• 公開日:2026.07.02
山梨の廃校を映画館に。元Netflixディレクターが叶えた、小さくも確実な経済のかたち
  • やなぎさわ まどか

ハリウッドでのキャリアから、山の上の映画館へ──。2026年3月に誕生した、山梨県上野原市のミニシアター「CineYama(シネヤマ)」へ足を運ぶ人が増えている。映画館離れや倍速視聴が語られる時代に、あえて都市部から距離のある場所を選んだのは、どのような背景があったのか。効率だけでは測れない体験価値と、地域に根差した新しいビジネスのかたちを探るべく、オーナーのマシュー・ケルソンさんを訪ねた。

ミニシアター「CineYama」オーナーのマシュー・ケルソンさんは、アメリカ出身

山道を進んだ先に見えてくる、広々とした空間。三角屋根を乗せた平屋造りは、背後の自然と溶け合うようにゆったりと構えている。庭では小さな子ども連れの親子や、大学生と思われる若者たちがくつろぎ、受付では年配の男性が上映チケットを買っていた。

CineYamaのオーナー、マシューさんは4年ほど前からこの町に住んでいる。その前は東京の世田谷に約2年間住んでいたという。日本に移住した理由を尋ねると、よく知る社名が飛び出した。

「Netflixの社員として東京に来ました」

なぜ今この町に映画館を作るに至ったのか。その背景を知るために、映画にまつわる彼の原体験をさかのぼる。

4歳、映画との出会いはVHS

ワシントンDCで生まれた後、デトロイトへ。フォードやGMなど、かつてはアメリカを発展させた自動車産業誕生の街も、マシューさんが生まれた1980年代はすでに荒廃が目立っていた時代。マシューさん自身は比較的安全な郊外で育ったが、デトロイト市内は空洞化が進み、まだ暗さが漂っていた。

母は障がいをもった子どもたちを指導する公立校の教師、父は国際ビジネスを教える大学教授、母方の祖父はミシガン州の判事だった。祖父は日系アメリカ人の人権を支援し、第二次世界大戦中に強制収容されたことに対する謝罪と補償を求めた裁判も支援したため、日系アメリカ人のコミュニティから感謝の銘板が贈られるような人物だった。

幼少期の環境を「リベラルな家庭だったと思う」と振り返る言葉の通り、母からは個人の自由や権利の大切さを、父からは世界の広さと面白さを、祖父からは平等と多様性を重んじる価値観を学び、育んでいった。

また一家は夏になると毎年、ミシガン北部のコテージで過ごすのが定番だった。マシューさんが森や湖のある、自然のそばで静かに過ごすことが好きになったのはこの頃だ。では、映画との出会いはどうだったのか。

木々のトンネルのような道の先に、CineYamaの三角屋根が見えてくる

「4〜5歳の頃、両親がレイモンド・ブリッグズの『スノーマン』を見せてくれました。登場人物のせりふが一切なく、映像と音楽で進行するストーリーに夢中になり、VHSテープで何度も観たことを覚えています」

映画に魅せられたまま成長したマシューさんは、父からの勧めで『アラビアのロレンス』や『セブン・イヤーズ・イン・チベット』など、異国で生きる人たちを描いた壮大な作品に刺激を受けるようになる。大学生になる頃には、職業として映画に関わることを考えるようになっていた。

初めて訪れる人にもわかりやすい、ロゴマークの案内板が導いてくれる

売店から映写まで。映画に関わる全ての仕事を経験

大学生になったマシューさんは、ひとりの映画鑑賞者から、映画鑑賞という体験を届ける側にぐんと近づくことになる。最初の入り口は、デトロイト市内で小さな学習施設「デトロイト・フィルム・センター」を見つけたことだった。

「16ミリの映画制作や、新しい表現を試す実験映画、フィルムの映写技術など、映画にまつわるさまざまなことを教えてもらいました。夢中になって何年も通いましたね」

ほどなくしてデトロイト郊外にあるミニシアター「メープル・アート・シアター」で仕事を得た。案内係としてチケットをもぎるだけにおさまらず、実際の映写やメンテナンス、フィルムの組み方などを体得。映写技師としての腕も磨いていった。この実績から、デトロイト市内に新たな映画館をつくる話が飛び込んだ。

「バートン・シアターという映画館を、友人3人と共同設立しました」

2009年、マシューさんを含む創設メンバーの4人は、廃校だった場所を生かし、100席ある映画館「バートン・シアター」に変身させた。デトロイト市内に暗さが残る時だったからこそ、近隣の学生をはじめとする地域の人々は映画館の完成を喜び、満席になることも多かった。

映写だけでなく、上映作品の選定や、スケジュールの設定、駐車場の警備、売店で販売する商品の発注まで。映画という体験を届けるために、必要な仕事は全て担う。忙しかったが、映画館の誕生が喜ばれたことが大きな励みとなっていた。

日当たりや風通しの良いCineYamaでは、撮影用などの目的で場所のレンタルも受け付けている

しかし残念ながら、施設のリース契約の都合上、バートン・シアターは2011年に閉館を余儀なくされてしまう。喪失感を抱えつつ、マシューさんはデトロイトを出ることにした。新たな拠点はアメリカ西部のロサンゼルス。言わずと知れた、映画の都である。

デジタル配信時代のはじまりに、東京へ

「バートン・シアターで上映していた作品の多くはロサンゼルスに配給会社があったので、つながりのある先を回れば仕事があるだろうと考えていました」

すぐに、LGBTQ+やアートなど作家性の高い作品を配給する「ストランド・リリーシング」に入社し、デジタル配信のディレクターとして職を得た。時はデジタル配信が幕を開けたばかりの頃。協働先は、iTunesやHulu、そしてNetflixだった。

「関係性ができたことで、数年後にNetflixに転職しました。当時はまだ他社のコンテンツを配信するだけでしたが、国際展開が始まったばかりでとにかく仕事量が多く、スタッフが増えても常に人手不足。忙しくてストレスフルでしたが、毎日エキサイティングな日々でした」

ロビーのテーブルは、映画のフィルムリールが再利用されている

マシューさんはプロダクトチームとして、新しい展開先の国に合わせたアートワークのローカライズを担当する。ハリウッドを拠点に毎月どこかの国を訪問し、各国のクリエイターたちと出会える刺激的な仕事だった。2019年頃のある日、上映チームがアジアで役職を拡大するという社内求人に触れた。東アジアやインドを担当するポジションで、生活拠点は東京とあった。

「日本が大好きだし、日本で映画を広める仕事をした経験もある、と自薦し、異動が決まりました」

Netflixに転職する前、配給会社にいた頃には日本のJETROを通じて東京国際映画祭に参加したほか、映画館の仕事でも、日本の配給会社とビジネスの経験を積んでいた。もっと時代をさかのぼれば、中学生の頃には奨学金を得て、愛媛県でホームステイと短期留学も経験している。こうして2020年1月、妻と幼い子どもたちと共に、東京に拠点を移した。

「東京に住みながら、1カ月の半分くらいは海外にいました」

突然の解雇。でも「まだこの町にいたい」

忙しくも華やかで、多様な才能に出会える映画業界の仕事にやりがいを感じる一方、心の片隅には、常に灯し続けている思いがあった。

「自分の映画館を運営する。その夢を諦めたことはありませんでした。いつか必ず、また自分の映画館を始めたい。ただ、正しいタイミングを見誤りたくない、と考えていました」

2020年といえば、世界的なパンデミックが起きた年。移住早々、全てが止まり、都心の暮らしに窮屈さを感じるようになる。小さな娘たちにも、自分自身が幼少期に親しんだような、自然豊かな広い場所で思い切り遊んで欲しかった。YouTubeで発信しているドイツ人男性をきっかけに、山梨県上野原市を定期的に訪れるようになっていく。

座りやすく快適なCineYamaのシート、全43席。夜の森を思う落ち着いたカラーリングの空間

「すぐにこの地域が好きになりました。気持ちの良い場所がたくさんあって、人もみんな優しい人ばかりです。アメリカ人の感覚でいえば、都心から1時間の距離はほんの郊外。実際ここは辺鄙(へんぴ)な田舎ではなく、必要な時には都市生活と十分つながれる町です」

家族で上野原に引っ越すと、思いがけないタイミングで、人生をかけた決断の時が来た。

「パンデミックをきっかけに、会社のチーム全体が大きく体制を変えることになりました。私も解雇される一人となり、アメリカに戻ることを提案されたんです」

妻と話し合うと、ふたりともまだ始まったばかりの上野原での暮らしを諦めたくない気持ちがはっきりした。「よし、ここで映画館をやろう!」。眠らせていた夢を、思い切り解放することにした。娘たちにも、夢を追いかける親の背中を見せたかった。

CineYama名物、有機栽培のポップコーン。その日の分を毎日手作りしている。ドリンクメニューも充実

「一目で恋に落ちた」元幼稚園校舎との出会い

この時期、大切な出会いが続く。ひとつは市内で古い蔵を改装したカフェ「ハシドイ」を経営する水越彩荷さんだ。地元出身の彼女は地域のことに精通しているだけでなく、情報の集まるハブ的存在。しかも映画ファンだった。続いて、地域の食材を使った優しいアイスクリーム「MOMO icecream」を経営する飯田知子さんも、市内に映画館ができることを歓迎し、多忙ながらも協力を惜しまなかった。

ふたりの地域事業家から紹介されたのは、隣市でオーガニックの花卉栽培を行う「four peas flowers」代表の三井聡子さんだ。彼女は農作業と並行して、日本語と英語の通訳者として実績が多く、偶然にもNetflixとの仕事も手掛けていた。新規事業立ち上げにまつわる手続きや行政とのやり取りなど、マシューさんのコミュニケーションを円滑にしてくれた。

「彼女たちのおかげで地域の方々にもつながることができ、うまくできるかもしれない、という確信が持てるようになりました。MOMO icecreamの店舗では、プロジェクトを知ってもらうための上映会も開催し、初期段階からたくさんの人に認知してもらうこともできたんです。とても感謝しています」

そしてついに、決定的な出会いがくる。10年間も空き家のまま朽ちていた、元幼稚園の校舎に対面した瞬間だ。

「一目で恋に落ちました。春先だったので、桜が舞うドラマチックな風景も覚えています。頭の中ではすでに、この建物が映画館に変わるビジョンが見えました」

実際にはこの時、敷地内には雑草が茂り、あらゆるところがツル草に覆われ、錆びた屋根や傷んだ床など、かなり荒廃した状態だったという。同行した役場の担当者をはじめ、お化け屋敷状態の建物を目にし、マシューさんのビジョンを共有するのは難しかっただろう。それでもマシューさんは、「ジブリ映画の冒頭で出てくるような、お父さんが運転する車で森を抜けた先に開ける景色」を実感していた。

その後、同じ地域で多くの建築を手掛ける建築家・池辺潤一さんの協力を得て、リノベーション計画が確立。マシューさん自身も作業に参加しながら、映画館として再生されていった。

商業施設ではなく、視野を広げる場所に

CineYama全景。庭の遊具などは当時のまま生かしている。
「映画を観ないときでも庭でゆったり過ごしに来て欲しい」

いい映画体験を提供するために、機材にも余念がない。デジタル映写機を新たに購入すると同時に、フィルム映写機はアメリカから運び入れた。驚くことに、かつてデトロイトの映画館「メープル・アート・シアター」でマシュー青年が使っていた機材を譲り受けることができたという。

「アメリカから輸送するコストは掛かりましたが、私にとって思い入れのある映写機です。35ミリ上映を初めて学び、実際に映画館で自分も使っていた機材ですから」

映写機と一緒にアメリカから持ち込んだのは、スピーカーだった。アルテック・ランシングの「ヴォイス・オブ・ザ・シアター」、その名の通り“映画館の声”として知られる老舗ブランドの逸品だ。上部の大きなホーンと、その下の木製キャビネットにより、あたたかみのあるクラシックな音で再現される。さらにマシューさんは着席した観客の臨場感のため、スクリーンの上部から音声が聞こえることにこだわって設置した。体験の価値を上げる工夫は、映画への深い愛であり、スクリーンの影に隠されている。

マシューさんはこれからCineYamaを、多くの人に向けて開こうと考えている。高校生や大学生たちに向けた撮影ワークショップや、映像クリエイターたちの活動を応援する企画も進行中だ。また、幼児や赤ちゃんを連れて観られる「やさしい上映会」、逆に、親が映画を観ている間に子どもたちが庭でスケッチを学ぶ親子イベント、クラシックな名作映画の上映や、伊丹十三や小津安二郎といった昭和の日本映画の上映、さらにプライベートな貸切上映にも対応する。

「しばらく映画館に行ってなかった大人世代が来てくれることもうれしいし、小さな子が初めて映画館を体験する場になれることもうれしい。それと、まだ日本に届いていない素晴らしい作品をもっと広げるために、自分で配給も始める予定です」

どういう場所でありたいか、上映作品はその意図をもって選出されている。CineYamaにおいて映画館は商業施設ではなく、地域に根差し、個人の視野を広げる場でありたいと語る。

「映画は、世界の見方を広げてくれるものです。それは、山も同じ。山に登るとより高く広い視点を得て、遠くまで見ることができ、それが自分と世界のつながりを知る手助けになりますよね。CineYamaもそういう場所でありたいです」

(撮影:森本絢)

written by

やなぎさわ まどか

ライター/コピーライティング/翻訳マネジメント

生活者と社会課題の接点に関心を持ち、専門家や実践者などを取材。主なテーマは食・農・環境・ジェンダー・デモクラシー・映画・禅など。東日本大震災をきっかけに街から山間部へ移り、環境負荷の少ない暮らしを実践中。趣味は田畑と季節の手仕事。心の機微に気付ける書き手であることを願い、愛猫の名前は「きび」。株式会社Two Doors代表。

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