフを招く場合もあることを示している。マダーニ氏も「水を守るには、水と相互に連関する自然資本そのものを守らなければならない」と強調した。

一方で同氏は、水を「分断が進む世界に統一をもたらし得る希少なテーマ」とも位置付ける。政治的立場を超えて、誰もが重要性に合意できる数少ない領域だからだ。水破産を脱却した先には、水を気候変動対策や生物多様性の保全、砂漠化防止の全てを駆動する「機会のセクター」として活用するシナリオも考えられる。

ではこの水破産時代に、企業はどのような実践を行っているのか。後編では、ウォーター・スチュワードシップの国際的フレームワークと、国内外の企業による先進的な取り組みを紹介する。

<参照資料>

Global Water Bankruptcy: Living Beyond Our Hydrological Means in the Post-Crisis Era
https://collections.unu.edu/eserv/UNU:10445/Global_Water_Bankruptcy_Report__2026_.pdf

written by

眞崎 裕史 (まっさき・ひろし)

サステナブル・ブランド ジャパン編集局 デスク・記者

地方紙記者として12年間、地域の話題などを取材。フリーランスのライター・編集者を経て、2025年春からサステナブル・ブランド ジャパン編集局に所属。「誰もが生きやすい社会へ」のテーマを胸に、幅広く取材活動を行う。

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