
例えば、こんな場面を想像してみてください。
数年来取り引きしてきた重要鉱物のサプライヤーが、国際NGOから「軍事政権への資金流出に関与している」と指摘され、その取引先の一つとして自社の名前も公表されてしまった……。
情報が錯綜する中、報道やSNSでは自社名が取り上げられ、投資家や顧客からの問い合わせが急増。社内にも緊張が走ります。
こうした状況に置かれたとき、あなたならどう判断するでしょうか。
経営層の頭にまず浮かぶのは、「このサプライヤーとの取引を、すぐに停止すべきなのか?」という問いかもしれません。表面的には明快に見える判断ですが、実はこここそが、企業の姿勢と責任が深く問われる場面なのです。
取引先で人権侵害が確認された場合、すぐに取引関係を断つべき?
即時の取引停止は本当に“正しい対応”か
こうした事案が起きると、社内外からは「まずは取引を止めるべきだ」という強い声が上がりがちです。「一刻も早く距離を置き、自社への火の粉を払いたい」という判断は、一見、筋が通っているようにも見えます。
しかし、果たしてそれが「企業として最も責任ある対応」と言えるのでしょうか。
人権尊重の観点から考えると、即時の取引停止は、必ずしも最善とは限りません。
それどころか、供給網の末端にいる現場の労働者や地域住民にとっては、事態をさらに悪化させる可能性すらあるからです。
突然の取引停止によってサプライヤー企業の収益が失われれば、最も弱い立場の労働者が真っ先に解雇されたり、収入源が途絶えることで家計や地域経済が立ちゆかなくなったりしかねません。かえって労働環境がさらに悪化する「二次的な人権侵害」を引き起こすリスクがあるのです。
サプライチェーンの構造は複雑です。問題を起こした当事者と、その仕事で生活を支えられている労働者は別です。「取引を切る」ことが、必ずしも「人権を守る」ことにはつながらない――ここに、この問題の難しさがあります。
国際基準が示しているのは“まずは関与すること”
国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」では、企業がサプライヤーにおける問題を確認した際、まずは対話を行い、状況の改善に向けて働きかけることが基本的な姿勢として示されています。
この国際的な考え方において、取引停止はあくまで「最終的な手段」。まずは現場の状況を正確に把握し、関係者と対話しながら改善の道を探る「エンゲージメント(対話を通じた関与)」が原則です。 ただ、複雑な人権問題は一社だけで解決するのが難しいことも少なくありません。そのため、労働者や地域住民、NGO、投資家など、多様な関係者を巻き込んで対話を進める「マルチステークホルダー・エンゲージメント」も重要視されています。
こうしたアプローチを具体的に示している企業の一つが、食品大手のネスレです。同社はサプライヤーで人権問題が発覚しても、原則として「即時の取引停止」に踏み切らない姿勢をとっています。特にカカオ豆の農園で児童労働の問題が指摘された際、ネスレは“切る”のではなく、農園や地域コミュニティと協働して改善に取り組む方式を採ってきました。第三者調査や監査による事実確認やサプライヤー・農園と共同での改善計画づくり、更には「児童労働モニタリング・補正制度(CLMRS)」といった仕組みを導入。教育支援や親の収入改善など、地域全体を底上げする策を実行してきました。
このアプローチにより、“問題が見つかったら即切る”姿勢では守れない現場の子どもや地域を支える土台をつくってきました。企業が関与し続けるからこそ、改善のインセンティブが生まれ、被害を最小限に抑えながら変化を起こせるのです。
それでも取引停止を考えざるを得ない場合は?
もちろん、「いつまでも改善を待つべきだ」ということではありません。働きかけても改善の見込みが低い、サプライヤーが対話に応じない、情報を隠蔽(いんぺい)する、あるいは制裁措置等により法令で取引継続が禁止されるような状況であれば、取引停止の検討が必要です。
ただしこの場合でも重要なのは、取引停止を「一度の決断」で終わらせず、段階的なプロセスとして進めることです。

現地の労働者や地域への影響が最小限となるよう配慮し、必要なら専門家の助言も仰ぐ。サプライヤーへの説明責任を果たしつつ、過去に生じた被害へどう向き合うかを整理する必要があります。
国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が2023年に公表したポジションペーパーでも強調されている通り、取引停止は企業の責任を免除する「免罪符」ではありません。企業が関係を解消し、撤退したとしても、過去に関わった人権侵害に対する救済責任は残り続けるのです。
つまり、リスク管理上の判断として取り引きを止めたとしても、被害者への責任は続くということ。この点を踏まえた出口戦略が不可欠です。
最も重要なのは、問題が起きてから慌てて方針を決めるのではなく、あらかじめ「自社としての判断基準」を明確にしておくことです。例えば、どの程度の情報が揃(そろ)えば調査を開始するのか。改善のためにどこまで関与し、どの段階で契約解除を検討するのか。社内で誰が最終的な判断を下し、どのように記録・説明するのか……。こういった基準を明確にしておくことで、場当たり的で“日和見”的な対応を避け、社内外へ筋の通った説明ができるようになります。それが結果として、自社の信頼を高めていくことにつながるのです。
問われているのは「切るか・続けるか」ではなく、どう責任を果たすか
「即時の取引停止」は、短期的には安全策に見えても、長い目で見れば人権を傷つけ、企業の信頼を損なう恐れもあります。大切なのは、「切るか・続けるか」の二択ではなく、「どう責任を果たすか」という視点です。
企業が責任を持って改善を働きかけ、必要に応じて関係を見直していく。その誠実なプロセスこそが、企業の価値を支え、サプライチェーン全体の持続可能性を高める土台となるはずです。
| 【参照資料】 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)のポジションペーパー(2023年) https://www.ohchr.org/sites/default/files/documents/issues/business/bhr-in-challenging-contexts.pdf |

高橋 夏実(たかはし・なつみ)
株式会社オウルズコンサルティンググループ シニアコンサルタント
PwCコンサルティング合同会社を経て現職。シドニー大学卒(国際関係学・政治経済学)。企業のサステナビリティ戦略立案、人権デューディリジェンス実施支援、持続可能な調達の実行支援などのプロジェクトに多く従事。ERM高度化や中期経営計画策定に向けたマテリアリティ特定など、経営戦略領域のリスクコンサルティングにも従事した経験を有する。










