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かつての姿をそのまま保存する世界遺産とは異なり、環境の変化に適応しながら進化を続ける「生きている遺産」。それが農業遺産(※)だ。日本は世界農業遺産の認定数で世界2位を誇る。だが、認定を取ったまま生かしきれていない地域も少なくないという。和歌山県の世界農業遺産「みなべ・田辺の梅システム」の地で「梅収穫ワーケーション」を仕掛け、都市部の働き手と農家をつないできたのが、ウェルビーイング推進の第一人者・島田由香氏だ。人が関わり続けることで農業遺産はどう生きるのか。実践者に聞いた。
| ※)農業遺産:社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた、独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、景観、生物多様性などが一体となったシステムを認定する制度。国連食糧農業機関(FAO)が認定する「世界農業遺産」は世界29カ国104地域、日本では17地域が認定されている(2025年11月時点)。 2016年には農林水産大臣が認定する日本独自の「日本農業遺産」も創設。世界農業遺産の5つの認定基準に加え、「変化に対するレジリエンス(回復力)」「多様な主体の参画」「6次産業化の推進」という日本独自の3基準を設けており、全国28地域が認定されている(2025年1月時点)。 |
一般社団法人日本ウェルビーイング推進協議会 代表理事 / YeeY 共同創業者・代表取締役 / 武蔵野大学ウェルビーイング学部教授
「みなべ・田辺の梅システム」との衝撃の出会い
――島田さんと世界農業遺産の出会いは、みなべ町の方々との懇親会だったそうですね。そこから収穫を手伝いながらテレワークを行う「梅収穫ワーケーション」、通称「梅ワー」の発想に至った経緯を教えてください。
初めて和歌山に足を踏み入れたのは2019年12月のことで、まず白浜に魅了されました。羽田空港から1時間ほどで行けることを知らなかったんです。白浜町役場の方が「地域は広域で連携するのがいい」と声をかけてくださり、みなべ町に連れて行ってくれたのが2021年の暮れのことでした。
地元の民宿での小さな飲み会に集まっていたのは、梅加工業者の3代目ら30〜40代の6人ほど。そのうちの一人が、能登の塩とみなべの梅で漬けた梅干しを見せてくれて、「世界農業遺産同士の結び付きで企画した」と言うんです。「世界農業遺産って何ですか」と、私はそこで初めてその存在を知りました。

その場で調べてみて衝撃を受けました。こんなすごいものがみなべ町にあるという驚きと、40数年生きてきて自分が全く知らなかったという驚きです。同時に、皆さんがみなべ町の未来を考えた時に気になっている事をいくつか話してくれました。
認定に向けて頑張ったのに、取っただけになってしまっている。コロナ禍で海外からの働き手も帰ってしまい、梅の収穫期に時給を2倍にしても人が来ない。それなら「東京に人が余っているから、連れてきてワーケーションしながら梅作業をしよう!世界農業遺産についても知ってもらういい機会になるはず!」と提案しました。農作業への「没入」が人に良い効果をもたらすことは分かっていましたから、絶対にうまくいくと思いました。それから6カ月後の2022年6月に、最初の梅ワーを実施しました。
――すごいスピード感です。行政主導ではなく、民間から始まった取り組みという点も特徴的ですね。
ポイントは3つあって、一つは違う自治体である白浜町の人がみなべを教えてくれたこと。2つ目は、最初につながった人たちが地域の未来に前向きだったこと。諦めや文句ではなく「ここにはこんないいものがあるのに」と語っていました。3つ目は、アイデアばかり出す私に「NO」と言わなかったことです。
「後ろを見るな」 梅畑で学んだ経営の極意
――みなべ・田辺地域は梅の生産量日本一を誇ります。薪炭林(しんたんりん)に生息するニホンミツバチが梅の受粉を担う、400年以上続く農業システムが評価されました。実際に現場へ入り、農家の方々からどんなことを学びましたか。
人事の極意も経営の極意も、一次産業の生産者さんから教えてもらっていると感じています。例えば、完熟して落ちた梅をタモですくい上げていく作業があります。夢中で拾ってきれいになった場所を振り返ると、また梅が落ちている。戻ってすくおうとしたら「後ろを見るな、前だけ向いていればいい」と言われたんです。戻るのは無駄、そこは明日でいい、今できることをとにかくやるんだ、と。私たちは仕事で「取りこぼしがないか」「全部網羅したか」に終始しがちですが、「今必要なことは何か」を突きつけられました。「梅は待ってくれない」という言葉も忘れられません。

もう一つは、いちいち教えないことです。素人でも「やってごらん」と任せてくれる。でも放ったらかしではなく、ちゃんと見ていてくれる。そして作業後は、農家さんが心から感謝してくれるんです。「自分も役に立てるんだ」と思えて、みんな元気になって帰っていきます。普段のオフィスワークではなかなか得がたい感覚だと思います。
――農家の皆さんがそうした営みを守り続けてきた背景には、土地への深い思いもあるのでしょうね。
今の梅畑の多くは、3代〜5代前から受け継がれてきたものです。農家さんは必ずと言っていいほど「おじいちゃん、ひいおじいちゃんが開拓した土地だから」と口にされます。先祖への尊敬の気持ちと、その土地を簡単には離れられないという思い。つらい年があっても、手をかけた分だけ梅が応えてくれるという実感がある。梅を軽んじるような言葉や、ご先祖さまに対してネガティブな発言は一度も聞いたことがありません。
収量激減 気候変動を「体で」知る
――一方で今年、みなべの梅は記録的な不作に見舞われたと聞きました。
激減です。前年夏の少雨、冬の気温が高く不完全花が多く咲いてしまったこと、そして受粉を担うハチの数が例年よりかなり少なかったこと。これはやはり、気候変動の影響と考えざるを得ません。私は和歌山に行っていなかったら、気候変動は頭の中だけの理解で終わっていたと思います。海水温が上がっている、季節外れのひょうが降ると、頭では知っている。でも今は体で分かるし、農家さんがどれだけの思いで作っているかが分かる。だから、関わるみんなでひょう対策の設備を考えて作ってみようという動きも始まっています。
梅は日本の文化です。日の丸弁当と言われるくらい、お米と梅干しは私たち日本人のソウルフードになっているのですから、これがなくなっていくとしたら大変なことです。一粒の梅でも守っていけるように、どうにかしなければいけない。
――厳しい状況でも、梅ワーに関わる農家さんは前向きだそうですね。
ウェルビーイングの観点では「学習性楽観主義」といえる状況が梅ワーに関わってくださる農家さんには起きていると感じます。暗くなってしまうような状況でも「前を向いていこう」という姿勢は学んでいける。逆に「やっても意味がない」という無力感がまん延すると、農家さんはやる気が削がれていきます。実際、不作が続いてこの数年で辞めた方もいらっしゃると聞きます。でも一緒にやっている農家さんは「以前は60歳でもう無理だと思っていたけど、みんなが来てくれて自分のウェルビーイングが上がっているから、85までやる」なんて言ってくれるんです。
今年は不作だからこそ、参加者みんながネットの間に落ちた一粒まで手を伸ばして拾いました。それを見た農家さんが、涙を流して「自分が育てたものをここまで大事にしてくれてうれしい」と言ってくださった。すごくうれしかったですね。
農家の6月が「一番楽しい月」に変わった
――梅ワーは初年度の30日間から、現在は5月から7月上旬までの約70日間に拡大し、今年で5年目になりました。参加者と受け入れ農家、双方のウェルビーイングを高めているそうですが、効果が大きかったのは意外にも農家側だったとか。
参加者のウェルビーイングが向上することは確信がありました。でもそれ以上に驚いたのは、農家さんが「楽しい」「僕たちも成長させてもらっている」と言ってくれたことです。初年度の後、「農業をやっていて一番楽しい6月だった」と言ってくださって、思わず泣いてしまいました。それまでの6月は、一年で最も大事な収穫期なのに、あまりに大変なためにつらい時期だったそうです。そこに梅ワーで毎日いろいろな人が入ったことで「明日は誰が来るかな」と楽しみになった。今では22軒の農家さんとつながり、参加者のリピーター率は約3割。初対面同士が仲良くなって、グループでまた来てくれたりもしています。

――島田さんは元ユニリーバ・ジャパンの取締役人事総務本部長として、場所や時間にとらわれない働き方「WAA」を推進されてきました。そうした経験から生まれたのが「一次産業ワーケーション」という枠組みで、三重のみかん収穫や能登の林業にも展開されていますが、業種を超えた共通の効果をどう見ていますか。
ウェルビーイングを高める5つの切り口「PERMA(パーマ)」でその効果を説明することができます。ポジティブ感情(P)、没頭・没入(E)、関係性(R)、意義・意味(M)、達成(A)の頭文字で、一次産業ワーケーションを行うと、この全てが上がるんです。自然の中での喜び、作業への没入、農家さんや参加者同士のつながり、感謝され役に立っている実感、そして目の前でどんどん収穫が進む達成感。数時間でこれだけの達成感を味わえる仕事は、なかなかありません。
「体験」ではなく「貢献」でつながる
――その知見を体系化したのが、企業の人材育成と地域をつなぐ研修プログラム「TUNAGU」ですね。2023年に始まり、これまで約100人が受講。継続する企業も増えていると聞きます。
TUNAGUには2つの軸があります。一つは、その地域の一次産業に「体験」ではなく「貢献」をすること。梅収穫体験ではなく、本当に農家さんが助かる作業をするんです。もう一つは、地元の方と交流する接点を必ず設けること。ただし「課題解決しに行きます」ではないんです。実はそれは余計なことなんです。来てくれて、一緒に作業してくれて、農家さんの現状を知ってくれて、また来てくれる関係性こそ地域はうれしい。滞在するうちに「この農家さんの困り事を何とかしたい」という気持ちが自然に生まれ、それがプロジェクトになっていきます。

自然の中に身を置くと、見える景色が変わります。景色が変わると意識が変わる。意識が変われば組織も変わっていきます。いきなり移住してほしいわけではないんです。都会に住んでいても、2〜3カ月に1回、自分の行ける地域があればいい。
関係人口という言葉も、本当の意味で使ってほしい。「一度来て終わり、参加者が増えました」ではなくて、本当につながることのできる体験をするから2回目、3回目があるんです。梅ワーをきっかけにSNSを始めた農家さんが、「台風の時に20人から大丈夫?と連絡をくれたんだよ」って、うれしそうに携帯電話の画面を見せに来てくれる。そういう本当の関わりを作っていくことが大切だと思っています。
――継続的な関わりが地域の文化をも動かした例として、日本で最初に世界農業遺産に認定された地域の一つ、能登の話も印象的です。
石川県能登町の神野という地区は、震災後も元気な数少ない集落の一つで、「TUNAGUが定期的に、続けて来てくれるから」と言ってくださいます。今年の夏には、地区の夏祭りを復活させて、キリコを出そうという動きまで生まれました。里山においてとても大事なお祭りです。関わり続けることが、文化の継承につながっていく一つの事例だと思います。
「ウォッシュ」では遺産は残していけない
――農業遺産地域と企業の関わりは、今後どうあるべきだと考えますか。
形骸化させたくないんです。「◯社が手を挙げました」と、数を求めて終わってしまってはいけないと思っています。本気の会社と本気の地域が結び付き、お互いに「ウォッシュ」ではないことをしていかないと、農業遺産を次の世代に残していくことは難しいと思います。何百年ものつながりで紡がれてきた知恵は、人とのつながり、土地とのつながりから生まれたものですから。
だからこそ、企業と地域をつなぐファシリテーターが必要で、そういう人を育てたくてTUNAGUを展開しています。特に農業遺産の地域にそういう人がいてくれたらいい。認定地域は5年ごとに有識者による活動状況のモニタリングを受け、取り組みの見直しを行います。その時になって慌てるのではなく、日々活用して、人の動きも経済の動きも知恵の動きもある状態にしていくことが大切です。
琵琶湖から始まる、地域と企業の交流
――9月9日には滋賀県大津市で、農業遺産オフィシャルサポーター「農業遺産地域と企業の交流イベントin琵琶湖」が開かれます。
琵琶湖と共生する農林水産業のシステムを持つ滋賀は、認定が比較的新しい地域です。だからこそ、10年たった地域とは違う発信ができるのではないでしょうか。こうした場が地域に興味を持つきっかけになり、「行ってみたい」につながっていく。来てくれた人と、来てくれる地域とが本当につながっていく交流の場になるといいなと、心から期待しています。
| ▶︎「農業遺産地域と企業の交流イベントin琵琶湖」の詳細・参加申し込みはこちらから |

このスポンサー記事は、令和8年度農林水産省農山漁村振興交付金(地域活性化型)を活用して㈱プランドゥ・ジャパンが出稿しています。
眞崎 裕史 (まっさき・ひろし)
サステナブル・ブランド ジャパン編集局 デスク・記者
地方紙記者として12年間、地域の話題などを取材。フリーランスのライター・編集者を経て、2025年春からサステナブル・ブランド ジャパン編集局に所属。「誰もが生きやすい社会へ」のテーマを胸に、幅広く取材活動を行う。









