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ブランドが社会とつながる、持続可能な未来へ  「サステナブル・ブランド ジャパン」 提携メディア:SB.com(Sustainable Brands, PBC)

今なぜ「人的資本」なのか――「開示」に終始せず、サステナビリティ経営との連動を根幹に

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SB-J コラムニスト・細田 悦弘 新春特別寄稿

Photo by Chang Duong on Unsplash

変わりゆく時代の年頭にあたり、アスピレーション(Aspiration:強い思い、向上心)のもとに、志高く仕事始めを迎えたビジネスパーソンも多いことだろう。その「志」を持ち続けて日々を過ごせば、品格・人格が陶冶(とうや)され、人徳を蓄えることができよう。これは企業にも当てはまる。企業の志、すなわち社会的存在意義ともいえるパーパス(Purpose)を標榜し、その実現に立ち向かうことで社格・社徳が醸成される。結果として社会からの信頼や支持が得られ、企業ブランド向上につながる。ところが、ここで留意すべきは、個人は自分ひとりが「志」を誓えば済むが、企業の場合は、経営層はじめ従業員すべてが「パーパス」を共有し腹落ちしていなければ、日々のビジネスや企業行動には反映しにくい。その際、従業員は旧来とは異なり、今や『身内』ではなく、ステークホルダーと位置付けられることを肝に銘じ、お仕着せではなく『共感』を得る働きかけをすることが決め手となる。

サステナビリティが経営戦略の中核に据えられる今日、イノベーション・トランスフォーメーションが鍵となる。それを成し遂げる従業員は、時代の変化への感性を研ぎ澄まし、自律的・主体的に取り組むことが不可欠である。それには従業員が高いエンゲージメントのもと、パーパスへの共感(個々の志と会社の目指すところとのシンクロ)により、想像力や創造力等の能力を存分に発揮する必要がある。従業員はコストとしての人的資源ではなく、投資をして高める「人的資本」としての人事戦略が求められる。それがサステナビリティ経営と連動することにより、持続的成長と中長期的な企業価値向上へのプラットフォームとなる。

「人的資本」重視の潮流と背景

企業が抱える人材の価値を示す「人的資本」という言葉がよく聞かれるようになった。
2006年、国連のコフィー・アナン元事務総長が提唱し成立した「責任投資原則(PRI:Principles for Responsible Investment)」に署名した国内外の投資家たちの思考と投資行動が、欧米の人的資本の開示ルール変更を大きく促した。「人的資本」を大切に育み、それを持続成長と中長期的な企業価値向上につなげていることを情報開示していくことは、今後の日本企業の経営のあり方を大きく変容させていくだろう。
人的資本は従業員が持つ知識やスキルなどを資本とみなしたものである。教育や訓練などで蓄積され、新しい価値創造やイノベーションの惹起につながる。サステナビリティを軸とする新しい時代を迎え、優秀な人材を確保したり育成したりできるかが企業の競争力を大きく左右するようになっている。

リクルートが実施した調査「人的資本経営の潮流と論点 2022」によれば、世界的に人的資本が注目されるようになった潮流や背景として、次の4つの視点が挙げられる。
この視点のポイントとともに、筆者の補説を付してみたい。

社会的視点… 従来の株主資本主義から脱却し、ステークホルダー資本主義への動き。ESGや持続可能な社会づくりに向けたコミットメントが求められる。

〈補説〉
ステークホルダー資本主義は、決して株主を蔑ろ(ないがしろ)にするわけではない。むしろステークホルダーにきちんと目配せすることが、持続的成長を促し、結果として株主に中長期のリターンをもたらすということに覚醒したといえる。さらには、従業員はすでに『身内』でなく、ステークホルダーとして捉える必要がある。日本的経営の『三種の神器』が尊ばれた時代はとうに過ぎ去り、従業員は『就社』ではなく、1人ひとりが自らのキャリアを築き上げるという視点から『就職』をしているという認識が重要である。会社選びに際しては、業績が良い会社であることは大事だが、その前に「社会の役に立っている会社なのか」「自分を成長させてくれる会社なのか」という視点が台頭してきている。従業員を含む社会(ステークホルダー)に目配せすることが、持続的成長と中長期的な企業価値向上を担保し、結果として株主への中長期のリターンにつながる。

経済的視点… 投資家目線の企業評価のモノサシが財務から非財務へシフト。投資先を選別する判断指標として「見えざる資産」を重視する傾向が強まっている。

〈補説〉
企業を評価・選別するにあたり、非財務が重視されるようになった。その中核が「見えざる資産」(無形資産)とされる。企業価値を増大させるエンジンが有形資産から無形資産となってきており、人的資本は無形資産の中心的な位置づけとなっている。

戦略的視点… DXをはじめとした産業構造の転換期において、企業はイノベーションの創出が不可欠であり、イノベーションを担う従業員がいきいきと創造的に働く環境を整備することが重要課題である。

〈補説〉
サステナビリティを希求すれば、イノベーション・トランスフォーメーションを避けては通れない。そのためには、従業員が受け身ではなく自律的・主体的に取り組み、創造力や粘り強さ等を如何なく発揮する必要がある。したがって、個々の価値観や仕事観とパーパスを融合させるような働きかけをすることにより、ロイヤルティ(帰属意識)やモチベーションを高めることが基盤となる。その上で、DXにまつわるリスキリング、ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン(DE&I)、健康経営等を推進することが、サステナビリティ経営の成否を分かつ戦略的な人的資本投資となる。

世代価値観の視点 … ミレニアル世代やZ世代、それに続くアルファ世代は社会的な感性が高い。環境問題や社会課題に対して非常に関心が高いといわれている。こうした若い世代の社会的価値観を企業経営に織り込んでいくことも、重要な経営課題となっている。

〈補説〉
社会課題への関心が高い若い世代(主にZ世代)に、いかに自社の「社会性」を訴求するかが、求心力や帰属意識に影響する。結果として、離職率の低下(リテンション強化)をはじめ、モチベーションに資する。サステナビリティ時代にふさわしいパーパスを掲げ、それに個々の従業員の目指す姿が折り重なることによって、高い目標(ハードル)に挑む達成意欲を引き出すことが重要である。それにより、有為な人材の獲得(採用ブランド向上)にもつながる。人的資本への投資は、経営戦略の根幹である。

気になる、『開示ありき』

近年、企業は幅広い経営情報の開示が要請されるようになった。「人的資本」も重要テーマの一つだ。欧米を中心に従業員を「付加価値を生み出す資本」と捉える動きが広がっており、投資家が財務情報だけでは測れない企業の将来に向けた本質的な価値をみる材料となる。サステナビリティを重視する時代においては、人的資本に関する情報開示に関心が高まるのは必然の流れだ。人を重んじる企業が求められており、それが企業のゴーイング・コンサーン(事業を継続させ、持続的に成長させていく)に通ずる。

我が国でも本年から、売上高や利益、資産・負債といった財務に関する情報だけでなく、経営のサステナビリティに関する項目も非財務情報として有価証券報告書への記載が必要になる。この非財務には気候変動対策や人的資本関連がある。上場企業など約4000社が対象で、3月期決算企業の報告書から適用される。人材面では、人材の育成方針や職場環境の整備など、人的資本の充実に向けた方針や施策、指標などの開示が求められる。

こうした流れを受け、ここにきて『開示』の対応に翻弄されている企業が散見される。人的資本の開示の強化を受け身で捉え、『開示しなければならない』という義務感・切迫感のもと、開示自体を目的としてしまう様子がうかがえる。いきおい、『やっつけ仕事としての開示』となりがちである。すると、開示義務のあるチェックリスト等の項目だけを埋めようとし、本来の人的資本による企業価値向上の道筋(ストーリー)が描けず、外部評価も伴わなくなる。『木を見て森を見ず』に陥りかねない。

『開示ありき』に気をとられすぎて、いきなり一般的によく見られるチェックリスト等を参照するような付け焼き刃的な対症療法に没入することには注意が必要だ。開示のための開示ではなく、まずは投資家をはじめとするステークホルダーの関心や狙いがどこにあるかをきちんと把握した上で、開示による高評価を獲得するために、個別の課題に対して精緻に対応することが重要である。

パーパスのもとに自社の将来像を描き、その実現のために非財務情報がどのように寄与するのかを得心して実践する。それを自信をもって開示するという思考法が大事だ。なぜならば、投資家は個別アイテムの達成状況もさることながら、将来の企業価値向上に向けたストーリーをしっかりと吟味したいからだ。

その骨子は下記のとおりだ。
企業価値に占める人材を中心とした無形資産の割合が高まっており、企業価値を測る上で人的資本の価値をみることが重要となっている。PRIやスチュワードシップコードに基づいた中長期のリターンを求める投資家にとって、持続的成長・中長期的な企業価値向上を果たす企業を見極めたいのは自明である。そのための重要成功要因が無形資産であり、その中核が人的資本ということなら、自ずと経営戦略と人材戦略(人的資本にいかに戦略的に投資するか)が紐づくはずだ。

この文脈を「目的-目標-手段」として端的にまとめると、以下のとおりである。

目的 サステナビリティ時代に持続的成長・中長期的な企業価値向上を果たすために、
目標 人的資本をはじめとする無形資産を充実させる
手段 それを非財務情報として、投資家はじめマルチステークホルダーに開示する

駆け込み寺的に専門機関やコンサルティングファーム等に頼る前に、じっくりと『開示』の本質的な意義や目的(WHY)を押さえておくことを推奨したい。開示はきわめて重要だが、目的ではなく『手段』として捉え、開示の先にある持続的成長・中長期的な企業価値向上につなげることが本来の『目的』である。

企業は人なり

企業の価値創出の原動力が有形資産から無形資産に大きく重心がシフトする中、人的資本は日本企業の競争力の最後の切り札といっても過言ではない。脈々と受け継がれてきた「企業は人なり」「人は城、人は石垣」といった経営哲学を、「人的資本経営」によって現代バージョンにアップデートできれば、世界における競争優位の巻き返しを図る日本企業にとって福音となることであろう。

細田 悦弘  (ほそだ・えつひろ)
公益社団法人 日本マーケティング協会 「サステナブル・ブランディング講座」 講師
一般社団法人日本能率協会 主任講師

1982年 メーカー系マーケティング会社 入社。営業からマーケティング部門を経て、宣伝部及びブランドマネジメントを担当後、CSR推進部長を経験。現在は、企業や大学等での講演・研修講師・コンサル・アドバイザーとして活躍中。サステナビリティ・ブランディング・コミュニケーション分野において、豊富な経験を持ち、理論や実践手法のわかりやすい解説・指導法に定評がある。 聴き手の心に響く、楽しく奥深い「細田語録」が魅力の一つである。

一般社団法人日本能率協会「新しい経営のあり方研究会」メンバー、経営品質協議会認定セルフアセッサー、土木学会「土木広報大賞」 選定委員、 Sustainable Brands Japan(SB-J) コラムニスト。社内外のブランディング・CSR・サステナビリティのセミナー講師の実績多数。


◎専門分野:サステナビリティ、ブランディング、コミュニケーション、メディア史

◎著書 等: 「選ばれ続ける会社とは―サステナビリティ時代の企業ブランディング」(産業編集センター刊)、「企業ブランディングを実現するCSR」(産業編集センター刊)共著、東洋経済・臨時増刊「CSR特集」(2008.2.20号)、一般社団法人日本能率協会「JMAマネジメント」(2013.10月号) / (2021.4月号)、環境会議「CSRコミュニケーション」(2010年秋号)、東洋経済・就職情報誌「GOTO」(2010年度版)、日経ブランディング(2006年12月号) 、 一般社団法人企業研究会「Business Research」(2019年7/8月号)、ウェブサイト「Sustainable Brands Japan」:連載コラム(2016.6~)など。

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