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陸前高田市の復興応援マラソンに見る「市民一体」のまちづくり

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東日本大震災から8年と8カ月が経過した。当時、壊滅的な被害をうけた岩手・陸前高田市は11月17日、「復活のみちしるべ2019 陸前高田応援マラソン」を開催した。同マラソンでは町の復興状況に合わせて毎年コースを変更するが、今年は初めて駅前などの市街地を走るコースを設定。「参加者にいまの町を見てほしい」――。開催に込められているのは、「市民一体」でまちづくりに取り組む陸前高田のいまと、未来を見据えた決意だ。(サステナブル・ブランド ジャパン編集局=沖本啓一)

「一緒になって未来に進んでいける、今後そういった会にしていきたい」――。マラソン大会当日、自身も「エンジョイラン」の2キロを走った岡本雅之・陸前高田市副市長は記者にそう話した。「一緒になって未来に進む」という言葉には陸前高田市のこれまでの取り組みによる実感がある。

「復興」進む陸前高田市

陸前高田市内の高田地区と今泉地区をあわせた約300ヘクタールに盛土し、最大12メートルかさ上げする市の造成計画はほぼ完了している。2017年には駅前の造成地に商業施設「アバッセたかた」がオープンした。図書館を併設し、周辺には約30の飲食店などが並ぶ。道を挟んだ土地には市民文化会館を建造中だ。

高田沖地区では2019年5月、9年ぶりとなる田んぼの作付けが行われ、この秋に初めての収穫を迎えた。同年9月、「奇跡の1本松」の周辺に国営の高田松原津波復興祈念公園がオープン。公園内施設として岩手県が運営する津波伝承館が開館し、同じく陸前高田市が運営する「道の駅高田松原」が再開業した。同公園は2021年3月の完成を目指し、いまも工事が続く。

アバッセたかた
建設中の市民文化会館

造成地に新たな中心市街を形成

「市が造成地の完成を急いだおかげで、商業者の命がつながりました」と話すのは被災前に駅前商工会の理事を務めていた小笠原修氏。震災前の駅前商工会で理事を務め、震災後に中心市街地企画委員として市街地形成の具体的な構想や土地利用計画に携わり、現在は陸前高田駅前に「東京屋カフェ」などの店舗を営む。

被災直後、営業が可能な商業者は仮設店舗で商売を再開した。しかし当然のように売上高が落ち込む中、本設の市街地を形成するため、事業者らは市に「土地のかさ上げを急ぐように」と要望した。市の対応は早く、2014年3月末から巨大ベルトコンベアを稼働。通常8年以上かかる作業を2年半ほどに短縮したという。

造成地が完成すると「市から逆に『建築物などハード面の計画を急ぐように』と要望されました」と小笠原氏は笑う。しかし盛土されたとはいえ、被災した場所に中心街をつくることに不安を示す事業者は多い。住宅地が高台に移り、客足に対する不安は「報道以上に厳しい」という。それでも土地に対する愛着と「駅前の中心市街」への思いを捨てきれず構想を練ってきた。

「市には、その場で決断できることは決断するという覚悟がありました。行政もNPOも商業者も情報はすべて共有、拡散し、本音で話し合いました」と小笠原氏はこの5年間を振り返る。議論を幾度も重ね、構想を現実の風景に落とし込んできた。

「これからは、国や市に初めから頼るのではなく、先々に決まっていることを織り込みながら『つくりあげていく』段階。ほかの地方都市と同じで、高田を魅力的なまちにするには何が必要か、どう生きるかを想像しながら築き上げていく」(小笠原氏)

高台に残る人も

一方で、仮設店舗を構えた高台に根を張る人もいる。「高田大隈つどいの丘商店街」で飲食店を営む太田明成氏もその一人だ。仮設として2012年にオープンした同商店街は2階建てのプレハブ2棟と、平屋の1棟を備える。2017年3月に利用期限を迎えて以降、半年単位で延長してきたが、2018年9月に太田氏が市から払い下げを受けることにした。

同商店街には現在、太田氏が営む「カフェフードバー わいわい」のほか、一般社団法人SAVE TAKATA(代表・佐々木信秋)やデイケアサービス事業者などが入居。オフィス機能や卓球台などの遊戯施設を備えた、コワーキングスペースを含むインキュベーション施設として、NPOや地域の事業者と連携し、地域住民や観光客などが交流できる場所にする計画を進める。2020年には建物自体を一新する予定だ。

「NPOの20代、30代の方と話していると震災前に持っていた『田舎ってこういうものだ』という価値観が崩れていきます。そういう考え方がここで成立するんだ、と」と太田氏は笑う。「町の人、訪れる人の困りごとを解消する便利な場所、人のつながりを生む場所にしたい」と造成地の中心市街とは別の視点から市内を盛り上げる。「5年後10年後の未来を見据えられるようになってきた。生きている人たちはみんなそうですよね」

市役所職員も「市民」として

市庁舎は現在も仮設。2020年、5メートルほどかさ上げした高田小学校跡地に新庁舎が完成予定

太田氏は「行政と市民という関係で、信頼があるかは疑問」としながらも「震災以降、造成地となる土地の権利者をすべて探し出し、時には遠方まで出向いて印鑑をもらう、そういう地道な作業を市役所がしてきました。市民がやるべきこともある」と話した。

陸前高田市地域振興部の阿部勝部長は市内のまちづくりの進捗について「ハードの整備については住民の皆さんのご協力もあり、大きな遅れなく進んでいます」と話す。いまは「『復興』の仕上げの完遂と、持続可能なまちづくりに向けた取り組みを同時進行している状況」だ。

2年ほど前までの市内は一面茶色だけの世界だったが、2019年は復興祈念公園の北側の田んぼから収穫も行えた。仮設店舗から中心市街地に戻る商業者の動きも加速し「取り組んできた事業が目に見えるようになってきました。行政だけではなく商業者や市民、震災をきっかけに訪れてくださった企業や団体といったつながりを生かしたまちづくりが進められていることが大きな特徴」という。

商業者はに単に商売を復活するだけでなく「みんなでまちをつくるという強い思いがありました。行政もその姿勢に応えるために何ができるのだろうと考え、判断を続けました」と阿部部長は話す。ある商業コンサルには「被災地でまちづくりにこれほど商業者が関わっている場所はほかにない」とも言われた。「それは私の誇りでもあります。行政と商業者の連携はしっかりとれ、お互い尊重し合いながら取り組むことができた、という思いはあります」と阿部部長は語る。全員が「市民」として同じテーブルにつき、意見の相違も建設的な議論を繰り返すことですり合わせてきた。

「市民一体」で前を向く姿勢は11月に開催した「陸前高田応援マラソン」にも色濃く見える。

「陸前高田応援マラソン」に1100人以上が参加

陸前高田市では震災前、「市民マラソン大会」を開催していた。「子どもから年配の方まで賑やかで、子どもたちの走る姿を見て市民も励まされるような温かいマラソン大会でした」。普段は訥々と話す阿部部長の表情が柔らぐ。震災後の2015年から、アディダス ジャパンが特別協賛企業として参画し「復活の道しるべ 陸前高田応援マラソン」として再開した。いまでは市民だけでなく沖縄や北海道からの参加もある。

町の状況によって毎年コースを変更し、参加者は「いまの陸前高田」を見ることができる。2019年11月17日、5回目の開催は、初めて市街地を走るコースを設定した。「さまざまな人との新たなつながりもでき、そういう関係も含め、見て頂きたいという思いは個人的にあります」と阿部部長は話す。エントリーしたランナーは市内外から1100人以上にのぼった。

ランナーからのメッセージ

ランナーは手書きの応援メッセージを記入したナンバーカードを背に走った。

協賛・協力企業も「魅力感じる1日」

協賛・協力企業は運営ボランティアやランナーとしても応援マラソンに参画する。「参加者が笑顔でゴールする姿を見て、マラソンを通して思いを伝えられて本当に良かった」と話したのは大和ハウス工業 仙台支社の岩橋芳郎主任。ジョンソン・エンド・ジョンソン社会貢献委員会 マネージャーの伊藤佐和氏は「地域への貢献を『楽しく』できることがすごく重要だと思っています。社内外のつながりも感じ、企業同士で同じ場所に支援する魅力を感じられる1日でした」と参画の意義を話した。また「軽く走りますよ」と笑顔を見せたのはランナーとして参加したインリー・グリーンエナジージャパンの山本譲司代表だ。

アディダス ジャパンのアンジェラ・オルティス氏は「スポーツにはコミュニティを一つにする力がある」と話す。「3.11の後、多くの家族、コミュニティが物理的・精神的にバラバラになりました。しかし、大きなイベントが地域で行われることで、体を動かし、再び絆を取り戻し、より明るい未来を描くことができます。アディダスはこうして毎年、その一翼を担えること、そしてスポーツが人を笑顔にし、子どもたちが将来スポーツに取り組む後押しができることを心から楽しみにしています」

元バスケットボール日本代表の渡邉拓馬選手はバスケットボール教室開催のほかスターター、表彰プレゼンターとしても登場
2015年ラグビーワールドカップに日本代表として出場した真壁伸弥選手はランナーとしてもマラソンに参加した
Tシャツをエコバッグに再生するワークショップ。地元の主婦が多く参加していた
先導車は日産自動車のリーフ。実車展示のほか、子どもたちがクリーンエネルギーの発電を体験できる教室も
前出の太田氏も地元事業者として出店。昼時には長蛇の列

「関係性を大事にした取り組みこそが、新しい展望を開く」

大会後、エンジョイランを走った岡本雅之副市長に聞くと「こんなにたくさんの方が毎年来てくれて、陸前高田を応援してくれています。その思いに本当に感謝を申し上げたい。応援していただくだけでなく、一緒になって未来に進んでいける、今後そういった大会にしていきたい」と話した。

同市役所の阿部部長は「8年間以上、走りながら判断、実行することを続けてきました。いまの段階で、結果的には正しい方向で取り組んでこられたのではないかと感じています」と話す。「これまでの復興事業も行政、市民、支援して頂く企業・団体がまさに協働の復興、街づくりをしてきたなという思いがあります。これからも厳しい状況が続くと思いますが、関係性を大事にした取り組みこそが新しい展望を開いていくのだろうと考えています」

行政や事業者、NPO、新たに形成する中心街、高台に残る人――。陸前高田市では「官民連携」ではなく全員が「市民」として一体となりまちづくりに取り組む。その姿勢は市外から応援する人にも伝播するのかもしれない。「応援、支援ではなく、一緒になってまちをつくる」という言葉をマラソン参加者からも聞いた。

復興庁は11月7日、2021年までの設置期限を10年間延長する方針を発表した。とは言えハード面での「支援」は5年めの2026年を目途に完了する。2021年3月には復興祈念公園が竣工する予定で、市外からの注目は一時的に高まっても徐々に落ち着くことは明白だ。同公園や、公園内の津波伝承館などの施設と市街の中心部にどのような導線を敷くか、一地方都市としての「魅力的なまちづくり」ができるかは今後さらに重要な取り組みになる。課題はまだ多い。

それでも、「市民一体」の背景にはひとつの強い思いがある。前出の小笠原氏はそれをこう表現する。

「ひたすら、前へ。それだけです」

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沖本 啓一(おきもと・けいいち)

Sustainable Brands Japan 編集局。フリーランスで活動後、持続可能性というテーマに出会い地に足を着ける。好きな食べ物は鯖の味噌煮。