【アーヤ藍 コラム】第12回 9月21日はピースデー:足元の「暴力」を止めるヒントを映画から考える
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社会課題への関心をより深く長く“サステナブル”なものにする鍵は「自ら出会い、心が動くこと」。そんな「出会える機会」や「心のひだに触れるもの」になるような映画や書籍等を紹介する本コラム。開始から1年が経ち、今回が最終回です!
さて9月21日は何の日かご存知でしょうか? 「365日の中の1日から、戦争や紛争をはじめあらゆる暴力がない日をつくろう!」という「ピースデー」こと国際平和の日です。一人のイギリス人俳優が著名人や各国の要人、国連などに働きかけてピースデーを広げてきたのですが、彼の足跡をたどる映画『The Day After Peace』との出会いが、私が社会的な映画の世界に飛び込むきっかけとなりました。YouTubeで全編公開されているので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
さて「平和」というと戦争や紛争の対義語としてイメージする人が多いと思いますし、その意味で日本は平和だから、ピースデーは自分には無関係だと感じる人もいるかもしれません。しかしピースデーは一方で「あらゆる暴力をなくすこと」も呼びかけています。家庭内暴力DVやいじめ、差別、けんかなど、さまざまな身体的暴力・精神的暴力が含まれます。そう考えたら日本社会にもまだまだ「平和」のためにやるべきことがたくさんあるはずです。
そこで今回はピースデーに合わせて、暴力をなくす/止めるためのヒントを学ぶことができるような映画をご紹介したいと思います。
表現を通じて自分を内省し、受容する
1作目は、アメリカ・ロサンゼルス郊外の高校を舞台にした実話に基づく作品『フリーダム・ライターズ』です。時は1994年。人種間対立による大暴動が起きて間もない頃で、さまざまなバックグラウンドの生徒が集まる学内でも、分断と衝突が絶えません。貧困、犯罪、暴力に溢れた日々を生きる生徒たちは皆、未来に希望をもつことができず、勉強することの意味も見出せずにいました。明日生きているかどうかさえ分からないのに何のために学ぶのかと。
特に荒れているクラスに新米教師のエリンが赴任。彼女は生徒たちに2つのものを渡します。1つは本。分断から悲劇が生まれた『ロミオとジュリエット』や、差別から大虐殺が起きた『アンネの日記』などを読んだ生徒たちは、クラスの中にある“小さな差別”の深刻さを自覚していきます。
もう1つが日記帳。何を書いてもいいし、「読んでほしい時だけ特定のロッカーに入れてくれればいい」と言って渡します。その真っ白なページに、生徒たちはこれまで誰にも言えなかった、あるいは聞いてもらえなかった想いや記憶を吐露していきます。日記に対して自己開示していくうちに、実は心の奥で、安心できる居場所や和解と平穏を求めていることに気付いていくのです。
他者の表現(ストーリー)に触れることと、自分の心の内を表現すること。その両輪によって、自分を客観的に見つめて問題に気付くことができたり、いつの間にか蓋をしてしまっていた本当の想いに素直になっていける。それは自分自身を受容することであり、その先に自然と心の穏やかさが沸いてくるのではないかと、本作から感じます。
▼映画『フリーダム・ライターズ』
(2007年製作/123分/アメリカ)
もう1本、「表現がもつ平和を育む力」を感じるのが『行き止まりの世界に生まれて』です。“アメリカで最も惨めな町”で育った監督が、スケートボード仲間を12年間記録したドキュメンタリー映画ですが、暴力にさらされてきた監督自身が、映画という表現を通じて身近な暴力と向き合い、自分の中にある痛みや怒りを溶かしていくプロセスを辿った作品です。
暴力に対して「なぜ?」と問いをもつ
次に紹介するのも「表現の力」が鍵になっている作品ですが、ここでは「暴力の根源を見つめることの大切さ」という観点からご紹介したいと思います。
ブラジルで精神病の治療に変革をもたらした伝説の女医ニーゼ・ダ・シルヴェイラの半生を描いた『ニーゼと光のアトリエ』です。映画が描く1940年代当時のブラジルでは、精神病患者に対して、強い電気ショックを与えて無理やり気絶させたり、重度で“手に負えない“場合は、脳の一部を切除する「ロボトミー手術」が、通常の治療として行われていました。いわば「おとなしくさせる」暴力的な”治療”が当たり前だったのです。
その実態を目の当たりにしてニーゼは衝撃を受けます。患者たちの言動には必ず理由や原因があるはずだと考えたニーゼは、患者たちの様子をじっくり観察するとともに、スポーツを勧めたり、犬と過ごしてもらったり、絵を描いてもらったりと、全く違うアプローチをしていきます。その試みは症状を明らかに改善し、患者たちの多くが穏やかに過ごせることが増えていきます。
周囲の無理解もあって、一進一退を繰り返していく苦難の道が映画では描かれていますが、辛抱強く、患者たちを信じつづけるニーゼの姿勢に圧倒される作品です。
ニーゼは2つの面で暴力の原点を見つめた人と言えるでしょう。一つは当時当たり前とされていた「治療」の暴力性に目を向けて、「この暴力は本当に意味があるのか? この道しかないのか?」を考えたこと。もう一つは、患者たちが攻撃的になってしまう時の理由を見つめ、ケアこそが必要なのだと見つけ出したこと。彼女のように「なぜ?」の問いをもって暴力の根源を見つめることも、平和へのアプローチの一つになるのではないでしょうか。
▼映画『ニーゼと光のアトリエ』
(2015年製作/109分/ブラジル)
他者の「見えていない」ところを想像し尊重する
3作目はレバノン出身の監督の実体験がきっかけで作られた映画『判決、ふたつの希望』。舞台のレバノンは国が認める宗教・宗派が18あるなど、宗教的・民族的に複雑で、特にキリスト教とイスラーム教の対立が深い国です。
住宅の補修作業を行っていたパレスチナ人の現場監督ヤーセルと、作業現場の近くに住んでいたキリスト教徒のレバノン人男性トニーとが、バルコニーの水漏れをめぐって口論となります。雇い主に説得されてヤーセルはしぶしぶ謝罪に出向きますが、パレスチナ人を嫌うトニーはパレスチナ人にとって最大の侮辱と言える言葉を吐き、激怒したヤーセルはトニーに殴りかかって肋骨が2本折れるほどのけがを負わせてしまいます。
トニーは告訴し、裁判が始まりますが、トニーの侮辱的な言葉が明るみになると、国の宗教対立に油を注ぐこととなり、ちょっとした口論から始まった裁判が、国を巻き込む騒乱に発展していきます。
ですが、裁判が進む中で、トニーが隠していた過去が明らかになり、彼がパレスチナ人を嫌っていた理由も判明し、それが2人の衝突を解く大きな契機となります。
誰しも他者のすべてを知ることはできません。今自分が見ている面はごく一部で、自分が知らない経験や感情をもっているかもしれない。そう想像するだけで、怒りに任せずに、一歩立ち止まったコミュニケーションを取れるのではないでしょうか。
▼映画『判決、ふたつの希望』
(2017年製作/113分/レバノン・フランス合作)
他にもいろいろな作品の中に、「暴力ではなく平和」のためのヒントがきっとたくさん散りばめられているはずです。9月21日のピースデー。世界の平和はもちろんのこと、ご自身の足元の平和のためにできることを、映画を通じて探索してみてはいかがでしょうか?
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本コラム「『出会い・感じる』から始めるサステナビリティ」は連載開始から1年が経ち、今回が最終回となります。
このコラムでは、社会や世界のさまざまな問題を心で感じていただけたらと思い、映画や本を紹介してきました。「楽しい」「美しい」「すてき」といった感情だけでなく、「つらい」「腹が立つ」「悲しい」といったマイナスの気持ちとつながる作品もあったかと思います。
いま、社会はどこか、後者のようなマイナスの感情に、なるべく触れないようにする方向へ動いてるように感じることがあります。マインドフルネスやウェルビーイングなど、心を穏やかにすることへの関心が高かったり、より短く刺激的に「快」を味わえるようなコンテンツが増えてきていたりと、痛みや悲しみが避けられているように感じるのです。
しかし一見ネガティブに思える感情を知ることで、ささやかな喜びもより深く心に染み入るようになり、他者の痛みや悲しみを想像することもできるのではないかと思います。
生物多様性が地球を健やかにし、ダイバーシティに富んだ社会があらゆる人の生きやすさを生み出すように、ひとりの人の中にも多様な感情があることが、人生を豊かにしてくれるのではないかと私は考えています。そして映画をはじめとした文化は、そうした多様な感情を味わう「練習」をさせてくれる存在です。
コロナ禍で「文化は“不要不急”か?」と議論が起きたように、「娯楽の文化」は後回しにされてしまいやすいものです。このコラムを通じて、少しでも文化がもつ力や価値を感じていただき、これまでよりも広く、深く、皆さんの人生に取り入れていただけたらうれしいです。