【ビジネスと人権コラム】第2回 「ビジネスと人権」をめぐる国内外の最新ルール動向
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前回(第1回)の記事で解説したように、近年、企業に対して人権尊重の責任を求める声が高まっています。この流れを受けて、世界のさまざまな国や地域で、企業に人権尊重を義務付けるためのルール作りが進められています。企業はこれらのルールの動向を把握しながら、適切に対応していく必要があります。今回は、「ビジネスと人権」の基本的な考え方と、欧州や日本における最新のルールや議論について紹介します。(五味ゆりな、監修:矢守亜夕美)
国連が示す「ビジネスと人権」の基本的な考え方
「ビジネスと人権」に関するルールは、2011年に国連で採択された「ビジネスと人権に関する指導原則」(国連指導原則)に基づいて進展してきました。
この国連指導原則は、「人権を保護する国家の義務」「人権を尊重する企業の責任」「救済へのアクセス」という3つの柱から成り立っています。このうち「人権を尊重する企業の責任」は、企業の規模や業種に関係なく、すべての企業に求められるものです。
ここで定められている企業の責任の範囲は幅広く、(1)自社が直接引き起こす人権侵害(例:自社内でのパワハラ、セクハラ)だけでなく、(2)自社が「助長」する人権侵害(例:期限の直前に注文内容を変更したことで、サプライヤーの社員が長時間労働を強いられてしまう)や、(3)自社が取引を通じて「関係」する人権侵害(例:自社の製品が、紛争地域で一般市民を監視するために使用されてしまう)も含まれます。
これらの考え方をもとに、さまざまな国や地域で「ビジネスと人権」に関するルールが作られています。
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新たなルールで企業に人権尊重を義務付ける欧州
欧州では、2023年から2024年にかけて「ビジネスと人権」に関する重要なルールが相次いで発効しました。特に注目すべきは、2024年7月に発効した「企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令(CSDDD)」と、2023年1月に発効した「企業サステナビリティ報告指令(CSRD)」です。
CSDDDは、企業が人権や環境への悪影響を特定し、それを防いだり改善したりするための対策を取ること(デューデリジェンス)を義務付けています。また、人権に関する問題が起きた場合に、被害者や関係者が声を上げるための仕組みを作り、その効果をモニタリングすることも求めています。
CSRDでは、企業の取り組みを外部の投資家や関係者が理解できるように、サステナビリティに関する情報を開示することが義務付けられています。具体的には、「企業価値に対するサステナビリティリスク」と「企業が社会や環境に与える影響」の両方を考慮したダブルマテリアリティという考え方に基づく評価と、その結果をもとにしたESG(環境・社会・ガバナンス)に関わる情報の開示が求められます。
これらのルールは、EU域外の企業であってもEU内で一定以上の売り上げがあれば適用される予定のため、一部の日本企業でも対応が必要になります。
このほかにも、欧州バッテリー規則(EUBR)や欧州森林破壊防止規則(EUDR)など、リスクの高い原料やそのような原料を含む製品に関する、デューデリジェンスを求めるルールが作られています。
日本政府はガイドラインなどで企業の取り組みを後押し
日本では、2020年に政府が「『ビジネスと人権』に関する行動計画(NAP)」を策定し、企業に対する人権デューデリジェンスへの期待を表明しました。
その後、2022年には、企業の人権尊重の取り組みをさらに進めることを目的に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が策定され、2023年には企業の実務担当者向けの「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」が公表されました。これは、企業が人権尊重に取り組む上で、実務担当者が何をすればよいのかを具体的に解説したものです。
これらの公表とあわせて、政府は、公共調達の入札に参加する企業に対して人権尊重の取り組みを求める方針を決定しました。今後、政府事業に入札する企業は、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」などに従って取り組みを進める必要があります。
日本でも「ビジネスと人権」のルール化は進むのか
一方、日本では現在、人権デューデリジェンスやサステナビリティ情報の開示に法的な義務はないため、欧米などの諸外国や人権NGOから、法的に拘束力のあるルールを作るよう求められています。日本政府は、こうした動きも踏まえて、人権デューデリジェンスの国内での法制化について議論を進めていくことになりそうです。
また、人権を含むサステナビリティに関する情報開示については、国際的な開示基準であるISSB基準を参照した新しい国内基準が、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)で検討されています。この基準を有価証券報告書の中での開示項目として導入することが、金融審議会のワーキンググループで議論されており、特にプライム市場に上場している企業は、今後これに対応する必要があると見られています。
このように、「ビジネスと人権」に関するルールは、国内外で急速に整備されてきています。企業には迅速な対応が求められますが、サプライチェーンを含む多くの関係者と協力しながら取り組む必要があるため、すぐに対応できるものではありません。ルールが決まってから準備を始めるのではなく、早めに動向を把握し、準備を進めておくことが大切です。
次回からは、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」に基づいて、企業がどのように人権を尊重するべきか2回に分けて解説します。ぜひこれらの情報を参考にして、今後のルールに備えた人権尊重の取り組みを始めてみてください。
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五味ゆりな(ごみ・ゆりな)
株式会社オウルズコンサルティンググループ
コンサルタント
総務省を経て現職。東京大学法学部(公法コース)卒。
企業のサステナビリティ戦略立案や人権デュー・ディリジェンス実施支援、調達ガイドライン策定、欧州サステナビリティ法令対応支援等のプロジェクトに多く従事。NPO等に対する戦略立案に関するプロジェクトにも従事。
労働・人権分野の国際規格「SA8000」基礎監査人コース修了。