
「靴があれば学校に行ける。靴があれば母さんを助けられる。靴があれば妹を探せる。靴があれば戦える。復讐(ふくしゅう)したい。この不平等な世界に僕は復讐したい」ーー。紛争で父を亡くし、母や妹と離れ離れになったコンゴ出身の少年が、ウガンダの難民居住区で書いた手紙だ。
「学校を軍事標的としないために 紛争下の教育を守る『学校保護宣言』」と題したイベントが8月下旬に東京都内で行われ、イラン出身の俳優、サヘル・ローズさんと、国連広報センター所長の根本かおるさんが対談した。その場でサヘルさんはこの手紙を読み上げ、教育が暴力の連鎖を断つために果たす役割を強調。世界各地で紛争が絶えない中、2015年に多国間協議の下に策定された「学校保護宣言」に日本は主要7カ国(G7)で唯一賛同していない。紛争地で暮らす子どもたちの教育を守っていくために、今、私たちに何ができるのか。
戦争の記憶と教育の力
サヘルさんはイラン・イラク戦争で家族を失い、孤児院で幼少期を過ごした。養母と出会って日本に渡り、言葉の壁に苦しみながらも教育を受けられたことが、その後の人生を大きく変えたという。「文字の読み書きができるようになったことで、社会を俯瞰(ふかん)して、他者を思いやる心の余白を持てた」
サヘルさんは俳優・タレント業と並行して難民支援活動を続け、現地の学校やキャンプで多くの子どもたちと出会ってきた。「教育を受けられない子どもたちは物乞いや犯罪に追い込まれ、心に憎しみの種を植え付けられる。そうさせないのが学校という存在」。手紙を朗読したウガンダ難民居住地の少年にも思いを巡らせ、「もし彼が学校に通えなくなれば、ペンを置き、手に『復讐』という武器を持って、相手を殺(あや)めてしまうかもしれない」と静かに語った。
難民キャンプの子どもたちが、学校で見せる笑顔が印象的だという。「子どもたちは家では、紛争で心がズタズタになった親のケアを一生懸命頑張っている。学校では子どもらしく無邪気に騒いで、心を解放できる。しかし、戦争で最初に狙われるのは教師や学者。図書館や学校は破壊され、知識が消されていく」
世界で進む「エデュサイド」

サヘルさんの語りを裏付けるのは、国際社会の深刻なデータだ。2024年には世界36カ国で61の紛争が発生し、約4億7300万人の子どもたちが紛争地に暮らしているという。また、2022〜2023年の2年間で約6000件の教育への攻撃が報告され、約1万人の生徒や教員らが殺されたり、負傷したりしている。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で難民支援に携わってきた根本さんは、この状況を「エデュサイド(教育のジェノサイド)」と呼ぶ。「学校や大学の破壊は建物だけでなく、未来そのものを破壊する行為。意図的に教育をワイプアウト(消去する)動きが世界各地で進んでいる。すごく怒りを感じる」
根本さんは難民キャンプで、うれしそうに通学する子どもたちの姿を見てきた。「学校は教育権を保障するだけでなく、紛争で失った日常を取り戻す場所。子どもたちの夢であり、心のよりどころになっている。守らないといけない」
G7で未賛同は日本だけ
こうした教育への攻撃の深刻化を受け、2015年に「学校保護宣言(Safe Schools Declaration)」が策定された。宣言は、紛争下でも学校や大学を攻撃・軍事利用から守るための国際的なガイドラインを示すものだ。法的拘束力はないが、各国が政策や軍事マニュアルに反映することで現場での被害軽減を狙う。
ガイドラインには「軍事利用の目的で学校を使用しない」「紛争中でも学校を意図的に破壊しない」「敵が学校を軍事利用している場合でも、攻撃前に代替手段を検討する」などがあり、すでに成果が出始めているという。
公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンによれば、アフガニスタンやイラクなど賛同国13カ国では、2015年〜2020年にかけて学校や大学の軍事利用の報告件数が半減。デンマークやスイスは軍事マニュアルを改訂し、学校の軍事利用を明確に禁止する規定を追加した。ロシアとの戦争が続くウクライナでは、2021年に「学校保護宣言 行動計画」を策定し、教育施設への攻撃データの収集・公開を進めているという。

国連安全保障理事会も2021年に決議を採択し、学校保護宣言への支持を表明。今年1月には米国も賛同し、賛同国は121カ国まで拡大している。しかし日本はG7で唯一、未賛同だ。日本政府は「国際人道法の義務を超える内容がある」(2023年4月の国会答弁)と慎重姿勢を崩さないが、根本さんは「人道法を補強し、実効性を高めるための枠組み」と強調。「世界のリーダーであるG7の国々がリーダーシップを発揮してほしい」と期待する。
こうした動きを受け、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンや国連広報センターなどは、2025年4月に「学校保護宣言キャンペーン」を開始。今回の対談もその一環で、賛同署名を呼びかけている。署名はオンラインで誰でも参加でき、集まった声は政府や国会議員に届けられる。キャンペーンは2025年12月まで継続する予定で、目標は10万筆。事務局を務めるセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは「全ての子どもたちが安心・安全な環境で教育を受けられる世界を実現したい」としている。
教育を守ることは社会を守ること

対談の終盤、2人は「教育を守ることは世界の安定、日本の安全保障にも直結する」と強調した。サヘルさんは「遠くの問題ではなく、エネルギーや食料は世界とつながっている。学校保護宣言という教育を守るためのルールは、今後の日本社会にとっても必要。ぜひ関心を持ってほしい」と訴えた。
難民キャンプの子どもたちの言葉は重く、学校や教育の重要性を十分に示している。学校保護宣言は、武力ではなく「ルールと共感」で子どもたちの未来を守ろうとする、国際社会の意思表示だ。「G7で唯一の未賛同国」である日本が、そこにどう向き合うか。署名キャンペーンの動向と合わせて、注目したい。
【学校保護宣言キャンペーン署名サイト】 ・Change.org(18歳以上) ・あすのコンパス(18歳未満) |
眞崎 裕史 (まっさき・ひろし)
サステナブル・ブランド ジャパン編集局 デスク・記者
地方紙記者として12年間、地域の話題などを取材。フリーランスのライター・編集者を経て、2025年春からサステナブル・ブランド ジャパン編集局に所属。「誰もが生きやすい社会へ」のテーマを胸に、幅広く取材活動を行う。