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樹齢500年を全うしたスギ 人と生き物の命見守り続け、銘木市場へ

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銘木市場に姿を現した直径2.5メートル、11.3立方メートルのスギの元玉(高知市仁井田の「高知県林材」)

土佐の山間で推定400〜500年前からひっそりと生をつないできたスギの巨木が2024年3月の終わりに伐採され、1カ月後に高知市の銘木市場で競りにかけられた。元玉の直径は2.5メートル。住宅建築が様変わりしたことで銘木の需要は激減したが、これほどの巨木になると競り場には神々しい雰囲気が漂う。人も動物も育み、見守ってきた巨木の価値は金銭では測れない。(依光隆明)

高知県土佐町地蔵寺の平石集落にある町指定天然記念物「毘沙門天の四本杉」のうち最大のスギ。樹齢は400〜500年、高さは40メートルを越える。四本杉は同時に植えられたらしく、小さなお堂の横に巨木が4本並んでいた。うち1本の巨木が枯れかけたため、地元森林組合の手で伐採することに。方法を考えていた時、最も大きいスギも傾いていることが分かった。調べると中が空洞になっている。「このままでは倒れる」と判断して最も大きいスギも伐採を決めた。

高知県土佐町の町指定天然記念物「毘沙門天の四本杉」。樹齢400〜500年、高さ40メートルを越える巨木が4本並んでいた。現在も2本が生き続ける(土佐町地蔵寺)

お堂は集落の入り口にあり、四本杉の近くには電線も通っている。そのまま切り倒せば電線を切る恐れがあるし、なにより地面に倒れた瞬間に木が割れる。それでは樹齢400年以上の銘木に申し訳ない、と立木のまま伐採する方法をとった。60トンのクレーン車とワイヤーで木を吊った状態にし、上部から順に玉切りするのである。圧倒的にコストはかかるが、木を大切にするにはこの方法しかなかった。

伐採役は地元森林組合から委託を受けた熟練職人の氏次真貴夫さん(66)だ。2日がかりで2本の巨木を玉切りしていった。大きい方のスギは、元玉の直径が2.5メートル。ガイドバー(刃の部分)が90センチと120センチのチェーンソーを使い、「90センチで切り回し、届かなかったところは120センチを使った」と説明する。

丁寧に切り落とされた大きなスギの切り株。直径は約2.5メートル。切り落とした時、中の空洞からは、ムササビや小動物が出てきたという

銘木の伐採を集落の人たちは、ひたすら見守っていた。

お堂のすぐそばで50年以上暮らす伊藤吏都子さん(79)は、その時の様子を「自分らは何にもできん。みんなが釘付けになって見よりました」と言う。切られたスギの樹齢は、「スマホで撮って拡大して数えた人がおって。年輪が400はあったと。『うろ(空洞のこと)』のところも恐らく100はあるということで、500年はたっちゅうろう(たっているだろう)ということです」と誇らしそうに語る。

切り倒されたうろからは、ムササビが数匹出てきた。「ほかにも『なんかおる』と言うので、穴の中をのぞいたら、小さい動物が天を向いてお腹を見せよりました」。樹齢500年のスギは、人だけでなく、生き物たちの暮らしも守り続けてきたのだ。「そりゃ長いこと、フクロウやらカラスやらいろいろな鳥も住みよったと思います」。歴史を経て今年、2本はその命を全うしたが、残り2本は地域の宝として命をつないだことになる。

解体を待つクジラさながら競りを待つ

大事に大事に玉切りされた木は、土佐町からトラックに乗せて高知市仁井田の高知県林材へ。4月24日、雨の降り続く中で競りにかけられた。120年生クラスのスギが並ぶ中、「毘沙門天の杉」は他を圧する迫力。特に大きい方のスギは、本州や九州からやってきた業者の目を奪った。元玉だけで11.3立方メートルあり、2番玉も8.1立方メートル。雨の中に元玉から3番玉までが並ぶさまは、さながら解体を待つクジラのような趣だ。

競りに参加した多くの人が「400年以上のスギなんて初めて」と漏らした。「昔ならものすごい値がしただろうに」とも。建築様式の変化で、銘木の需要は急速に減った。かつては天井板をはじめ、住宅のさまざまな部分に木が使われた。ここ30~40年でそれが一変、建築基準法の改定などをきっかけに在来工法の日本建築は急減し、銘木の用途もほとんど消えた。現在では「3寸半(約10.5センチ)の木材なら用途があるが、大きい木は使えない」という声すらある。需要の減少に伴って大径木の相場も崩れている。

競りの風景。競り人が元玉に乗って値を上げる

「どんな値になっても競り落とす」

「毘沙門天の杉」は他が終わったあとに競りにかけられた。西日本各地の業者が注目する中、最もいい単価をつけたのは小さいほうのスギの元玉(2立方メートル)だった。1立方メートル当たりが40万円で、2立方メートルで80万円。巨大スギの方は元玉が立方メートル単価18万円、2番玉が12万円だった。こちらはそれぞれ約200万円と約100万円になる。

この3品を競り落としたのは高知県津野町の林業家、稲田廣喜さん(74)だった。稲田さんは何度も高知県林材に足を運び、この巨木を眺め、手で触れた。足を運ぶたびにほれ込み、やがて夢にまで出てくるほど欲しくなった。もともと稲田さんは腕のいい大工だった。日本建築に使うならこの部分は天井板、この部分は柱、この部分は長押(なげし)という目で見たものの、そのような家を建てる人はまずいない。ではこの木をどう使うか。あれやこれやと考えながら、考えが決まらないままに決断した。「400年のスギが競りに出ることなんてない。何に使うのかは後回しにして、とにかく競り落とそう」と。

競りの前、稲田さんはこの3品を「どんな値になっても競り落とす」と心に決めていた。競りのラスト、大きい方の元玉を落とした瞬間に稲田さんは安どの笑顔を見せた。

伐採を担った氏次真貴夫さん(右)と、競り落とした稲田廣喜さん

稲田さんが競り落とした3品は、締めて約380万円(消費税込みで422万円)。くしくも切り出しと枝払い、搬送の経費と同じ価格だった。ほかの部分(3番玉や枝)は値が落ちるし、この巨木はトラックへの積み込み代(レッカー代)も出品側の負担。市場の手数料も要り、所有者側の実入りが多いとはいえない。コストと手間だけを考えると切り倒して割ってバイオマス発電に使うという選択もあったのかもしれない。

しかしこの木を見守った集落の人も、氏次さんも、稲田さんも、そんなことは想像すらしなかった。木は生き物だからだ。共通して流れる意識は敬意だと言っていい。

競り落とした後、伐採を担った氏次さんに稲田さんがあいさつした。「決して転売はしません。まだどう使うか決めていませんが、この木が望むように使わせてもらいますけ」。家具にするか、家屋の部材にするか、それとも……。「モニュメントにしてもえいと考えゆう。この木は腐らんき」。いずれにしろ、木と対話しながら使い道を決める。氏次さんは「これ以上置いておくと倒れたと思います。切るしかありませんでした」と前置きし、「僕の手で500年近く続いた命を断ち切らないかんかったという思いがありますねえ」。

巨木を見つめる目はみんなやさしい。500年前といえば織田信長や豊臣秀吉、長宗我部元親が生まれたころ。歴史の移ろいに巨木の命を重ね合わせ、その行く先を見守りたい。

依光 隆明 (よりみつ・たかあき)

高知新聞、朝日新聞記者を経てフリー。高知市在住。環境にかかわる問題や災害報道、不正融資など社会の出来事を幅広く取材してきた。2023年末、ローカルニュースサイトを立ち上げた。