
2026年7月14日、15日の2日間、熊本で「第2回グローバル・ネイチャーポジティブ・サミット(GNPS2026)」が開かれました。2024年10月のシドニーを引き継ぐ、アジアで初の開催です。私はこのサミットのアドバイザーの一人として、また後援団体である一般社団法人企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB)の事務局長として、2日間を会場で過ごし、いくつかのセッションに登壇もしました。
日本に生物多様性を巡る世界のトップがこれほど集まったのは、私の記憶する限り、2010年に名古屋で開かれた生物多様性条約(CBD)第10回締約国会議(COP10)以来のことです。そのCOP10で発足したのが「SATOYAMAイニシアティブ」でした。
それから16年を経て、日本は再び世界を迎え、「里山」を、今度はまったく新しい文脈で世界に打ち込むことになりました。この符合には、後で触れます。開催前の予告編では、言葉が抽象的な決意にとどまるのか、それとも測り、貢献を定量化するという具体へ踏み込むのか、そこに注目したいと書きました。まず、その問いに答えることから始めましょう。
はじめに事実を2点。開催前に最大の焦点と見られていた「自然の状態(SoN)」指標の完全版は、このサミットでは発表されませんでした。一方、最終日には「熊本宣言(The Kumamoto Ambition for a Nature-Positive Future)」が発表され、85もの組織が賛同・署名しています。うち約半数が民間企業です。第1回サミットが各国の任意ステートメントで閉じたのに対し、今回は地名を冠した一つの文書に、企業が名を連ねました。ここに局面の変化が表れています。今回のサミットは、確かに一つのマイルストーンでした。ただ、宣言が約束したのは方角であって、到達ではありません。強まったのはコミットメントであり、実行はこれからです。
なぜ「本当のサミット」だったと言えるのか
記録に値することが、いくつもありました。第1に、規模です。熊本という一地方都市に2725人が集まり、登録者の3分の2をビジネス・金融セクターが占めました。参加者の多くは日本人でしたが、上場企業のCEOが何人も登壇しています。生物多様性を経営者自身が語る光景は、日本ではこれまであまり見られなかったものです。
第2に、皇室から高円宮妃久子殿下が臨席されました。バードライフ・インターナショナル名誉総裁というお立場としてではありますが、皇室からのご参加が持つ重みは、決して小さくありません。
第3に、環境省をはじめとする省庁が共催者として名を連ねました。ただし、あくまで共催であり、大臣は登壇せずビデオメッセージにとどまっています。この距離感が、次に述べる「主体の転換」をよく物語っています。
第4に、生物多様性分野を実質的に牽(けん)引する国際的な団体のトップが、数多く顔をそろえました。これほどのリーダーが一堂に会する場は、生物多様性条約の締約国会議や国際自然保護連合(IUCN)の世界自然保護会議を除けば、めったにありません。日本で、日本の経済界を主要な担い手として、これが成立したこと自体が、記憶されるべき出来事です。
主体が、静かに入れ替わった
これまで、生物多様性を巡る意思決定の主体は、国家と国際機関でした。生物多様性条約がその典型です。ところが熊本宣言で前面に立ったのは、企業・金融機関・NGOであり、政府はむしろそこに乗る側へ回りました。この事実が、転換をよく象徴しています。宣言が冒頭に掲げた「社会全体を巻き込むアプローチ(whole-of-society approach)」は、理念としてではなく、会場の構成そのものとして現れていました。
転換は、企業側の言葉遣いにも表れました。少なからぬ企業が、生物多様性を「環境保護や社会貢献ではなく、事業継続の問題だ」と明言しています。日本の文脈では、これは決して当たり前のことではありません。宣言が「コストではなく投資」と書いたその言葉を、経営者が自らの言葉として引き受け始めた。ここに、最も実質的な前進があります。
宣言が踏み込んだこと、とどめたこと
熊本宣言は8つの核心要素を掲げました。そのうち、日本の実務にとって重みを持つものが2つあります。

1つは、ミティゲーション・ヒエラルキー(回避・最小化・復元・代償の優先順位)を、全ての企業に適用するよう求めたことです。まず悪影響を回避・最小化し、次に劣化した陸域・海域の回復と再生に寄与し、避けられない影響の代償は最後の手段とする。宣言はこれを丁寧に説明しています。日本では、この考え方は残念ながらまだ根付いていません。それだけに、宣言がこの原則をはっきりと記したことは、この言葉の重みをしっかりと伝えることになりました。
もう1つは、「里山」への言及です。里山は、日本が2010年のCOP10でSATOYAMAイニシアティブとして世界に送り出した概念であり、以来16年、国際的な語彙として流通しながら、実態としては長く空洞化してきました。担い手が消え、生態系としても経済としても機能を失った地域が、少なくないからです。それを「成功例」として掲げることには、私は慎重であるべきだと考えてきました。世界に打ち込んだ当の日本で、里山が生きていないのですから。
しかし今回、里山は「公正な移行(Just Transition)」の文脈で語られました。これは意味が違います。公正な移行という言葉は、もともと脱炭素で職を失う労働者をどう支えるかという、生計の問いから来ています。里山をこの言葉の下に置いた瞬間、それは「守るべき過去の叡智(えいち)」から、「担い手が生計を立てられる仕組みを、これから作らねばならない場」へと、時制が未来へ反転します。里山が初めて、生きたものになり得る機会を得た。そう評価してよいと思います。ただし、それはあくまで機会であって、達成ではありません。誰が、どの財源で、どのような対価の設計で担い手を支えるのか。その問いは、手つかずのまま残されています。
残された最大の宿題
思想としての合意は、明確に成立したと言えます。ネイチャーポジティブを経済と社会の基盤に据える。この方向について、会場に異論はありませんでした。しかし、肝心の中身は、熊本では出てきませんでした。主催者であるネイチャーポジティブ・イニシアティブ(NPI)の中心的な成果物であるSoN指標の完全版が、公表されなかったのです。
会場で共有されたのは、最終ドラフトと、それに基づくパイロットの報告までです。完全版は2026年内の公表が予告されましたが、当初の予定からは後ろ倒しになっています。宣言は「標準化され、科学的根拠に基づくと同時に、実用的かつ意思決定に役立つ指標」への動員を掲げました。ところが、その指標そのものがまだ手元にない。測定の方角は示されましたが、測定器はまだ届けられていないのです。何をもってネイチャーポジティブと言えるのか。その判定基準も、測定方法も、いまだ空欄のままです。
もっとも、実際にパイロットへ参加した企業が、その経験を会場で共有したことには、確かな意義がありました。2日目午後のセッションでは、指標を現場で試した企業が、その手応えと難所を率直に語っています。指標を机上の理念としてではなく、現場で使えるかどうかという実務の水準で検証する。その営みがすでに始まっていることは、確かな足がかりと言えるでしょう。
コミットメントから、実行へ
今回のサミットの見どころの一つは、「コミットメントから変革へ」、すなわち「実行」でした。では、結果はどうだったか。コミットメントは、確かに強まりました。企業が自らの言葉で生物多様性を事業の問題として語り始め、85もの組織が宣言に署名しています。けれども、変革そのものはまだ始まっていません。SoN指標は未完成のまま、里山の再興は設計を欠いたまま、ミティゲーション・ヒエラルキーは国内での制度化を待ったまま、10月のCOP17(アルメニア・エレバン)へと引き継がれます。

宣言は、「人々にポジティブな未来を実現する唯一の道は、ネイチャーポジティブな未来を築くことである」という一文で締めくくられています。ネイチャーポジティブを、それ自体を目的とするのではなく、人が尊厳をもって生きられる未来のための道として位置付けた一文です。この順序は、正しいと思います。けれども、道が正しいことと、その道をきちんと歩けることは、別のことです。問われているのは、宣言でも主催者でもありません。この宣言に賛同した、私たち自身です。
冒頭で触れた符合に、最後に立ち返ります。2010年のCOP10で、日本はSATOYAMAイニシアティブを世界に送り出しました。あのとき私たちは、世界に里山という概念を贈ると同時に、その里山を自国で生かし続けるという宿題を背負ったはずでした。その宿題を、正直なところ、16年間果たせずにきました。そしていま熊本で、日本は再び世界を迎え、里山を「公正な移行」という新しい文脈で打ち込むことに成功しました。
けれどもそれは、同時に、より重い宿題を背負い込んだことを意味します。里山を、今度こそ言葉ではなく、担い手が生計を立てられる現実の仕組みとして立て直すこと。ネイチャーポジティブを、標語ではなく、測り、実行できるものにすること。16年前に果たせなかった宿題の上に、私たちは新しい宿題を積み重ねました。それを果たせるかどうかが、熊本を本当のマイルストーンにできるかどうかを決めるのだと思います。

足立 直樹(あだち・なおき)
サステナブル・ブランド国際会議 サステナビリティ・プロデューサー / 株式会社レスポンスアビリティ代表取締役
一般社団法人企業と生物多様性イニシアティブ理事・事務局長。東京大学・同大学院で生態学を学び、博士(理学)。国立環境研究所とマレーシア国立森林研究所(FRIM)で熱帯林の研究に従事した後、独立。2006年にレスポンスアビリティを設立し現在に至る。2008年からは企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB)事務局長も兼務。













