
取材現場で心を動かされた言葉、記事にはならなかった小さな発見、そして、日常の中でふと感じたサステナビリティのヒント。本コラムでは、編集局メンバーの目を通したそんな「ストーリー」を、少し肩の力を抜いて、ゆるやかにつづっていきます。
今回の担当は松本です。
記憶がないほど必死だった第1回の夜
サステナブル・ブランド国際会議 2026 東京・丸の内(SB’26東京・丸の内)が無事に幕を閉じました。今年は10周年という節目の開催であり、Sincが主催する初めてのSB国際会議でもありました。多くの企業、自治体、NPO、学生の皆さんにご参加いただき、心より感謝申し上げます。
プレナリーの幕開けを飾ったのは、歌舞伎役者・中村橋吾さんによる大迫力のパフォーマンス。10周年にふさわしい、今年ならではの熱を帯びた演出に、会場の皆さんに楽しんでいただけていたら主催者として何よりうれしく思います。

熱気あふれる会場の風景を眺めながら、ふと10年前のことを思い出しました。初めてのSB東京が終わった夜、打ち上げで食べた鉄板焼きの味を、今でもよく覚えています。
正直なところ、開催中の記憶はあまりありません。私と後輩の2人がメインで担当していたのですが、息をつく暇もなく、ただただ目の前のタスクをこなすことに必死でした。何人来てくれるのかすら分からないまま、手探りで準備を進め、気づけば嵐のようにイベントが終わっていた。それがリアルな感覚です。

それでも、海外から駆けつけてくれたスピーカーや、SB創設者のコーアン、そして海の物とも山の物ともつかない初年度を支えてくださった皆さんとテーブルを囲んだあの時間だけは、鉄板焼きのにおいとともに、なぜか鮮明に記憶が残っています。
「これってビジネスチャンスでは?」
私が初めてSBに出会ったのは、初開催の少し前、2015年のこと。米国サンディエゴで開催された「SB San Diego」に参加したときでした。
それまで外資系IT企業のマーケティング支援をしていて、サステナビリティとはあまり縁のない世界にいました。そんな私にとって、IoTとサステナビリティの可能性についてのセッションは衝撃的でした。
「これって、自分のクライアントにとっても大きなビジネスチャンスになるのでは?」
そう直感したことを覚えています。サステナビリティという言葉が、遠いどこかの話ではなく、急に身近なテーマへと変わった瞬間でした。
SBが持つ「コミュニティ」の真価
サンディエゴでの熱気と、日本での初開催を経て強く感じたのは、SBは単なる一方通行の「会議」ではなく、有機的な「コミュニティ」なのだということでした。
企業、自治体、NPO・NGO、研究者、学生。さまざまな立場の人が集まり、誰かが一方的に話すのではなく、参加者同士の対話が自然に生まれていく。会場のあちこちで広がるそうした光景を見て、「この場には間違いなく意味がある」と確信しました。

あれから10年。企業のサステナビリティへの意識や取り組みは、大きく変わったように思います。SB初期の「サステナブル・ブランディング」や「SDGs戦略」といったテーマから、現在では脱炭素、自然資本、サーキュラーエコノミーなど、極めて実践的な議論へと深化しています。生活者視点も交わり、サステナビリティは確実に“実装のフェーズ”へ入ったと感じます。
今年のSB東京でも、セッション終了後に会場各所で対話が続いていたのが非常に印象的でした。
サステナビリティのストーリーを、日本から世界へ
私にとってSB東京は、単なるイベントではなく「コミュニティプラットフォーム」です。多様な人が集まり、対話し、次のアクションのヒントを持ち帰る場所です。
次の10年も、社会は目まぐるしく変化していくでしょう。その変化に適応しながら、このコミュニティも少しずつ成長させていきたい。そして、SBグローバルのネットワークを活用しながら、日本のサステナビリティの最前線で紡がれるストーリーを、ここから世界へと発信できる場に育てていきたいと思っています。

なお、今年のSB東京のセッションは現在アーカイブでご覧いただけます。会場で生まれた熱気と議論の一部ではありますが、このコミュニティで共有された知見を、ぜひ多くの方に受け取っていただけたらうれしく思います。
そしてまた、今この瞬間も、コミュニティのどこかで新しい対話が始まっているはずです。SB東京が、これからもそんな「新しい対話が生まれる場所」であり続けられるよう、歩みを進めていきます。
松本 侑記
サステナブル・ブランド ジャパン編集局
札幌市出身。高校からカナダに留学。サステナブル・ブランド(SB)を日本に「輸入」する段階から関わり、SB Globalのアドバイザリーボードメンバーも務める。SB東京の第1回開催から毎年運営に奔走。趣味はWBC観戦。









