
猛暑の夏を終え、秋になると来日観光客が増加する。観光は地域経済の活力となる一方、「オーバーツーリズム」と呼ばれる過剰なツーリストの集中は、住民生活や地域固有の文化・環境に深刻な悪影響を及ぼしている。この現象は欧州の人気都市でも顕著だ。持続可能な観光政策とは何か、ドイツの視点から検討したい。
◾️欧州都市におけるオーバーツーリズムの実態
プラハの中心地を旅行で訪ねた時、歴史ある景観が広がり、おおいに楽しんだ。だが夜は「喧騒(けんそう)」の時間で、あまり眠れなかった経験がある。プラハはアルコールが安価で、「アルコールトリップ」を目的とした観光客が大量に流入し、街の静けさや生活環境を乱している。
同様の問題はイタリア・ヴェネチアやスペイン・バルセロナなどにも及ぶ。これらの都市でも歴史的建造物や住居の損壊、ゴミ問題、騒音が住民生活を脅かしている。いわゆる「オーバーツーリズム」である。

筆者がプラハを訪ねたのは2019年。コロナ禍の前で、この頃すでにオーバーツーリズムが問題になっていた。現地の報道を見ると、現在でもまだまだ継続的な問題になっているようである。
ここで、観光経済とは何か基本的なことから考えてみよう。地域は文化、自然環境、コミュニティなどの「地域資源」で成り立っている。それらの一部を活用した経済活動が観光だ。地域資源の使いすぎはテーマパーク化を招き、地域らしさを失い市民の生活が脅かされる。オーバーツーリズムとはその限界を超えた現象といえる。
◾️観光客は多ければいいのか?――都市の余裕と限界
バルセロナとミュンヘンの対比が参考になる。両市は約160万の人口を持つが、面積はミュンヘンの方が約3倍広い。この空間的余裕が観光客の分散につながる。ある調査研究によると、ミュンヘンでは年間約800万人が訪れるものの、生活圏への圧迫感は相対的に少ない。オクトーバーフェストのような高密度イベントにも慣れている。また、ミュンヘンは経済力があるため、観光への依存が少ない。そして、文化に主軸を置いた観光が多く、明示的に書かれてはいないが、高学歴・高所得のツーリストが多いようだ。
一方、バルセロナはミュンヘンと同規模の、近年ではそれ以上の観光客数を数えている。さまざまな対策も行われているようだが、観光客密度の高さが根本的な問題で、まずは一極集中の緩和策が必要だ。
両市だけの話ではないが、過剰な観光客数の原因の一つに「セルフィツーリズム」がある。インスタ映えする写真が撮れるところに一極集中するのだ。傾向的に言えば、近年成長している観光市場のツーリストが多いことが報告されている。筆者はしばしば欧州各地の都市を訪ねるが、その傾向を実感する。
また、観光客の多様な行動様式を観察すると、いくつかの傾向が浮かび上がる。近年特に「消費」や「買い物」を重視し、団体で行動する旅行者層と、歴史や文化への「体験」を重視し、個別で自由に移動する旅行者層の二極化が進んでいる印象がある。
前者の消費志向の観光客は、特定の土産物店や商業施設に集中する傾向があり、バブル期の「ブランド品を買いあさる日本人旅行者」の行動と重なる部分もある。
これに対して、後者の体験志向の観光客は、欧州における貴族の教育旅行「グランドツアー」に代表される、知的好奇心を満たす旅の系譜を受け継ぐ層が多いように思われる。もちろんプラハの「アルコールトリップ」に見られるような、パーティー目当ての観光を好む層もいるが、傾向的には「体験」を重視する。お土産の購入もその一部で、どちらかといえば自分のために小さな物を買う。こうしたツーリスト文化はグランドツアーが19世紀の都市化の進行に伴い大衆化した結果だ。ミュンヘンなどは、この系譜の文化が強い層が多い可能性がある。
ここから導き出せるのは「どのような観光客に来てもらうべきか」という課題だ。消費型の観光客を目的にするならば、「買い物テーマパーク」のように整備すれば良い。体験型観光客を望むなら、それにふさわしい地域コンテンツの投資に加え、ツーリスト数と値段の設定が必要だろう。
◾️「来たければ来ても良い」が示す持続可能な観光の形
ドイツの観光地の多くは、自治体の「中心市街地」だ。ここは都市の発祥地で、「お伽話」に出てきそうな中世の建築物が残る。このエリアにミュージアムや劇場なども多い。絶好の「観光資源」なのだ。
一方、このエリアは都市の市民にとって代表的な公共空間でもある。景観の保全、小売店や飲食店の選択肢の多さ、ベンチや樹木を増やして居心地を良くする、歩行者ゾーンにする、こういったことで「滞在の質」を高めることに余念がない。そして、これが結果的に「観光地の質」と重なることが多い。
コロナ禍が過ぎた後、ドイツの各都市で宿泊客の増加などの統計に欣喜雀躍(きんきじゃくやく)する傾向はあるものの、「体験型のコンテンツ開発を進める」といった方針を出すところも少なくない。また、過度の観光開発に対して、地域の歴史・郷土、環境といった分野の市民団体が異議を申し立てるケースもある。こうした動きは、「地方の自律性」が働いている現実とも言えるだろう。
それだけに、筆者の印象で言えば、ツーリストを意識しすぎた中心市街地整備は、キッチュに感じられる。「体験型」よりも「消費型」の団体観光客に合う形になっているのだろう。
このように見ていくと、観光政策について、日独どちらが進んでいるか・遅れているかという話ではなく、地域の質的な健全性とは何か、という課題に立脚した問題が観光政策と結びついていることが分かる。そして欧州の都市でもそれは大きな課題である。
地域経済にとって、観光に依存しすぎるのは基本的に健全ではない。また、観光開発においては、最適な流入数と、どのようなタイプのツーリストに来てほしいかを考える必要がある。そのために、「とにかく呼び込め」という方針ではなく、ロジスティックス面から流入数を具体的にコントロールする。あるいはツーリスト層を選ぶ観光コンテンツ作りなどをセットで考えるべきだろう。
いわば「来たければ、来ても良い」という程度の「構え」で考えると、良いのではないか。そうすると社会全体に精神的余裕も少し生まれ、外国からの観光客にも適切に接することもできるかもしれない。

高松 平藏 (たかまつ・へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト
ドイツの地方都市エアランゲン市(バイエルン州)および周辺地域で定点観測的な取材を行い、日独の生活習慣や社会システムの比較をベースに地域社会のビジョンを探るような視点で執筆している。日本の大学や自治体などでの講義・講演活動も多い。またエアランゲン市内での研修プログラムを主宰している。 著書に『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』(学芸出版)をはじめ、スポーツで都市社会がどのように作られていくかに着目した「ドイツの学校には なぜ 『部活』 がないのか―非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房)など多数。 高松平藏のウェブサイト「インターローカルジャーナル」