
日本の伝統的な食文化である「発酵食品」が、食の枠を超え、文化体験として国内外で注目され、盛り上がりを見せている。その中でも発酵ムーブメントの火付け役として奔走しているのが、発酵デザイナーの小倉ヒラク氏だ。小倉氏は、発酵に関する書籍の執筆にとどまらず、発酵・微生物をテーマにした数々のプロジェクトを展開し、発酵食品の専門店「発酵デパートメント」を経営するなど、発酵を体験化し、その価値を再発見・再構築する試みを続けている。
その活動の紹介と共に、小倉氏に発酵を「デザイン」の対象として捉え直したことで生まれた社会的インパクトや、発酵の製造現場で起こっている課題について聞いた。(環境ライター 箕輪弥生)
発酵デザイナー
早稲田大学文学部で文化人類学を学び、在学中にフランスへ留学。東京農業大学で研究生として発酵学を学んだ後、全国の醸造家や研究者たちと発酵・微生物をテーマにしたプロジェクトを多数展開、山梨県甲州市に発酵ラボをつくる。「発酵デパートメント」オーナー。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』など。
日本の文化を解き明かす「発酵」を体験化する

――2017年に出版された『発酵文化人類学』※1は10年近く経った今もロングセラーとなり文庫化もされていますね。
現在は、文庫も含めて31~32刷くらいですね。中国、台湾、韓国でも翻訳されていて、フランスでも出版プロジェクトが進行中です。
※1 『発酵文化人類学』(角川文庫 / 木楽舎):小倉ヒラク氏が、「微生物の働きから社会の在り方を捉え直す」という切り口で書いたエッセイ・学術入門書。「目に見えないもの」をデザインし、社会の仕組みを「発酵」で読み解く斬新な視点が発酵の新たな魅力を訴求し、若者世代を中心に大きな反響を呼んだ。
――発酵は古くから日本にあるものですが、長らく「伝統的」「体に良い」といった情緒的な文脈で語られてきました。小倉さんは、なぜ発酵を“デザイン”の対象として捉え直そうと考えたのでしょうか。
デザイナーとして活動していた当時、消費するためのデザインではなく、コミュニティや地域に最適化された意味を持つデザインが見直されている時期だったんです。その観点で見た時、実はその「エスノグラフィー※2的なデザイン」の典型的な例が発酵なんじゃないかと感じたのがきっかけです。それと、自分が文化人類学とデザインの両方を専門としていたことも発酵をデザインの対象として再定義する視点を生んだのだと思います。
※2 エスノグラフィー:もともとは文化人類学や民族学の分野で用いられてきた研究手法で、調査対象となる民族の文化を解き明かすことを目的として、特定の民族と行動を共にして風習や行動様式などを詳細に記録する手法。
――書籍だけでなく、展示やワークショップ、「発酵デパートメント」※3などの店舗展開、さらには「発酵ツーリズム」※4など、小倉さんは発酵をさまざまな体験として設計されています。知識ではなく体験として伝えることの重要性を、どのように捉えていますか。
「食」という誰もが関わるテーマだからこそ、単なる知識の伝達だけでなく、誰もが参加できる「体験」として設計することは最初からすごく重視していました。知識の伝達だけだと、裾野が広がらないですから。
※3 『発酵デパートメント』:東京下北沢にある日本全国47都道府県の発酵食を取り扱う「発酵専門のセレクトショップ」。醸造家やシェフによるイベントや、併設のレストランでの食事を通じて、発酵を五感で楽しめる「発酵の体験・発信基地」。
※4 『発酵ツーリズム』:日本各地のローカル発酵文化を掘り起こし、発酵を通した観光を提案するプロジェクト。地域の知られざるローカル発酵文化を体系化した展覧会と、展示に登場した蔵を訪ねる観光プログラムを合体した「観光連動型展覧会」として、北陸、東海、東京、岐阜などで展開している。
――そういえば小倉さんの発酵に関する最初のお仕事は、音楽や踊りを含んだ『手前みそのうた』※5の制作でしたね。『発酵ツーリズム』もその体験化の一環なのですか。
それもありますが、『発酵ツーリズム』は展示※6を見た方々から「実際に蔵へ行きたい」という声が高まって、自然発生的な形でプログラム化しました。そこに、まちづくりに生かしたい地方の美術館や自治体からのリクエストも重なって、どんどん拡大していった感じですね。
※5 『手前みそのうた』:味噌づくりの工程を歌詞にして、子どもから大人まで楽しく味噌作りを学べるように作られた歌とアニメーション。絵本やDVDなどで展開し、2014年グッドデザイン賞を受賞。
※6 展示 :小倉氏自らの足で集めた全国のローカルな発酵食品を集めた2019年に開かれた渋谷ヒカリエでの展覧会「Fermentation Tourism Nippon ~発酵から再発見する日本の旅」や、これを進化させた2024年「NIPPON UMAMI TOURISM(ニッポン・ウマミ・ツーリズム。D&DEPARTMENT主催)」など。
発酵の現場から見えてくる3つの課題

――小倉さんは国内外の発酵食を訪ね歩いていますが、国内外問わず、今気になっている発酵食はありますか。
今、台湾の仕事をしているのですが、パイナップルなど果物を麹(こうじ)にする文化があって、それがすごく面白い。こうした発酵食って、その国の素顔や文化を理解するきっかけにもなるんです。国内だと、特に伝統製法で作られたお酢が人気ですね。うちの店ではここ2年ぐらいで取り扱いが2倍くらいになりました。腸活や免疫改善など機能が明らかになってきている感じですね。
――発酵の注目度が高まる一方で、実際の製造現場では発酵の担い手が減り続けているという深刻な問題もあるとお聞きしました。その根底には何があるのでしょうか。
何か一つの原因というより、問題が複合しているのが難しいところです。具体的には、「気候変動」「地方の人口動態の変化」「設備の老朽化」の3つが複雑に絡み合っています。
――それは具体的にはどのようなことでしょうか。
気候変動は原料が採れなくなるだけでなく、発酵のプロセスそのものを変えてしまいます。また、地方の高齢化で後継者がいないだけでなく、技術を持つ職人がいなくなることで、発酵に必要な「周辺インフラ」が維持できなくなる。
さらに深刻なのが設備の老朽化です。昭和の好景気に導入された設備が壊れても、今はもう修理部品を作れる会社がない。買い換えるにも億単位の費用がかかる。発酵は基本的に「装置産業」なので、設備のインフラが更新できないと、文化そのものが途絶えてしまうわけです。
――一方で小倉さんの活動は海外でも注目を集めていますが、特にどんな方々が関心を寄せていますか?
圧倒的にシェフですね。
――海外シェフが日本の発酵文化に注目するのはなぜでしょうか。
いくつか理由がありますが、一つは「労働環境の改善」です。発酵技術をうまく使えば、微生物の力で複雑な風味を生み出せるので、これまでスープストックの仕込みなどにかけていた膨大な手間を減らせます。これがキッチンの労働環境改善につながる点が大きな魅力となっています。今、食の業界でもSDGsが叫ばれていて、僕も国連に呼ばれて、世界のシェフと人権をテーマにトークしたこともあります。もちろん、発酵特有の旨味や複雑な風味を生み出せる点も、シェフが注目する重要な要素ですね。
地方性・多様性・日常性――民藝運動と類似する発酵ムーブメント

――発酵を微生物の営みとして可視化し、言語化する表現は、ヒラクさんの活動の特徴の一つです。初めてお会いしたのは小倉さんが20代のころだったと思いますが、当時からすでに哲学者のようだと感じました。これらの表現や活動は、発酵文化の価値をどう変えたとお考えですか。
最近、海外メディアのインタビューでも同じことを聞かれたのですが、端的に言うと「発酵」が日本という国のかなりコアな資産であって、文化的な資産でもあるという点を明らかにした、ということだと思います。
――文化的な資産というのは、食文化としての資産という意味ですか。
食文化よりももう一段深いんじゃないかなっていう感じがしていますね。だからヴァナキュラーな(土着的な)文化の総体として、日本には発酵っていうものがあって、これを旗印にしてまちづくりをしたり、地元の文化を掘り起こしたり、ライフスタイルに組み込んだり……。単においしい、健康的というだけでなく、みんなが動くときの「旗印」になったんですよね。それは、最近よく言っているんですが、柳宗悦が興した民藝運動※7にすごく似てるなと思っているんです。
※7 民藝運動:20世紀初頭に柳宗悦らが提唱した、日本の伝統的な民衆の手仕事や工芸品(民芸品)を美術として評価し、生活に根差した素朴で実用的な美を尊重する運動。無名の職人が手作りした日常品の価値を見直し、文化の継承と生活の質の向上を目指した。
――発酵が、みんなを動かす「旗印」になり得る理由は何なのでしょう。
ほとんど民藝と一緒だと思います。民藝は日常の中にある美(ケの文化)を再発見しましたが、発酵も「地方性に根差している」「地域による多様性がある」「無名性や日常性を重視する」といった点がすごく似ているんですよね。
――確かに、どちらも誰かの名前で売るブランドではないですよね。
そうですね、もちろん。発酵を作り続けている地方のおばあちゃんたちは、柳氏が言ういわゆる「無名の工人」※8です。それにインスパイアされて、スター醸造家やスターシェフとかが出てくる。これは民藝の世界に河井寛次郎やバーナード・リーチのような作家が現れた構造と同じです。有名か無名かという話ではなく、インスピレーションなんでしょうね。こういう世界の美しさがあるよっていうことを明らかにしたことが、客観的に見た僕の功績だったのかなと思っています。
※8 無名の工人:個人の名声や利益を求めず、共同体や社会のために誠実に仕事をし、その成果が普遍的な価値を持つ人を指す。柳氏はこうした人々の手によって生み出される民芸品に、真の美と価値が宿ると考えた。
――ということは小倉さんの活動は民藝活動のようにムーブメントとして続いていくのでしょうか。
「発酵デパートメント」が一つの大きな運動体みたいになっているので、僕個人の手は(すでに)半分くらい離れている感覚もありますね。
――小倉さんが語る発酵の価値の中でも、「発酵文化人類学」にある「微生物がギフトを与え合って、生かし合って、秩序を形成する」という「ギフトエコノミー(贈与経済)」という考え方が素晴らしいなと感じています。
発酵の世界を総体として見ると、異なるレイヤーが重なり合って一つの全体域を作っています。それは、微生物たちの非常に「互助的」な働きによって成り立っているんです。
――そうした互助的なギフトエコノミーは今の社会に足りないものに思えますが、その概念を企業や社会に生かすことは可能でしょうか。
営利活動の中で、徹底して利他的に振る舞うのは難しいかもしれません。株主利益と矛盾が生じる場面もありますから。ただ、現実的な解としては、すでに草の根でギフトエコノミー的な互助活動をしている人たちを、投資や支援で支える仕組みがいいと思うんですよね。地方に行くと、地域の見守り活動や介護の領域とか、もうすでに素晴らしい互助的な仕組みがたくさんありますから。
――最後に、4月出版の新著『僕たちは伝統とどう生きるか』(講談社現代新書)について教えてください。
「今の時代に、どんな伝統が意味をもつのか」を、伝統産業の当事者に向けて書いた本です。発酵だけでなく、民藝や鵜飼い(うかい)など幅広い伝統文化を取り上げています。少しハードコアな内容もありますが、都会のホワイトカラーとして働きながら「このままでいいのかな」と模索している若い人たちにも、ぜひ読んでほしいですね。
箕輪 弥生 (みのわ・やよい)
環境ライター・ジャーナリスト、NPO法人「そらべあ基金」理事。
東京の下町生まれ、立教大学卒。広告代理店を経てマーケティングプランナーとして独立。その後、持続可能なビジネスや社会の仕組み、生態系への関心がつのり環境分野へシフト。自然エネルギーや循環型ライフスタイルなどを中心に、幅広く環境関連の記事や書籍の執筆、編集を行う。 著書に「地球のために今日から始めるエコシフト15」(文化出版局)「エネルギーシフトに向けて 節電・省エネの知恵123」「環境生活のススメ」(飛鳥新社)「LOHASで行こう!」(ソニーマガジンズ)ほか。自身も雨水や太陽熱、自然素材を使ったエコハウスに住む。JFEJ(日本環境ジャーナリストの会)会員。 http://gogreen.hippy.jp/














