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ブランドが社会とつながる、持続可能な未来へ  「サステナブル・ブランド ジャパン」 提携メディア:SB.com(Sustainable Life Media, Inc.)

V字回復の観光商店街、分断の時代に「環境と共生し世代つなぐ」覚悟

かつて衰退の一途を辿り閑古鳥が鳴いていたという熊本・阿蘇の門前町商店街。2000年頃から各店舗を経営する親子2世代が一丸となり、湧き水を活用したブランディングによって見事に観光商店街としてV字回復を果たした。一時は年間35万人が訪れるまでに賑わいを取り戻し、モデルケースとして全国から注目を集めた。輝かしい成功体験を持つ商店街は、2016年の熊本地震、そしてコロナ禍という分断の時代にどのように向き合うのか。中心人物で飲食店「阿蘇 はなびし」を営む宮本博史さんは「100年後、200年後も地域は続く。世代の承継が課題」とその覚悟を語った。(サステナブル・ブランド ジャパン編集局=沖本 啓一)

2000年代、消さなかった灯

約2300年前に創立されたと言われる阿蘇神社は広大な草原が広がる阿蘇山麓、阿蘇くじゅう国立公園の北側に位置し、全国に約500ある阿蘇神社の総本山だ。

門前町商店街は、その名の通り阿蘇神社の門前町にある商店街。かつては地域の住民に親しまれ栄えていたが、1990年代後半以降、近隣に進出した大型店の影響で衰退。隣接する阿蘇神社には年間25万人の観光客が訪れる一方、商店街は地元紙に「消えゆく灯(ともしび)」とまで評されたという。

危機感を持った事業者たちは、観光客にターゲットし、カルデラに育まれた豊富な湧き水を活用したブランディングを開始した。2000年代に入ると、地元に戻り店を継いだ「2代目」を中心に「若きゃもん会」を設立し桜を植樹する、看板に統一感を出す、夏祭りの活性化や、商品の開発などに積極的に取り組んだ。正確には「商店街」に属さない、近隣の商店やスポットも巻き込んだ「水基巡りの商店街」は、テレビで紹介されたことをきっかけに、一時は年間35万人もの観光客を呼び込んだ。

案内をしてくれた石松昭信・阿蘇市経済部観光課 課長補佐
「火山の土地は『火の国』ではなく『水の国』」と石松氏。カルデラによって蓄えられた地下水が湧きだす町並み
商店・建物ごとに湧き水スポット(=水基)を設置。自由に名付けられている。熊本銀行宮地支店前には「金脈の泉」

門前町商店街はシャッター街になる一歩手前から見事に返り咲き、2010年代には「モデルケース」として全国の商店街や自治体から視察が訪れるまでになった。

「阿蘇はなびし」の宮本博史さん

「太古から阿蘇神社の神事・祭事を通して暮らしの節目を見てきた場所が門前町。良い時代も悪い時代もあったでしょうが、僕たちが戻ってきた時は『良い時代』とは程遠かった」と話すのは「若きゃもん会」の立役者でもある、「阿蘇はなびし」の宮本博史さん。バブルの終焉の頃、当時20代半ばで地元の阿蘇に戻った「2代目」世代だ。

90年代後半、地域に大型店が進出し、金物屋などの専門商店が成り立たなくなっていく時代だ。門前町商店街に6軒あった肉屋は1軒になり、時計屋も商店街の中では1軒となった。

「父親の世代も、『若いもんにはまだ負けん』なんて言っていられない、もうこれ以上は無理だという時でした。だから、自分たちの世代とコミュニケーションを取っていくしかないという感じではなかったかと思います」

宮本さんは「商店街の事業の根っこにあるのは世代の承継です」と話す。かくして親世代が着目していた「湧き水」という地域資源を生かしながら、阿蘇地域振興デザインセンターの坂元 英俊局長の助言得て、商店街の看板に統一感をだしたり、新たな目玉商品を開発したり、といった商店街の再興を進めた。

文房具店には手ぬぐいに包まれたおみくじ。水にひたすと文字が浮き上がる。店の前には水基「文豪の泉」
「とり宮」の軒先に吊るされたとうもろこしは昭和25年頃まで行われていた「阿蘇とうきびの軒先掛け」の再現。かつて阿蘇の秋から冬にかけての風物詩だったという

商店街は一気に変化したわけではない。少し店先のお色直しをしたり、小さな変化の連続だったという。商店街の取り組みには、各事業者がいつ参加してもいいし、しなくてもいい。ただ、いつでも参加できるように時間割を組み立て、声掛けをしていた。

成功したとは思っていない

珍しい横参道の阿蘇神社、重要文化財の楼門は2016年の熊本地震で倒壊した。修復は2023年に完了する予定で、現在は仮設の足場の覆いに「書き割り」が描かれている

前述の通り商店街は以前以上に賑わうようになった。しかし「今になって、商店街が成功したとは思っていない」と宮本さんは言う。2014年頃からの阿蘇山噴火や、2016年の熊本地震、そしてコロナ禍と立て続けの自然災害によって再び客足が遠のいているのが現状だ。

「以前のように商店街の連携ができてないのが、今なのかもしれんですね」とこぼす。「熊本地震のあと2019年までは、なんとか皆でことを起こしてきたんですけど、コロナ禍になった瞬間から集まることすらできなくなって」(宮本さん)

特に1カ月~1カ月半続いた「営業自粛」が痛手だった、という。宮本さんは自戒を込めてこう話す。

「その時に経営者も、商店街の人たちも『個』に戻ったんですね。店舗を再開したときに、今までは『商店街全体』の協調を優先していたのが、『個社』の優先順位が1位になってしまって。僕もそうですよ」

まずは各商店が生き残ることに集中する必要が出てきた。もちろん、それは悪いことではなく当然の帰結でもある。そんな中でも今の一番の課題は、「世代承継」だという。かつて自分たちが親の世代から商店を継いだように、いかに次の世代につなぐか。

商売のことだけを考えれば、「お取り寄せ」に対応できるように工場だけを経営し店舗を畳んだほうが効率的だが、それは「危険な考え方」だと宮本さんは話す。

「建築から170年間、阿蘇神社の楼門は立ち続け、地震で『休憩』、初めて座ったんですが、 (修復が終われば)また次の100年、200年、300年と立ち続けるんです。商店街も門前町として続くわけです。

この店(「はなびし」)はもともと大正13年に建てられた店でしたが、熊本地震で大規模半壊したことをきっかけに古民家再生という選択肢を選んだんです。100年後、200年後も楼門に寄り添う建築物をここに作ろう、と」

「はなびし」店舗

宮本さんにとって地域の活性、商店の店舗としての存続、世代を引き継ぐということは一体だ。「店に暖簾をかけながら、暖簾が売りになる食品加工を」と模索し続けている。明るい兆しもある。コロナ禍で「地方分散」が重要視されるように、「脱東京」をして地元に戻ってくる20代の若者が阿蘇地域にも見られるという。

地域の生業をつなげ続ける

「水基巡り」の湧き水は商店街の外にもある。門前町商店街から徒歩3分、明治時代の女学校跡敷地内の「かんざらしの店 結」もそのひとつ。「結」は15年程前に女学校跡を買い取った木下 英夫さんが経営する店だ。もともと「湧き水の魅力に惹かれた」ことがこの場所に店を構えたきっかけだという。かんざらしとは、冷たい水に晒した白玉団子のこと。

水の音が心地いい「結」店内

「商店街の皆さんが、来た人に水を見ていただくというまちづくりを進めていました。私も水が好きで、私の湧き水に対する思い入れと、まったく方向が一緒だったんです。結果として水基巡りの仲間に加えていただいて」(木下さん)

今では、女学校跡内に数棟ある木造校舎を若者に貸し出しており、アンティークショップやお洒落なカフェが営まれている。「意外と古いものが好きな若い人がいるんですね」と木下さんは笑顔を見せる。

木下 英夫さん

2度目の緊急事態宣言が出る前の2020年12月、平日にも関わらず商店街や女学校跡にはちらほらと観光客の姿も。女学校跡のカフェには地元の知り合いらしき人が訪れていた。「成功したと考えていない」という宮本さんたちのまいた「つながり」は、世代や地域を今もつなげているのかもしれない。そして人や世代間だけではない「つながり」もある。

「災害が無ければ、『V字回復だ』ともっと天狗になっていたと思います。実際には自然や環境に鼻を折られて、よく考えれば自然のど真ん中で暮らして、生業をさせてもらっているわけで、この共生が宿命じゃないですか、ここで生きて、商売していく上で」(宮本さん)

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沖本 啓一(おきもと・けいいち)

Sustainable Brands Japan 編集局。フリーランスで活動後、持続可能性というテーマに出会い地に足を着ける。好きな食べ物は鯖の味噌煮。