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多様な人が働ける能登を未来につなぐ――震災から1年、創造的復興へプロジェクト始動

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クラウドファンディングのキックオフに向けて「頑張るぞ」と気合いを見せる、総持寺通り商店街のメンバーとNOTOTO.のメンバーら(昨年12月、Photograhed by Mitsue Nagase)

元日早々に日本中に衝撃と悲しみが走った能登半島地震が起きて1年、新しい年を迎えた。9月には豪雨被害にも見舞われた被災地は、いまだに水道が復旧していない地域もあり、豪雨後に一度は住めなくなった仮設住宅に再び戻って暮らす人たち、壊れた家屋にブルーシートを覆ったままの家で厳しい冬を耐え忍ぶ人たちも少なくない。

それでも、人々は前を向く。地震で甚大な被害を受けた、輪島市門前町の総持寺(そうじじ)通り商店街では11月に仮設商店街での営業が始まり、地元のため、みんなのためにもう一度商売をしようという人たちが営業を再開している。2025年1月1日には、同商店街を第1弾に、「多様な人が働ける能登を未来に繋(つな)ぐ」と銘打ったクラウドファンディングもスタートした。「創造的復興」に向けた能登の支援の在り方とは?――。(廣末智子)

・伴走支援の「NOTOTO.」

「多様性」を復興の柱に

今回、クラウドファンディングを始めたのは、一般財団法人「NOTOTO.(のとと、金沢市)」。共同代表の1人、松中権さんは東京を拠点にLGBTQ +の人たちへの支援活動を行っていることで知られるが、出身は金沢で、地震の当日も金沢にいたことから、翌日には有志のメンバーと共に民間の支援物資を現地に届ける事務局を立ち上げた。この組織をもとに4月にはNOTOTO.を設立。休眠預金制度を活用し、3年間をめどとする、能登の中長期の創造的復興をサポートするための伴走支援を行っている。

NOTOTO.のメンバーは、松中さんのほか、建築や不動産、デザイン、障がい者支援、生物多様性など、さまざまな専門的知見とバックグラウンドを持つ、輪島や珠洲など被災地と、金沢市の人たちで構成。もともと高齢化が進んでいた上、地震で人口の流出が加速する能登に、人をつなぎ止め、人と人をつないでいくための居場所づくりなどに力を入れてきた。

※「休眠預金」とは、国⺠が持っている銀⾏⼝座の中で、10年間出し⼊れのない預⾦のことを指し、払い戻し額を差し引くと毎年約700 億円程度発⽣。2018 年1 ⽉1 ⽇に施行された「⺠間公益活動を促進するための休眠預⾦等に係る活⽤に関する法律」(休眠預⾦等活⽤法)によって、2009 年1 ⽉1 ⽇以降10 年以上⼊出⾦などの取引が⾏われていない預⾦等は預⾦保険機構に移管され、⺠間公益活動の促進に活⽤されることとなった(⽇本⺠間公益活動連携機構(JANPIA)のサイトより)

NOTOTO.の体制と、構成するメンバー

美しい里山と里海が広がる中で、人々が歴史と文化を育んできた能登は、家父長制や男性中心主義といった伝統的な価値観が今も色濃く残る地域の一つでもある。そうした昔ながらのコミュニティにあって、「多様性」を復興の柱に据えるのが、NOTOTO.の大きな特徴だ。

・支援地、総持寺通り商店街の現状を住民が報告

復興は進んでいないが、団結力は逆に増している

大きな被害を受けた、地震直後の、輪島市門前町総持寺通り商店街の様子 (Photograhed by Mitsue Nagase)

今回、クラウドファンディングの支援地となる総持寺通り商店街は、平成19年(2007年)に発生した震度6強の能登半島地震でも打撃を受けたが、令和6年能登半島地震では35店舗のうち約20店舗が全壊や大規模半壊となるなど、かつてない甚大な被害を受けた。

昨年末に都内で開かれたクラウドファンディングのキックオフ会見には、同商店街から、門前町の歴史資料館である「櫛比の庄(くしひのしょう)禅の里交流館」の管理人で、NOTOTO. の理事も務める宮下杏⾥さんらが参加。地震から1年が経つ今の状況を、宮下さんは、「少し前に避難所も閉鎖され、みんなが仮設住宅に入れた。水が使え、電波が届き、電気が使えるようになるなど、人間が生きていく上で当たり前のことは少しずつできるようにはなってきた」とした上で、「がれきの上に雪が降り積り、まだまだ屋根をブルーシートで覆っているだけの家や、納屋で暮らしている人もたくさんいる。復興に関してはまだ5%ぐらいしか進んでいない」と実感を込めて伝えた。

地震の前から過疎化と高齢化の進む能登では今、地震と豪雨のダブル被害による人口流出が大きな課題となって立ちはだかる。70%以上が高齢者の門前町でもその状況は深刻だが、2020年に故郷の門前町にUターンして以来、町を見守ってきたという宮下さんによると、町や商店街の中には、前向きな変化も生まれている。地震以降、店主らの間に、「門前から子どもたちが離れないでいいように、みんなが外に出ていってしまうのをなんとか阻止し、一緒に復興していこうという団結力が増えてきているという実感がある」というのだ。

まちづくりについて話し合う、総持寺通り商店街の人たち (Photograhed by Mitsue Nagase)

そうした中、昨年11月にはプレハブの仮設店舗もオープンし、現在、和菓子店や呉服店、食事処や理容店といった小売・サービス業のほか、自動車工場や司法書士事務所などを含めた25店が営業を再開している。ただそれらは、「稼ごうというよりは、『ここの和菓子が早く食べたい』といった住民の声に応え、『みんなのために作らないといけない』というように、改めて地域を支える思いから、なりわいが復活している」(宮下さん)のが実際の感覚で、復興を見据えた町づくりは一歩一歩進み始めたばかりの状況だ。

「集える場所であり、働ける場所」としての“ランドリーカフェ”を

コインランドリーの内部と外観のイメージ

そんな同商店街の店主や住民が、今回のクラウドファンディングを通してかなえたいことを話し合った結果、決まったのが、「集える場所であり、働ける場所」として、コインランドリーにカフェを併設した“ランドリーカフェ”を立ち上げることだ。

なぜコインランドリーなのか。寒さが厳しく、雨も雪も多い能登では冬場は特に、大きな布ものなどの洗濯物がなかなか乾かない。地元に唯一あったコインランドリーは地震で廃業となり、住民は狭い仮設住宅で、布団などはなかなか洗えない状況が続いている。コインランドリーがないことが、不便な暮らしをより不便にしている。そして、洗濯場所として以上に住民が今、求めるのは、「集う場所」としてのコインランドリーだ。

今回のクラウドファンディングについて、総持寺通り協同組合副理事の五⼗嵐義憲さんは、前述の会見で、「地震があるたび、災害があるたびにさまざまな支援をしていただき、本当にありがたい」と、何度も感謝を口にした。そして話し合いを通じて決まったランドリーカフェを、「洗濯に来た人たちが話をするのもいいし、そういう人と人との付き合いができる場所として必要だ」と地域になくてはならないものであることを強調。そうした人付き合いを通して、「やはり、地元で商業に携わる人たちに、もう一回ここで商売をしたいと思わせることが大事かなあと感じている」と、とつとつと語った。

働くとは、心身の健康を保ち、人と人がつながっていると実感すること

昨年12月には、記者会見を開いて総持寺通り商店街の現状を報告し、支援を呼びかけた。左2人目から、地元総持寺通り商店街の五⼗嵐義憲さんと、宮下杏里さん、松中権さん

クラウドファンディング「多様な人が『働ける能登』を未来に繋ぐ」は3カ月間で総額1000万円を目標に、1月1日にスタート。7日午前11時時点で204万円が集まっている。資金は同商店街にランドリーカフェを立ち上げるためのコンテナハウスの確保や、そこで働くひとたちのサポートなどに充てる計画だ。

地震から1年経ってもいまだインフラ復旧も道半ばで、災害ボランティアの不足が長期化するなど、復興の道のりの険しさが突きつけられる能登半島。今回のクラウドファンディングはその創造的復興に向けた支援の第1弾の位置付けで、NOTOTO.共同代表の松中権さんは、「働くということは収入の糧になるのはもちろん、心身の健康を保ち、生きがいを感じ、人と人がつながっていることを実感することだ。今、能登から人が流出していかざるを得ない状況がある中で、まずは、このプロジェクトを通じて、今、門前に暮らす人たち、そしてこれから門前に来てくれる人たちが働きやすい場所を創出していきたい」と話している。

なお、今回のクラウドファンディングサービスを展開するREADYFOR(東京・千代田)によると、令和6年能登半島地震・豪雨に関するクラウドファンディング(特設ページ)では、さまざまなプロジェクトが実施済み、もしくは進行中で、運営手数料が無料となる「復旧・復興応援プログラム」を含め、これまでに約10億円の支援が生まれている。

廣末智子(ひろすえ・ともこ)

地方紙の記者として21年間、地域の生活に根差した取材活動を行う。2011年に退職し、フリーに。サステナビリティを通して、さまざまな現場の当事者の思いを発信中。