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企業の人権・サステナビリティ担当者の方とお話する中で、最も頻繁に、そして切実に聞かれる悩みの一つ――それは、「経営層が人権への取り組みの重要性をなかなか理解してくれない」というものです。
「担当部署はたった数人。気候変動などに加え、人権の対応まで手が回らない」 「人手も予算も足りなすぎる」……そんな悲鳴に近い声が、多くの現場から聞こえてきます。
人権尊重の取り組みは、サステナビリティ部門だけで完結できるものではなく、全社的な連携が不可欠です。ですが、他部門に協力を仰いでも「忙しい」と突っぱねられてしまうことも珍しくありません。
こうした「縦割り」を突破し、全社一丸となって取り組むためには、経営トップの強力なコミットメントが不可欠です。「これはわが社 にとって最重要課題だ」という号令があれば、予算もつき、他部門も動きます。逆に言えば、経営層が本気にならない限り、担当者の孤独な戦いは終わらないのです。
経営層になかなか「人権尊重」の重要性が伝わらず、対応リソースも確保できない…どう伝えるべき?
では、どうすれば多忙な経営陣に、この「人権」というテーマに本腰を入れてもらえるのでしょうか。今回は、大きく分けて二つのアプローチを紹介したいと思います。イソップ寓話(ぐうわ)になぞらえるならば、「北風」と「太陽」のアプローチです。
「北風」のアプローチ――リスクをリアルに体感させる
経営者の頭の大部分を占める優先事項は、何と言っても「企業の存続」です。 いくら崇高な理念を掲げても、会社が潰(つぶ)れては元も子もありません。そのため、多くの経営者は「抽象的な理想論」ではなかなか動きません。ある意味で、それは経営者として正しい姿勢とも言えます。
そこで一つ目の方向性は、「取り組まなかった場合のリスク」を、背筋が凍るようなリアリティを持って実感してもらうことです。
「近年、人権リスクが高まっています」といった一般的な説明では不充分です。 経営層が「深刻な問題が顕在化したら、自社が本当に潰れるかもしれない」という一種の危機感、いわば「ヒヤッとする感覚」を持てるかが鍵を握ります。実際に、ここ数年で報じられた大手芸能事務所や大手テレビ局の不祥事などを目の当たりにし、急に自分ごとと捉え始めた経営陣も少なくありません。
そこでお勧めしたいのが、いわゆる「ホラーストーリー」の活用です。 同業他社や、自社と似たサプライチェーン構造を持つ企業で起きたリスク顕在化の事例を、具体的に集めて提示するのです。人権問題が明らかになったことによる炎上、不買運動、取引停止、株価の暴落、レピュテーションの失墜……。「他社で起きていることは、自社でも明日起こり得る」という事実を突きつけ、「未然に防がねばならない」と実感してもらうことが重要です。
また、社内で何度言っても響かないことが社外の専門家の一言であっさりと通る、というケースも時折あるのではないでしょうか。 説得に行き詰まった場合は、外部の力を借りるのも有効な手です。専門家を招いての講演や討議の場を設けることで、「世の中の常識はここまで変わっているのか」と外圧を感じてもらうことができます。
さらに、「人としての感情」に訴えることも忘れてはいけません。 私自身が経営層向けの講演を行う際、あえて児童労働や強制労働の過酷な実態を紹介することがあります。 多くの経営者には「自社の事業を通じて、社会や人々を幸せにしたい」という思いがあるはずです。「自分たちのビジネスの裏側で、こんな辛い思いをしている子どもがいるかもしれない」という現実に胸を痛め、認識を変えてくださるケースもあります。
「太陽」のアプローチ――事業へのポジティブな影響を示す
一方で、危機感を煽(あお)る「北風」だけでは人は委縮してしまうこともあります。そこで必要になるのが、もう一つの方向性、「太陽」のアプローチです。
それは、「人権対応は単なるコスト(守り)ではなく、自社の事業や売上にもポジティブな影響をもたらす(攻め)取り組み」だと感じてもらうことです。
本連載の第1回でも触れましたが、人権への真摯(しんし)な取り組みは、企業にとって多くのメリットをもたらします。ブランド価値を向上させるだけでなく、ESG投資や優秀な人材を呼び込むきっかけとなります。社会の中のさまざまな人権課題に向き合うことが、新たな事業の種になることもあります。
この「ポジティブな側面」を伝えることを目的に、例えば経営陣を巻き込んだワークショップを開催してみるのも一案です。単にリスクを洗い出すだけでなく、「自社が強みとする技術やサービスを使って、社会の人権課題をどう解決できるか?」「それをどうビジネスとして成立させるか?」をディスカッションする機会を設けるのです。

ただ座学で「人権とは」を学ぶだけでなく、自分たちの事業と絡めて「どう貢献できるか」を議論できれば、経営層にとっては有意義な時間になるはずです。ここでも重要なのは、理屈ではなく「実感」です。「人権対応は、新しい機会にもなり得るんだ」と前向きな思いを持ってもらえれば、その後のリソース配分や社内の雰囲気は大きく変わるでしょう。
経営陣を「本気」にできるかは担当者の腕の見せ所
人権対応を進める上で、「経営層の巻き込み」は避けて通れない、そして最も難易度の高いステップの一つです。
しかしここを突破できれば、その後の活動は一気にスムーズになります。 時には「北風」で危機感を刺激し、時には「太陽」で未来への希望を見せる。そのようにして経営陣の心を動かし、本気にさせることができるかが、担当部門や担当者の腕の見せ所と言えるかもしれません。
社内のリソースだけで戦おうとせず、外部の声や具体的な事例、そしてワークショップのような「体験」の場を上手く活用しながら、ぜひ経営陣の理解を獲得していってください。 その苦労は、必ず企業の持続的な成長という果実になって返ってくるはずです。
次回は、多くの企業が内心恐れるテーマでもある「取引先において人権侵害が発覚した時の対応」について考えていきたいと思います。

矢守亜夕美(やもり・あゆみ)
株式会社オウルズコンサルティンググループ 執行役員 / パートナー
A.T. カーニー(戦略コンサルティング)、Google、スタートアップ等を経て現職。東京大学法学部(公法コース)卒。現職では「ビジネスと人権」チームのリーダーを務め、多くの企業の人権・サステナビリティ対応を支援。 著書に『すべての企業人のためのビジネスと人権入門』(共著: 日経BP 社)がある他、経済産業省「ビジネスと人権」セミナー講師(2021年)、東京都人権プラザ主催「サステナビリティと人権」セミナー講師(2022年)等、登壇実績多数。 労働・人権分野の国際規格「SA8000」基礎監査人コース修了。












