
日本の市町村では秋祭りが行われるところも多いだろう。しかし、近年は祭りを開催できない市町村が増え、地域コミュニティの持続可能性に赤信号が灯っている。一方、ドイツの市町村では多様な「ビール祭り」が開催されている。筆者が住むエアランゲン市のテンネンロエ村の例をもとに、ビール祭りが示す地域社会の持続可能性の条件を探る。
◾️「ビール祭り」と考えると本質を見失う
テンネンロエ村(人口4300人)では毎年8月半ばに「ビール祭り」が行われる。金曜夕方から月曜まで開催されるが、これを「ビール祭り」と呼ぶにはあまりにも本質を見失う。

初日は、「ズガーン、ズガーン」と響きわたる、数発の空砲で幕を開ける。そして木のハンマーでビール樽(だる)に蛇口を取り付ける儀式が行われる。
翌日には「キルヒバウム」と呼ばれる装飾した木を森から切り出し、トラクターで村中を練り回る。この木はいわば、祭りの象徴であり、会場で重機を使わず手作業で立てる光景は村の団結を見るようだ。

日曜の朝はカトリックとプロテスタントの合同ミサが満員で行われ、午後はクイズやダンスなど住民によるショーが開かれる。「素人の出し物」であるが、例えば村の男性が女装で登場しようものなら、それだけで「どっ」と会場内が湧く。コミュニティ内だからこそ成り立つ盛り上がりである。最終日は装飾木の周りを男女らが回る「再生の儀式」で祭りは幕を閉じる。
このように宗教的儀式や共同体の行事の集合体として、成り立っており、「ビール祭り」という言葉では語り尽くせない。実際この村の祭りを直訳すると「(村の)教会祭」である。
◾️近代的コミュニティが関係人口とソーシャルキャピタルを作る
この祭り会場へ行くと、「今年もまた会ったね」とあいさつを交わす人もいる。あるいは数年前の「少年」が、木を立てるメンバーの1人として活躍する若者に成長した姿にお目にかかることもある。
当然のことながら、これは祭りが繰り返されているからだ。しかし近年であればコロナ禍で中止になったことは記憶に新しい。つまり疫病や戦争などがなく、さらに祭りを開催するだけの地域のリソースが健全でなければ祭りは続かない。この村の場合、運営の中心になっているのが「祭礼青年団」だ。彼らの存在感は特に装飾された木を立てる時の集中力とチームワークに見出される。その他に空砲を撃つ「射撃協会」、祭りをもり立てる「楽団協会」などがある。
着目すべきは、これらは、すべて非営利法人であることだ(以後『NPO』で進める)。日本の地縁組織となると、町内会など「住んでいる」というだけで加入しなければならないことが多く、強制性が強い。だがNPOは「個人の自己決定」でメンバーになる。これらのNPOは必ずしも「村の居住者」でなくとも良い。実際村の近隣の人がメンバーになっていることも少なくない。
他にも村には消防団や歴史協会、多種目を扱うスポーツクラブなどもある。スポーツクラブとは子どもから年金生活者まであらゆる世代がメンバーで、試合のみが目標ではなく、健康・運動・コミュニケーションのための「スポーツを核にしたコミュニティ」だ。
このように見ていくと、日本の自治体のキーワードになる「関係人口」がNPOを中心に出来上がっているのが浮かび上がる。また複数のNPOのメンバーになっている人などもいるため、さまざまなバリエーションの「つながり」ができている。これらのNPOは地域に根ざしてはいるが、「地縁組織」とは質的に異なる近代組織だ。
ところで、祭りの撮影を毎回担当している男性と立ち話をしていると、「昨年は木の装飾が、祭りの最中に外れてしまったんだよね」という。「で、どうしたの?」と問うと、「なあに、消防団がすぐに修繕したよ。普段からいろんな関係ができているから、あっという間さ」と言ってウィンクした。この男性はこの村の区議会で長年活躍している人だ。
◾️持続可能なコミュニティに求められる条件
ドイツも少子高齢化傾向の強い国だが、この村に関しては比較的健全だ。これはエアランゲン市自体、さまざまな問題を抱えつつも第二次世界大戦後の経済は基本的に成長志向。1970年代は農業中心だったこの村にも経済成長に伴う人口増で住宅が増える。この世代の高齢化も進んでいるが、今もなお、新しい家族が移り住む。
一方、住宅が増加した時代、新旧の住民が混じり合う状態になったが、数々のNPOが住民の一体感を作る役割を果たしたと推測できる。何しろ、メンバーになるのは自主的な「選択」だ。社会の「同好会」に入るようなもので、「対等の仲間」という人間関係がことさら強調される。さらに、「村の外」の人もNPOのメンバーになるので、硬直的な人間関係の強いタコツボのような雰囲気にはなりにくく、基本的に「楽しく居心地の良い場所」である。
昨今、日本の地方では少子高齢化という基本的な人口構造の変化に伴い、地縁組織が成り立たなくなっている。これが、祭りが開催できない村が増えている大きな背景だろう。
それに対して、テンネンロエの様子から言えば、地方の経済振興が良好であることに加え、「自主的に参加できる、平等な関係の組織」が複数あることが大きい。これによって、地域の信頼・規範・ネットワークといった強い社会を作る「ソーシャルキャピタル」が充実したものになっているからだ。 ところで、先ほどの撮影を担当している男性によると、祭りの象徴になる木の横に、10年ほど前からもう一つ小さめの木が立てられるようになった。それらは子ども達が中心になって立てるものだ。「なるほど、子どもたちがそういう体験をすると、何人かは将来の『祭礼青年団』のメンバーになってくれるね」と返すと、「まさにその通り!村の持続可能性だよ」とわが意を得たりという顔で答えてくれた。

高松 平藏 (たかまつ・へいぞう)
ドイツ在住ジャーナリスト
ドイツの地方都市エアランゲン市(バイエルン州)および周辺地域で定点観測的な取材を行い、日独の生活習慣や社会システムの比較をベースに地域社会のビジョンを探るような視点で執筆している。日本の大学や自治体などでの講義・講演活動も多い。またエアランゲン市内での研修プログラムを主宰している。 著書に『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』(学芸出版)をはじめ、スポーツで都市社会がどのように作られていくかに着目した「ドイツの学校には なぜ 『部活』 がないのか―非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房)など多数。 高松平藏のウェブサイト「インターローカルジャーナル」