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かつて一大ブームとなったタピオカミルクティー店の跡地等に、続々と自家焙煎コーヒー店がオープンしています。『鉄瓶』で芯まで熱せられたお湯を沸かし、その熱量とまろやかなお湯でコーヒーを抽出すると、成分がじわっと押し出され一段と深い味わいが得られることでしょう。今回はこの鉄瓶のような、伝統工芸の継承をモチーフに、時代を超えてブランドを輝かせる要諦について考えていきます。
深淵(しんえん)なる南部鉄器
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日本の伝統工芸品「南部鉄器」が人気です。その代表とされるのは『南部鉄瓶』で、サッカーワールドカップ2022大会で活躍した田中碧選手が愛用していることでも注目されました。このところ、タピオカミルクティーの店の跡地などに自家焙煎コーヒー店が続々とオープンし好評です。自宅でおいしくオシャレに味わい深いコーヒーを飲もうとこだわる人の中にも、南部鉄瓶の愛好家が多いことでしょう。伝統的な佇まいを残しながらも、ポップなコーヒーポットなどが世界中のファンの心を奪っています。
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南部鉄器とは、17世紀ごろから岩手県の盛岡市や奥州市でつくられてきた鉄鋳物の総称です。鉄鋳物とは溶かした鉄を鋳型に流して形をつくる技法です。盛岡藩主が京都から茶釜師を招き、茶の湯釜をつくらせたのが始まりだそうで、「南部鉄器」の「南部」は、当時の盛岡藩が「南部藩」と呼ばれていたことに由来します。鉄資源が豊富な盛岡ではその後も鋳物産業が発展し、のちに茶の湯釜を小ぶりにした『鉄瓶』が誕生します。今日、鉄瓶は南部鉄器の代名詞的存在となっています。
南部鉄瓶で沸かしたお湯は白湯(さゆ)で飲んでもよし、お茶を煎(い)れてもコーヒーを淹(い)れても格別なようです。美味しくなる理由は、水道水に含まれる塩素を取り除くには『鉄』が最も優れており、鉄瓶の内側の鉄分が溶け出すため、まろやかで柔らかい味になるそうです。鉄瓶で煎れたお茶やコーヒーは角がとれておいしく、鉄瓶は鉄分が補給できるから健康によいと定評があります。
ちなみに、「鉄瓶」と「鉄急須」はほぼ同じ形状をしていますが、その用途が異なります。鉄瓶は『湯沸かし』に使う道具です。中に水を入れ、直火やIHにかけてお湯を沸かします。つまり、やかんと同じ役割です。もともと鉄瓶は茶の湯で使われていた茶釜に注ぎ口と持ち手をつけることで、広く一般に普及したものです。一方、鉄急須は『お茶を煎れる』ための道具です。茶こしがついているため、そこに茶葉を入れ、お湯を注ぎ、お茶を煎れるのに使用します。
南部鉄器の特徴は、さびにくく長持ちすることや熱が均一に伝わること、保温性に優れていることなどです。その独特な重量と安定感、ざらりとした特徴ある風合いは素朴な美しさがあり、南部鉄器の代表ともいえる鉄瓶には、職人によってさまざまな紋様が施されています。表面がポコポコしたデザインのアラレ紋様は、鉄瓶の表面積を増やす目的で南部鉄器に用いられています。
AIで、匠の技を次世代へつなぐ
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ところが、伝統工芸の世界では、やはり後継者問題を抱えています。南部鉄器は熟練技術者の経験知に依存する領域が広く、名工(匠の職人)の高齢化や若手の不足などで卓越した技術を伝えていくことが難しくなっています。伝統工芸のブランドの伝承が課題となっています。
そこで近年、『人工知能(AI)』を使った製造業の支援サービスを手掛ける企業が注目されています。AIを活用し、ものづくりの技術継承を支援することで生産改善効果が期待されています。AIによる支援サービス企業が得意とするのは、熟練技能者から長時間かけてヒアリングしたものづくりのノウハウを、AIを使って分析して伝達可能なデータや作業手順に置き換える技術とのことです。
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こうして抽出した情報をAI化して使えば、経験が浅い若手職人でも『熟練者の思考』を素早く学べることが期待できます。とかく、若手がベテラン(師匠)に相談した際に、アドバイスや駄目出しをされても、断片的な言葉でしか説明されない場合があります。すると若手は、直すべきポイントを正確に理解できませんでした。その『断片的な言葉』をAIに入力すると、その言葉の裏にある考え方や関連性を知ることができるので、改善が必要な理由のヒントが得られるというわけです。熟練者に一から十まで教えてもらわずとも、パソコン上で『熟練者の思考』を再現しながら、必要なタイミングで自主的に学んでいけるというわけです。若手と熟練者のコミュニケーション・ギャップを補うことにもつながります。
ともすると熟練職人は、長年かけて身をもって会得した知見や(体で覚えた)ノウハウを『言語化』することが不得手だったり、現代の労働条件面においては、若手職人と寝食を共にして、始終寄り添って時間をかけて指導することもかなわなくなっています。そこで、これまで『暗黙知』だった特有の思考や製造ノウハウをデジタル化して、『形式知』に転換し、繊細なものづくりを次世代に引き継ごうとする試みが注目されています。
ブランドの伝承は、暗黙知を形式知に
職人が代々受け継いできた技や熟練の勘などが「暗黙知」の代表例とされます。暗黙知とは、言語としてはっきり示すことができないような知識を指します。暗黙知(tacit knowing)という言葉が初めて登場したのは、ハンガリーの社会科学者・物理化学者のマイケル・ポランニーが1966年に上梓した『暗黙知の次元』とされています。その後、1990年代初頭に一橋大学の経営学者・野中郁次郎氏が社会に広めたと言われています。
一方、対比される言葉として「形式知(explicit knowledge)」があり、言語としてはっきり示すことができるような知識のことをいいます。企業にとって、暗黙知を暗黙知のままにしておくと、大きく2つのリスクが生じます。一つは、言語化されていない暗黙知を活用できるのは、その暗黙知を有しているメンバーに限られることです。もう一つは、暗黙知は業務に精通した特定のメンバーが有しているケースが多いため、暗黙知を有するメンバーは、都度、周囲に作業やコツを教える機会が多くなりがちです。自分の業務を中断してでも周囲に教えないといけないという状況になってしまうと、暗黙知を有するメンバーの生産性は低下しがちです。それにより、チーム・組織全体の生産性低下につながる可能性があります。
暗黙知を暗黙知のままにしておくと、このようにさまざまな問題が発生します。暗黙知のまま放置せず、形式知に変えていくことが重要です。ただし、言わずもがなですが、セキュリティには十二分に留意する必要があります。
無形資産の中核を形式知に
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昨今、最も重要な経営資源として『無形資産』が注目される中、ブランドがその中核に位置づけられます。その根源が、自社の持ち味である「らしさ(Brand Identity)」です。老舗企業の多くが創業以来、先人から受け継いできた『自社ならではの強み』が、『暗黙知』となっています。
いきおい、時の経過とともにブランドの希釈化(らしさが曖昧・不明確になり、ブランド力が衰退すること)を招いてしまっているのが悩みの種ではないでしょうか。
したがって、現代のブランド戦略として、「らしさ」を形式知化して社内であらためて共有することが肝要です。「らしさ」は無形資産に寄与する競争優位の源泉であり、伝家の宝刀といえます。時代にふさわしいパーパスに裏打ちされた「らしさ」を発揮することにより、サステナブルブランディングが実現できます。