
最先端技術と協働を通じて、人類が直面する重要課題の解決を目指す国際カンファレンス「Tech for Impact Summit 2025」(主催・Socious)が10月7日、東京都港区の虎ノ門ヒルズフォーラムで開かれた。注目のセッションの一つは、台湾初のデジタル発展部部長(大臣)を務めたオードリー・タン氏と、Socious創業者兼CEOの社会起業家、尹世羅(ユン・セイラ)氏による対談だ。約1時間にわたる対話では、社会の分断を乗り越えるための「Plurality(多元性)」の概念や、協働テクノロジーによる社会変革について、タン氏の個人的体験から政策実践に至るまで幅広く語られた。セッションの模様を詳報する。
幼少期からの困難と世界観の原点
尹世羅氏(以下、尹):まずは、あなたの世界観の原点を探っていきたいと思います。幼少期、心臓の病気を患っていたそうですね。どのように乗り越えられたのですか?
オードリー・タン氏(以下、タン):感情が激しく揺れると体調を崩してしまうため、意識的に「感情の振れ幅」を抑えるようにしました。本来、子どもは喜びや悲しみを極端に感じながら成長していくものです。その「感情の極端さ」を手放したことが、私にとっての犠牲でした。
尹:その経験は、現在の習慣にも影響を与えていますか?
タン:はい。毎日8時間はしっかり眠るようにしています。夢の中では現実を傷付けることなく、心の奥にある極端な感情を安心して味わえるからです。
尹:覚えている夢があれば教えてください。
タン:私はたいてい、翌日に起こることを夢に見ます。まるでリハーサルのようなものですね。昨夜もこの対談の夢を見ました。
「理解された」と初めて感じた瞬間

尹:あなたは「異なる立場にある人々が互いを理解し合えるシステム」を設計してきましたね。人生で初めて「誰かに本当に理解された」と深く感じたのは、どんな瞬間でしたか?
タン:4歳の時、医師が診断を告げました。この子が手術まで生き延びる確率は50%です、と。その「50%」という数字を聞いた瞬間、私は初めて「理解された」と感じたんです。それまでは、いつも不安の中にいました。寝ても目が覚めるかどうか分からない。感情が揺れるたびに気を失って、また目を覚ます。そんな日々を、言葉にすることはできませんでした。
尹:その経験から、私たちがデジタル時代に失いつつある「人間的なつながり」の本質について、何を学びましたか?
タン:「脆(もろ)さ(vulnerability)」です。医師が私の生存率を数値化した瞬間、私は50%生きていて、50%死んでいると自覚しました。12歳までに手術を受けて、今は元気ですが、それまでの8年間、私は常に脆さと共に生きていました。その脆さこそが、人と人を結び付けるものだと感じます。
もし誰とも関わらず、SNSを眺めながら投稿やリツイートをするだけなら、脆さは伝わりません。画面越しでは、人は傷付かないし、相手の痛みも感じにくい。だからこそ、SNSでは簡単に暴力的な言葉が飛び交ってしまう。一方で、対面の場では脆さが共有されるからこそ、信頼や協働が生まれる。それが、社会の「治癒」につながるのです。
未完成のまま公開する理由
尹:あなたの仕事は、信頼と合意形成を支えるプラットフォームづくりに基づいていますが、逆に、「信頼が壊れた」と感じた瞬間についてお聞きしたい。
タン:実は、最初に「つながり」を与えてくれた出来事、つまりあの診断の瞬間が、同時に「裏切り」を感じた瞬間でもありました。なぜなら、私はそこで初めて気づいたのです。両親は、私がこの病気を持って生まれる可能性を知っていたかもしれない。それでも「生む」という選択をした。つまり、私は「生まれること」そのものを選べなかった。
尹:その無力感や裏切られた感情を、どのように癒したのですか?

タン:「記録する」という習慣を持つようになりました。最初はテープレコーダーで、次にフロッピーディスクで。そして今では、日々学んだことをオンラインに公開する。毎晩寝る前に「今日の学び」をオープンデータとして共有します。もし翌朝、私が目を覚まさなくても、私の言葉や学びは他の人に使ってもらえる。それが私にとっての癒やしであり、「生まれて良かった」と思える証しなのです。
尹:「毎晩、記録を全て終えてから眠る」というのは、大変ではないですか?
タン:完璧主義を捨てることが重要です。「仕上げる」と聞くと、誰に見せても恥ずかしくない状態を想像するでしょう。でも私は違います。明日また目を覚ますなら、未完成でもいい。間違いがあっても、穴があっても、それが次の誰かの出発点になります。だから私は、未完成のまま公開するのです。完成品は人を「納得」させますが、未完成なものは人を「参加」させます。誰かが「ここは違う」と言って手を加え、議論が生まれ、学びが広がる。それこそが社会の協働の本質だと思います。
「不快だけど共感できる領域」が基盤に
尹:あなたが開発に関わった「Pol.is(ポリス)」は、対立を緩和し、共通点を見出すための優れたシステムです。しかし歴史を振り返ると、女性参政権や公民権運動など社会の大きな進歩は、急進的な少数派の行動から生まれています。「生産的な対立」はどのように守られるべきでしょうか?
タン:ポリスは架け橋(bridging)のシステムです。まず、意見分布の中で多数派と少数派を可視化します。次に、通常の多数決とは異なる第二のステップを導入します。多数決では、いつも多数派が少数派を上回るため、少数派の声を聞く必要がありません。でもポリスでは、賛同を広く得ることが目的です。
多数派の中にいる人々が自分の立場を少し動かし、「共通の地帯」を築けなければ、支持を広げられない。勝つためには、あえて「居心地の悪い領域」へ踏み出さなければならないんです。ポリスでは、千人が同じ意見でも1票にしかなりません。一方で、少数派の意見は多様であるほど重みを持つ。だから、多数派の側が変化しなければ橋は架からない。その結果、「不快だけど共感できる領域」が社会の共通基盤になります。
権威主義への対抗と「聴く力」
尹:民主主義の開かれた仕組みを悪用する「悪意ある参加者」にどう対抗すれば良いでしょうか?

タン:権威主義的なリーダーは、自分を「悪意ある存在」とは決して考えません。彼らは「善意で秩序を守っている」と信じている。「自由が混乱を生む」「民主主義は非効率で危険だ」と主張し、その正当化の下に言論や報道を抑圧します。新型コロナウイルスの流行初期、世界中でこの物語が繰り返されました。「民主主義国家はロックダウンもできないが、権威主義国家はできる。だからわれわれは優れている」と。
これに対抗するには、「耳をふさぐ」のではなく、「抗脆弱(anti-fragile)」な社会になることです。つまり、相手の語りを封じるのではなく、それを「民主主義が機能する証拠」で上書きする。台湾では、全員が感染症の知識を共有し、意思決定を可視化しました。それによって、「自由と共感を維持したまま危機に対応できる」という事実を示したのです。これは、対話を止めるのではなく、「聴く力」によって物語を変えるということです。
協働の失敗とその教訓
尹:あなたの哲学の中心にある「ラディカル・コラボレーション(徹底した協働)」が、逆に機能しなかったケースはありますか?
タン:2002〜2003年のSARS流行時がそうでした。当時の医療は地方分権型で、自治体や診療所がそれぞれ独自に運営していました。しかしSARSはあまりに速く拡散し、合意形成のスピードが追いつかなかった。各自治体の首長、厚生大臣、病院、医師…誰に聞いても違うことを言う。「多様な声」が、命を守る現場では混乱を生んでしまったのです。
尹:その失敗から何を学びましたか?
タン:台湾は集中指揮センターを設立しました。緊急時だけは中央集権的に判断を下し、各地の行政はそれに従う。でも、同時にフィードバック窓口を残しました。重要なのは「集中」と「分散」のバランスです。急性の危機(感染症や災害など)のときは、まず分散の拡大を止める。既にあるネットワークの結び付きを強化して、スピード優先で対応します。一方で、慢性的な課題(教育、格差、気候変動など)の場合は、危機が去った後に「再分散」を進める。現場で生まれた知見を中央に戻し、次の備えを整える。この「行ったり来たり」が、台湾の統治のリズムなのです。
保守と革新の両立――「対立を上向きの力に変える」
尹:ご自身を「保守的アナーキスト」と表現されていますね。保守と革新という相反する価値観の衝突についてはどうお考えですか?
タン:台湾で同性婚が議論になった時のことを思い出します。若い世代の多くは「二人の合意に基づく結婚であれば、性別は関係ない」と考えました。一方で、台湾社会には「家族同士の結び付き」「家系を継ぐ」といった伝統的な価値観も深く根付いています。
私たちは、そのどちらも否定せずに折り合わせる方法を模索しました。そして見いだしたのは、同性カップルに法的な権利と義務を与えながら、家同士の血縁的な結合は形成しないという形でした。それは、対立のエネルギーを単なる衝突ではなく、社会を“上”に成長させる力に変える試みでもありました。誰も「完全な敗者」にならず、社会全体が横ではなく「上」へと進む。
保守と革新の間を渡り歩くのは、存在しない綱の上を歩くようなものです。その綱は、一歩ごとに想像しながら、少しずつ自分たちで創り出していくのです。
信頼できるインターネットの構築
尹:サイバーアンバサダーとして、AIや情報戦の時代に「信頼できるインターネット」をどう守りますか?
タン:私たちが守るべきは「真実」ではなく、「信頼」だと考えています。真実は、視点によって変わる。でも、信頼は「異なる視点を持つ人が対話できる空間」そのものです。台湾では行政文書、データ、発言録、政策立案の過程まで全て公開しています。こうした透明性が「信頼の再生産」につながるのです。国民が意見を出せば、政府が回答し、修正が必要な部分は即座に反映する。つまり「信頼は参加から生まれる」のです。AIが生成した偽情報よりも早く、市民と政府が共同で「ファクト」をアップデートする。これが、民主主義時代の新しい情報戦です。
若者の政治参加を促す鍵
尹:多くの国で若者の政治離れが問題になっています。
タン:若者たちに伝えたいのは、「あなたがすでに政治の一部だ」ということです。政策は「投票の瞬間」に作られるものではありません。友達との会話、SNSでの共有、地域活動…。そうした日常の中に、既に政治が息づいています。
台湾でも若者の無関心は課題でしたが、ネット上で「楽しさ」を政治と結び付ける実験を続けた結果、10代・20代の投票率が大幅に伸びました。例えば、選挙啓発を「ゲーム化」して、自分の価値観に近い候補者を診断できるようにする。あるいは、政策討論をミームや動画で拡散する。「真面目」と「楽しい」を両立させることで、若者が「自分ごと」として関われるようになったのです。民主主義は「退屈な制度」ではなく、「遊び心のある共同実験」なのです。
尹:会場からの質問を受け付けましょう。

質問者:タンさんも孤独を感じることはありますか?
タン:もちろんあります。でも、それを「孤独」ではなく「静寂」と呼ぶようにしています。静寂は、外のノイズを遮断する時間。そこでは他者とではなく、自分自身と協働するんです。静寂の中で浮かんだ考えは、翌朝チームで共有し、議論します。つまり、孤独は次の協働への準備期間なのです。
尹:最後に、この対談を通して最も伝えたかったメッセージをお願いします。
タン:「私たちは、互いを変えずに理解できる」ということです。同意する必要はありません。でも、互いの世界をのぞき合うことで、多様性を恐れない社会が生まれる。それがPluralityの本質です。
尹:今日、あなたと過ごした1時間は、私にとって「静寂の贈り物」でした。心の中のノイズがすっと消えた気がします。
タン:私たちは、互いに学び合う存在です。この対話が、今日ここにいる誰かの新しい一歩になればうれしいです。

眞崎 裕史 (まっさき・ひろし)
サステナブル・ブランド ジャパン編集局 デスク・記者
地方紙記者として12年間、地域の話題などを取材。フリーランスのライター・編集者を経て、2025年春からサステナブル・ブランド ジャパン編集局に所属。「誰もが生きやすい社会へ」のテーマを胸に、幅広く取材活動を行う。