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北海道東川町、写真の力で町おこし アートを起点にした日本の地域創生

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コミュニティ・ニュース

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Photographs by Masataka Nakano

日本のほとんどの地方都市が抱える課題といえば、過疎化です。人口減少による産業の衰退、行政サービスの低下など、負のスパイラルから抜けだせずに、多くの地方自治体が苦しんでいます。そんな状況の中、北海道の旭川市にある東川町は、1985年に「写真の町」宣言を行い、世界の人々に開かれた町、心のこもった「写真映りのよい町」を創造することで、世界の人々をつなぎ、コミュニティの絆を深めています。若者の地元への思いを強め、かつ移住者にとって魅力あるまちづくりを目指しています。

写真の力で魅力ある都市文化を創り、地方都市の持続可能性を広げていく

その活動の代表的なものが東川写真賞です。毎年、国内外の第一線で活躍する写真家を町に招き、受け入れ、継続的にコミュニケーションを続けることで、写真家のファインダーを通して、町の魅力を発信しています。

とはいえ、アートを起点とした地方創生のアプローチは日本国内でも数多く行われているものの、40年近くにわたって、町としての公式宣言まで行って、継続している例はありません。そこで、第37回を迎えた写真賞の受賞作家の一人であり、地方都市の対局ともいえる「東京」をライフワークとして撮り続けている中野正貴氏の言葉から、東川町が、アートの力をどのように生かし、町の活性化につなげているかを探ってみました。

「写真で町おこしをしているところは全国にいくつかあって、そのなかでいちばん大きな賞が東川賞です。東川賞は他の賞が過去1年の作家活動を対象にしているのに対して、3年間の活動が有効なのが特徴です。長い期間で作家活動をみることができるということは、審査員も東川町の趣旨でもある写真の力で町を魅力的に発信していくというコンセプトにあった作家を選ぶことができます。

ぼくがいただいた賞は飛騨野数右衛門賞なのですが、賞の名は、東川の役所に勤めながら何十年もずっと東川の町を、日記をつけるように撮っていたアマチュアカメラマンにちなんだものです。ご自身も2001年に東川賞特別賞を受賞しています。

東川町は豊かな文化田園都市づくりをめざして、1985年に『写真の町宣言』を行い、毎年夏に『東川町国際写真フェスティバル』を開催するようになったそうですが、東川賞のように36年も続けてゆくと、写真家もそこに作品を出したいという目標になってくるんです。必然的に東川町の魅力を発信する媒体のような役割を持つことになります。

続けることに大きな意味があるんですね。東川町国際写真フェスティバルは予算のかけ方から町を挙げての盛り上がりなど、他の『町おこし写真賞』とは全然ちがいます。本気度がちがうんですね。それをずっと続けていることがすごいなあと思います。ぼくも30年間東京を撮っていますが、その長い時間に意味があるんで、たぶんそのことが飛騨野さんとリンクして賞をいただいたんでしょう。

東川町ではこの東川町国際写真フェスティバルの他にも1994年から続いている『写真甲子園』という、全国の高校写真部・サークルから組写真を募集して高校写真部の全国一を競う写真コンテストがあるんです。若い人たちへの大きな刺激になりますし、東川賞とあわせて、これも町のブランド力アップに貢献していると思います」

東川町持続可能性の鍵は、大自然と都市性のバランス

受賞式から1週間ほど、町ではフォトフェスタが開催され、学校の壁や、古民家など町中のあらゆる場所に作品が展示され訪れる人と町の人の交流がいたるところでもりあがります。

受賞作家は東川町に招かれ、1週間ほど滞在するのですが、中野さんは自転車を借りて町を走りながらずっと、写真を撮り続けていたそうです。

Photographs by Masataka Nakano

「水のきれいなことがこの町の特徴ですね。なんといっても朝日岳からの雪解け水がきれいなんです。それが農業用水になり、住民の飲み水になる。とにかく自然の恵みが暮らしの基本になっているんです。東京では味わえない自然との密接な関わりを感じました。ぼくは東京で育ったから自然といっても触れあうことのできるのは町中の公園ぐらい。でも東川町は自然が違う。そのちがいを感じる若い世代が、自分のこどもには本当の大自然に触れさせたいと都会から飛び出して、ここに移住する人が増えるかもしれないですね。

東京はタワーマンションに代表されるように、自然から隔離され、隣人も知らないという人間からも隔離された世界で暮らすようになってきています。それが若い世代を田舎に向かわせている要因だと思います。でも田舎がすばらしいかというとそうでもなく、逆に地方は東京に似せようとしているところもある。たとえば、はじめていった田舎の町でも見なれたような駅になっていて、ああこの先にゆけば薬屋があるはずだとか、どれも画一的にみえてくるのが今の日本なんですね。そういう点で、東川町に今後の課題があるとしたら、自分の地域の特徴を理解しその利点をどう生かすかを考えることにかかっているような気がします。本質を知らず表層の情報だけで東京を理想型にしてもだめなんですね。東京を長い間撮り続けていると分かるんです。ああ、そっちにゆくとまずいよねってことが。そういう意味で、これまで東川町はちゃんとやってきたと思います。東京をライフワークに撮りつづけて感じることは、結局、東京の本質というのは何も変わらないのかもしれないということ。古いビルを壊して新しいビルを建てる。同じ場所でずっとそれを繰り返しながら、「東京」であり続けている。

よく、どういう都市が理想ですかと聞かれることがありますが、バランスとしか答えられない。たとえば破壊と再生を繰り返してゆく東京が理想の都市かといわれると、そんなこともない。昔の香港は、そのバランスが魅力的だった。新旧のいいところをバランスよく取り入れているのが良い都市じゃないかなあ。田舎の町でも同じで、たとえば東川町だったらその自然にふさわしい人の数というバランスが大事でしょう。そのバランスが保たれていないと魅力がなくなる。人間が増えると問題が起きるし、治安も悪くなる。かといって少ないとインフラがなくて発展しない。都市も田舎もバランスが大事なんですよね」

Photographs by Masataka Nakano

確かに東川町は大雪山の裾野、美しい水と森林資源に恵まれた大自然に囲まれているが、同時に旭川空港が近く、地方の中核都市のひとつでもある旭川市街からも車で1時間程度という都市の利便性も兼ね備えている。自然と都市、あるいは人のバランスをとりやすく、移住者にとっての魅力を発信することができれば、過疎化という課題解決にも貢献する。そして、東川町は37年間という年月をかけた取り組みが功を奏し、近隣都市とくらべても移住者の伸びが大きくなりはじめている。写真の力を、地域のチカラに。東川町の住む人の心を変え、町を変える取り組みは地方都市のサステナビリティにとって、ヒントになるのではないでしょうか。

Photographs by Masataka Nakano

中野正貴

1955年福岡県生まれ。1956年より東京都在住。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒。1980年フリーランスフォトグラファーとして独立。雑誌や広告撮影を中心に活躍している。2001年『TOKYO NOBADY』で日本写真協会賞新人賞、2005年『東京窓景』で木村伊兵衛賞、2008年『MY LOST AMERICA』でさがみはら写真賞を受賞。2019年に東京都写真美術館で大型写真展「東京」を開催。2021年写真の町東川賞飛彈野数右衛門賞受賞