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「歩行も一つのモビリティ」ホンダ発の第1号スタートアップ、視覚障がい者向けの靴装着型ナビゲーション製品化へ

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脱エンジンを掲げる本田技研工業(以下、ホンダ)が新事業創出プログラムの第1号として設立したスタートアップ企業Ashirase(あしらせ、東京・西東京)は、視覚障がい者向けの靴装着型ナビゲーションの2022年度中の製品化を目指して本格稼働している。ホンダで自動運転システムなどの研究開発に携わった千野歩氏が、目が不自由だった高齢の親族の事故をきっかけに、視覚障がい者が安全に自立歩行することができる社会を実現したいという強い思いから起業したもので、このほどホンダと投資会社のリアルテックファンドから5000万円の資金調達を受けた。さらにAshiraseは視覚障がい者はもとより、誰もが好きなところへ自分の足で行くことのできるモビリティとしての“歩行”の可能性を広げることをミッションとしており、その挑戦が注目される。(廣末智子)

「自由な外出なんて諦めてしまっている」 現実にがくぜん

千野歩CEO

千野氏によると、事業のきっかけとなったのは、2018年に90歳を超えていた妻の祖母が、視力の衰えが原因で足を踏み外し川に転落して亡くなった事故。同氏はホンダの開発部門子会社である本田技研研究所でEVモータ制御や自動運転システムの研究開発に従事していたエンジニアだった。事故の以前にも点字ブロックの上に自転車などが止められ、白杖をついて歩く人が危険にさらされているというニュースに接し、点字ブロックの側から視覚障がい者に危険を知らせる仕組みを作れないかというアイデアを温めていたこともあって、視覚障がいのある人の自立歩行に向けた課題解決に取り組む決意が固まった。

それ以来、20代〜70代と年齢もさまざまなら、先天性の全盲の人、網膜色素変性症などで徐々に視野が狭くなっていくなど人生の途上で視力障がいと向き合わねばいけなくなった人、また全盲でも光は感じることができる人、あるいは全く感じない人と、障がいの度合いもさまざまな人と対話を重ねてきた。彼らが白杖を頼りに単独で歩行する際、毎回いかに大変な思いをしているか、またホームからの転落事故なども多く聞かれる中、彼らが「自由に外出するなんてとうに諦めてしまっている」と話すことにがくぜんとさせられ、ますますエンジニアとしての知見を生かして彼らの役に立ちたいという思いが募ったという。

ホンダは2017年から本田技研研究所の従業員を対象にアイデアや技術を育て、社会価値の創造につなげる新事業創出のプログラムを募集しており、千野氏もそれに応募、事業化が決まった。そこでエンジニア仲間の2氏とともに2018年12月に前身となる任意団体を立ち上げ。視覚障がい者に足元からの振動で安全なルートを伝えるシステムとして、靴に装着する形のIoTデバイスとナビゲーションアプリの開発に着手し、2020年9月には基本のプロトタイプが完成していた。その技術力と、視覚障がい者のために貢献したいという真剣な思いと行動力を評価したホンダが、それまで社内での事業化を基本としていたプログラムを2020年にはベンチャー企業化したのに伴い、今年4月、その第1号企業に選び、資本金250万円で設立したのが「Ashirase」だ。

アプリと靴に装着したセンサーが連携、ユーザーが直感的に理解できるよう足元から進路を誘導

開発中のナビゲーションシステム「あしらせ」は、スマホのアプリと、靴に装着するモーションセンサーの両方で、視覚障がい者の歩行をサポート。センサーは足の側面や前方などを振動させ、これによってユーザーに「ここで右に曲がる」というように進む方向を伝え、安全なルートに誘導する仕組みになっている。振動の位置とテンポの組み合わせにより、ユーザーが直感的に理解できるような形での情報通知が可能で、それによって、これまで視覚障がい者が歩行時に苦労していたルート確認をアプリに任せ、その分、白杖を持つ手や、周囲の音を聴くことによる安全確認に集中できるよう配慮されている。またデバイスはどんな靴にも使用でき、容易に取り換えることができるのも特徴だ。

『日本眼科医会研究班報告2006〜2008』によると、何らかの原因で見える範囲が狭くて歩きにくいといったロービジョン(「よく見える方の眼で矯正視力が0.1を超えるが、0.5未満」と定義されている)を含めた日本の視覚障がい者数は164万人にのぼると推定される。盲導犬は国内に1000頭程度しか存在しない。またガイドヘルパーは自治体ごとに利用制限が設けられているとともに、歩行支援では腕を掴むと“密”になってしまうことから、コロナ禍でヘルパーを辞める人が増えているといわれている。

千野氏によると、現行の「あしらせ」はロービジョンの人をいちばんの対象に考えている。これは、「ロービジョンの人の中にはなんとか自力で生活をすることができているが、会社などに盲導犬を連れて行くことはできない。このため単独歩行が避けられないにもかかわらず、歩行時は聴覚に頼ることが多く、そこに音声ナビなどを使ってルートの確認もしなければならないというのでは耳への負担が増えるばかりで、かえって不安を感じたり、危険に遭遇することが多い。そこで、ルート情報については足元に神経を集中することで不安を少しでも取り除き、外出が怖い、といった心理的な課題を感じなくていいようにしたい」と考えてのことだ。今回、5000万円の資金調達を受けたことで、2021年度中にも視覚障がい者に実際の生活の中で使ってもらえる最終仕様に近い試作品による実証実験を開始し、2022年度中には製品化して「手の届きやすい価格帯で必要な人に届けたい」という。目指しているのは「聴覚を妨げず、安全への余裕を持てる世界初のナビゲーション」だ。

歩行も一つのモビリティ 「人の豊かさを“歩く”で創る」

Ashiraseは「人の豊かさを“歩く”で創る」をミッションとしている。今後は視覚障がい者のサポートにとどまらず、アプリなどを通じて得た歩幅や歩行軌跡など人の歩行に対するさまざまな情報データと衛星データとを連携させて測位精度を向上させるなど、人の歩行やナビゲーションに対する価値を向上させるためのさまざまな技術開発と事業展開を進めていく方針だ。これについて、千野氏は「ホンダで次世代のモビリティ開発に携わる中で、歩くことも、自分の足で行きたいところに行くことができるという意味において一つのモビリティなのかなと考えた。人間が歩く速度は、匂いも含めていろんなものを吸収できる速度であり、歩くことで、五感全体を通じて世界との接点をつくることができる。病気の予防にもつながるし、好奇心や自立心や創造性を育み、もっと言えば、自分を好きになり、他者を尊敬できるマインドを養うことにも通じると思う」と話す。例えば自分の好みに応じた散歩コースに誘導してくれたり、地図がなくても目的地に着けるアプリの開発なども視野に入れているという。障がいのある人への貢献はもとより、さまざまな領域において“歩く”ことを通じた課題解決を目指すAshiraseの世界観。その技術力とテクノロジーの進歩により、本当の意味で世界が広がることを期待したい。

廣末智子(ひろすえ・ともこ)

地方紙の記者として21年間、地域の生活に根差した取材活動を行う。2011年に退職し、フリーに。サステナビリティを通して、さまざまな現場の当事者の思いを発信中。