• 公開日:2025.10.07
連載『ビジネスと人権:企業の「なぜ?どうして?」に答える』
【続・ビジネスと人権コラム】第2回 ハラスメント対策をしてきたが、それとは別に人権対応が必要?
  • 石井 麻梨

第1回では、人権尊重はもはや単なる「倫理の問題」ではなく、「企業経営の最重要テーマ」となっていること、そして人権尊重の取り組みは自社を「守る」ために必須であるだけでなく、経営や事業にポジティブな影響をもたらすことを見てきました。

今回は、「わが社はこれまでにもハラスメント防止研修や、労働時間を減らすための働き方改革などを行っている。それとは別に、新たに『人権』の取り組みを始めなければならないのか」という問いについて考えてみたいと思います。

これまでにもハラスメント防止研修や働き方改革などを行っている。それとは別に、新たに『人権』の取り組みを始めなければならないのか?

「社内のハラスメント・長時間労働対策」だけが人権対応ではない

企業の経営陣から、「今やっていることだけでも『人権』に対応していると言えるのでは」「ゼロから『人権』の取り組みを考えなければならないとしたら大変だ」という声を聞くことは少なくありません。

まず、大前提としてお伝えしたいのは、多くの日本企業が対応してきた「ハラスメント」や「長時間労働」は、「人権リスク」(企業活動に関わる人々の人権を侵害してしまうリスク)のごく一部に過ぎないということです。国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」など、国際的なルールで企業に求められているのは、もっと広い範囲の人権リスクへの対応です。

例えば、人権リスクには以下のようなものも含まれます。

  • 差別的対応:性別・出身・障がいの有無など属性を理由に不当な扱いをする
  • 賃金の不足・未払い:本来もらえるはずの残業代が支払われない
  • プライバシーの侵害:本人が知られたくないセンシティブな情報を勝手にばらされてしまう
  • 居住移転の自由:本人の意思や家庭の事情等を全く考慮せず転勤を強いる

人権リスクにはさまざまな種類があることに加え、「自社従業員の人権」だけが対象ではないことも認識しておくべきです。国際的なルールでは、企業は従業員だけでなく、顧客や消費者、サプライヤーや業務委託先の企業で働く人々、先住民や地域住民など、自社の事業活動に関わる全ての人々の人権リスクを予防する責任があります。

「店舗で働く従業員が、障がいのあるお客様に差別的な対応をしてしまった」、「製造を委託している工場で児童労働や強制労働が行われていることが発覚した」、「自社工場からの騒音で周辺の住民の生活に悪影響が出ている」など、企業はこうしたケースにも対応しなくてはなりません。

このように、企業が配慮すべき「人権リスク」の範囲は、「自社のハラスメントや長時間労働」だけでなく、さらにずっと広いのです。

今ある取り組みも含めて「人権」という枠組みで再整理を

改めて、冒頭の問いーー「すでにハラスメント研修や働き方改革に取り組んでいるが、新たに『人権』の取り組みが必要なのか?」に立ち返ってみましょう。

「人権リスク」の中にはハラスメントや長時間労働も含まれるため、すでにそれらに取り組んでいる場合、必ずしもゼロから「人権」の取り組みを考え直す必要はありません。ただし、企業が対応すべき「人権リスク」には他にもさまざまなものがあるため、今やっていることだけでは「人権」の取り組みとして十分ではない可能性があります。

このため、企業は「自社にとって重要な人権リスクへの対応が漏れていないか」を確認する必要があります。まずは自社の従業員だけでなく、事業活動によって影響を受ける可能性がある全ての人について、どんな人権リスクがあり得るのかを洗い出してみましょう。その中で特に被害者への影響が深刻で、かつ起きる可能性の高い「重要な人権リスク」を特定します。重要な人権リスクが分かったら、それらについて今できていることとそうでないことを整理し、追加で必要な対応を考えていきます。

例えば、製造業の企業で重要な人権リスクになる可能性が高い「労働安全衛生」については、安全教育の実施や保護具の提供など、労災防止の観点からすでに取り組んでいる企業が多いでしょう。このように人権尊重につながる取り組みがすでにある場合は、それを続けながら、必要に応じ見直しや追加の対応を行っていくことになります。

一方、例えば製造委託先の工場で外国人労働者の強制労働リスクがあると新たに分かった場合には、さらなる取り組みが必要です。実態把握のための調査を行ったり、問題が発見された場合は委託先に改善の働きかけを行ったりと、新たに対応すべきことを考えます。

すでにある取り組みと新たな対応を整理し、公表している好事例として、キヤノンの例を見てみましょう。同社は投資家なども参照する、企業の人権の取り組みに関するNGOの評価「企業人権ベンチマーク」で、日本企業の中で比較的高い評価を得ている企業の一つです。2021年から人権デューディリジェンスの取り組みを本格化させ、ウェブサイト上に「キヤノンにおける顕著な人権リスク」とそれらへの対応を公表しています。

「顕著な人権リスク」の一つであるハラスメントに関しては、ハラスメントの禁止を明記した「就業規則」「ハラスメント防止規程」を制定・周知するなど従来から行っている取り組みに加えて、近年の働き方・生活様式・コミュニケーションスタイルなどの変化を受け、2024年にハラスメント防止のeラーニングプログラムを実施しています。

また、サプライチェーン上の児童労働や強制労働については、2019年からグローバルサプライチェーンにおける社会的責任を推進する企業同盟(RBA:Responsible Business Alliance)に加盟していることに加え、近年ますます重要になる気候変動や人権などの課題に対応するため、「キヤノン サステナビリティ サプライヤー ガイドライン」を2024年7月に発行して取り組みを強化しています。

このように、すでにある取り組みを土台にしつつ、新たな施策も含めて「人権」という枠組みで再整理し、対応を拡大していくことが重要です。

「重要なリスクに手が打たれているか」がポイント

結局のところ、すでにある取り組みであれ新しいものであれ「自社の重要な人権リスクに充分な手が打たれているか」が大事なポイントになります。投資家などから人権対応について質問された際に、「わが社はハラスメントの問題に取り組んでいる」と説明したとしても「あなたの会社では他に重要な人権リスクはないのか。それらにどう取り組もうと考えているのか」と問われることになり、そこに答えられるようにしておかなければなりません。

そのためにも、まずは「人権リスク」が「社内のハラスメントや長時間労働」にとどまらず広い範囲を指すものだと認識した上で、自社の重要な人権リスクを把握し、「これまで通り注力していくべきこと/新たに取り組むべきこと」をそれぞれ整理して考えていきましょう。

「人権」の取り組みについて、狭く捉えすぎることもなく、また全く新しいものと身構えすぎることもなく進めていくイメージが少しつかめたでしょうか。次回は、すでに多くの企業が取り組んでいるものの、なかなか解決が難しい人権リスクの代表例であるハラスメントについて考えていきたいと思います。

【参照サイト】
キヤノンのウェブサイト(人権の尊重)
https://global.canon/ja/sustainability/society/human-rights/initiatives/

written by

石井 麻梨(いしい・まり)

株式会社オウルズコンサルティンググループ シニアマネージャー

内閣府、財務省、デロイト トーマツ コンサルティング合同会社を経て現職。東京大学教養学部国際関係論学科卒。ロンドン大学政治経済学院行政学修士。現職では多くの企業の「ビジネスと人権」対応を支援。著書に『すべての企業人のためのビジネスと人権入門』(共著: 日経BP 社)がある他、経済産業省「ビジネスと人権」セミナー講師(2021年)、福岡市主催「働く人の新教養 ビジネスと人権」セミナー講師(2023年)等、登壇実績多数。労働・人権分野の国際規格「SA8000」基礎監査人コース修了。

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