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ブランドが社会とつながる、持続可能な未来へ  「サステナブル・ブランド ジャパン」 提携メディア:SB.com(Sustainable Brands, PBC)

「社会の中、救いを求める声やチャレンジする人々の声に耳を傾ければ未来は開ける」女性起業家の先駆け今野社長が見る、これからの企業・組織の課題

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インターネットやスマートフォンが社会に浸透している現代から遡ること約50年。まだ人々が気軽に電話をかけられる時代ではなかった1969年にダイヤル・サービス(東京・千代田)は誕生した。手掛けたのは世界初の双方向電話情報サービス事業。以降、「赤ちゃん110番」「子ども110番」「ヤング・トーク・トーク」にはじまり、「メンタルヘルス・ホットライン」「セクハラ・人間関係ホットライン」「企業倫理ホットライン」まで、時代にあった事業を次々と展開し続けてきた。創業者であり現社長の今野由梨氏は、日本における女性起業家の草分け的存在であり、多くのベンチャー企業を支援してきたことから「ベンチャーの母」、さらに今やアジアの国々で「国境なきお母さん」と呼ばれて活躍している。女性活躍とはほど遠い時代に道なき道を切り開き、長く世の中の声を聞き続けてきた今野氏は今、社会のどのような声に耳を傾けようとしているのだろうか。(笠井美春)

「女性はいらない」と就職できず起業 社会を変えてみせると決意した20代

三重県桑名市に生まれ、上京して津田塾大学に進学。大学卒業後、「10年後に起業をする!」と誓いを立てて海外へ。アルバイトや欧米企業視察を経て、念願の起業を果たす。

まるで現代の若者の話のようだが、これは幼少期に第二次世界大戦を生き抜いた、1936年生まれ、現在85歳となる女性起業家のストーリーだ。

「その時代に本当にそんなことできたの?と、よく訝しがられるんですよ。でも、実際にやってきたんですから、信じてもらうしかないですよね」と、当事者である今野由梨社長は柔らかな笑顔を浮かべる。

起業を目指したきっかけは、「女性の私を必要としてくれる会社がなかったから」。日本において「女性の社会進出」が現実味のない夢だった1960年代。4年制大学を卒業した22歳の今野氏にとって、就職はとてつもなく高い壁だったのだ。

起業するまでの10年を振り返ってもらうと、4つのアルバイトを掛け持ちして何とか生活費を稼いでいた20代。27歳でつかんだニューヨーク世界博覧会(1964年)でのコンパニオン・広報委員としての仕事や現地での女性起業家との出会い。それを足掛かりに欧米でさまざまな企業を視察、ドイツで仕事を手掛けるも失敗……。などなど、今野氏の話は実に多事多難だった。しかしその中で、数々の運命的な出会いを経て、着実に起業へと歩みを進めていく今野氏。その姿に、決して折れることのない「しなやかさ」を感じずにはいられなかった。

「女性起業家などいなかった時代。“自分の意見を言うような女性は必要ない”というようなことをよく言われましたが、だからこそ、“女性が活躍できる会社を作り、未来を変えてみせる”という信念がわいてきました」

ダイヤル・サービスの事業の根底にある「耳を傾ける」「対話する」ことの重要性

生半可な気持ちではやり切ることのできない起業という目標。今野氏は、多くの反対意見に合いつつも不屈の精神でそれを実現させた。設立時のダイヤル・サービスの社員は、女性7人。「女性が発信するメディア」を掲げてのスタートだったが、日本発の電話サービス事業は、さまざまな衝突を生んだのだという。

例えば1971年に今野氏がスタートした世界初の電話相談サービス「赤ちゃん110番」の話を紹介しよう。急速な核家族化で育児ノイローゼから子どもを手にかけてしまう事件が多発していた当時、「育児に悩む母親たちを助けたい」とスタートしたこのサービスでは、育児に悩む母親たちからの電話が殺到し、電話回線をパンクさせるほどの反響だった。

しかし、回線をパンクさせたとして電電公社(現NTT)に連行され始末書を取られることに。さらに、国に情報料を通話料に上乗せする制度を提案しようとするも、これも当時の法律に阻まれた。今野氏は電電公社や行政にその必要性を掛け合い続け、結果として約20年かけて法改正を勝ち取るのだが、道なき道を切り開くのは並大抵のことではなかっただろう。

では、それでも今野氏を前に進ませる、その原動力とは一体何なのだろうか。

「社会の中に、電話回線をパンクさせるほどの人々の救いを求める声を聞いてしまったからです。それに見向きもせずに、経済成長だけを目指して突き進む風潮が当時の世の中にはあって、じゃあ私がやらなくちゃ、皆さんの悲鳴に耳を傾けなくてはと思っていましたね。多少の反対や困難で、やめるわけにはいかなかったんです」

「赤ちゃん110番」に続いて、同社は時代の声を反映した相談サービスを次々に作った。その領域は、育児、いじめ、健康相談、メンタルヘルス、ハラスメント、企業倫理など実に幅広い。また、時代に合わせてさらに事業を広げ、今ではその領域は、電話やメール、SNSを使った相談窓口の提供から、研修などの人材育成など多岐にわたっている。

「どのサービスも、社会全体のニーズを掬いとって作ってきました。まずは社会の、人々の声を真摯に聞くこと。そして確固たる専門知識や心のこもった対話をもって、解決に結びつけるサポートを考え抜くこと。そこから世の中をよくしていきたい。それが私たちの使命だと考えています」

創業から53年経った今現在は、サービスの提供先も国や自治体をはじめ、グローバル企業からベンチャー企業までさまざまだ。コンプライアンス体制構築のニーズの高まりから2003年にスタートした企業倫理ホットラインは、日本初の民間の外部通報窓口として多くの企業に導入されているのだという。

またコロナ禍においても、厚生労働省と連携しダイヤモンド・プリンセス号の乗客やクルーのための相談窓口をいち早く開設。未知のウイルスとの闘いの中で、厳しい毎日を送っていただろう彼らの救いの窓口になったことは想像に難くない。

まさに、「今必要な場所」に希望への扉を作ってきた同社は、コロナ禍を経て、企業の在り方や人々の働き方が変容する中で、次はどのような扉を開けていくのだろうか。その問いに、今野氏はこう答えた。

「その答えは、いつも人々の声の中にあるんです。日々変化し続ける時代の風が生み出す社会の、人々の悲喜交交の声を聴き、寄り添いながら、次の新しい扉を開いてゆくのです」

女性活躍が謳われる今、今野氏が思うこと:「安心して働くことのできる文化を作ることが大切」

まさに時代の先駆者として、50年以上も活躍してきた今野氏。その目に、女性活躍を謳う今の日本はどう映っているのかを問うと、「私が会社を起こした53年前とは、同じ国とは思えないですね」と今野氏は語った。

「女性の経営者も、企業で活躍する女性もたくさんいらっしゃって、社会の変化を大きく感じます。ただ、それが形だけになっていないかという点については、大いに気がかりです」

家庭や育児、介護などさまざまな事情と仕事の両立が無理なくできているのか、そのための環境づくりができているのか。今野氏は、各企業、組織が、社員の声に耳を傾けて自らの課題に気づき、真摯に向き合っていくことが、これからは重要になっていくと示唆した。

「私たちの会社は、創業から長い間、女性の従業員しかいない時代が続いていました。その中で、やはり結婚、出産そして介護などのライフイベントで退職する人もいたんです。私から見れば、本当にもったいない人材が、子育てとの両立が難しいといった理由で会社を去っていく。これは辛かったですし、会社として大きな痛手でしたね。だからこそ、手探りで働き方を開発してきたんです」

その言葉どおり、同社はさまざまなワークスタイルで働くことが可能な仕組みを作っている。タイムシェアリング、ジョブシェアリング、在宅勤務、フレックスタイム、そして育児休業からの復帰制度など。これら多種多様な選択肢を作ったのは、その当事者である社員たちなのだと今野氏は語った。

「どうすれば辞めずに働き続けられるのか提案してほしいと、社員の皆にアイデアを出してもらったんです。そうすると本当にさまざまな方法が出てきて、なるほどと思いましたね。まさに働く人が自らの手で作った就業規則。私からのお願いは、会社の負担やコスト増により経営困難になるような内容にはしないでほしい、ということだけ。あとは自由に作ってよいとお願いした結果、すばらしい働き方を実現できていると感じています。女性として人生経験の少ない私にはとてもできない素晴らしい成果でした」

驚くべきは、これが約40年も前の話だということだ。その時代、日本でどれだけの企業がこういった考えを持ち、取り組みをしていただろうか。

持続可能性、女性活躍などが日本でも叫ばれるようになったのは、まだここ数年のこと。だからこそ、今野氏は今の日本を見て、「半世紀も前から国には提案し続けてきたのにようやく、気づいてくれたんですね」としみじみと語る。

最後に、これからの企業、組織づくりについての考えを聞くと、今野氏は、「何よりも社員の皆さんが、安心して働くことのできる文化を作ることが大切」と語った。そのためには各組織で、誰もが声をあげることができる、風通しのよい雰囲気、仕組みを作っていかなくてはならない。そのサポートができればとの考えだ。

「気づいていても踏み出せない。その理由は、制度やルール、上からの評価だったりします。柔軟に変化し、よりよい社会を創るためには、そういったものを乗り越えていくことも必要です。ダイヤル・サービスは、不安や悩みを抱えた方はもちろん、一歩踏み出したい時代のチャレンジャーの方の窓口にもなっていきたいですね」

起業家としてまだまだできることがあるはず、と次の時代に意欲を燃やす今野氏。その耳に次はどのような声が届くのか。新たなサービスの行方とともに、しなやかなその生き方にも注目をしていきたいと感じた。

今野由梨社長は2月24日、セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文・名誉顧問と共に「サステナブル・ブランド国際会議」の「コーポレートガバナンス」セッション(13:45-15:00)に登壇されます。

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笠井美春(かさい・みはる)

愛媛県今治市出身。早稲田大学第一文学部にて文芸を専修。卒業後、株式会社博展において秘書、採用、人材育成、広報に携わったのち、2011年からフリーライターへ。企業誌や雑誌で幅広く取材、インタビュー原稿に携わり、2019年からは中学道徳教科書において創作文も執筆中。