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多様性に富む与那国の樽舞湿原が存亡の危機に、専門家が港湾開発計画に警鐘

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樽舞湿原(記事内すべて西村仁美撮影)

希少な野生動植物が数多存在する沖縄県・与那国島。この南西側に大きく広がる樽舞(たるまい)湿原に、存亡の危機が押し寄せている。2022年から糸数健一町長が進める町の港湾開発計画に4月8日、計画地周辺の比川(ひがわ)集落から計画の説明を求める要望書が町に出され、同28日には説明会が開かれた。計画地の掘削区域には生物多様性を支え、与那国島全体の水系を保つのに重要な働きをなす樽舞湿原が含まれている。湿原がなくなれば、湿原に依存する生き物は絶滅、渡り鳥の中継地もなくなる。また赤土などが直接海へと流出し、周辺集落では、津波や高潮などで家の浸水や流出などの恐れも生じてくる。この危機的状況に、地元専門家や研究者などが警鐘を鳴らす。(ルポライター/フォトグラファー 西村仁美)

「国境の島」と呼ばれる与那国島(沖縄県八重山郡与那国町)で、港湾開発計画が浮上した。計画地の周辺地域にある比川集落では、住民から一任を受けた比川自治公民館館長と役員が4月8日、計画についての住民への説明を求める町への要望書を、糸数町長に手渡した。

港湾開発計画とは、糸数町長が立案した与那国島の経済振興を目的とする「町づくり」構想に基づく。町の経済、地域活性化などと共に、有事や自然災害時の全島民避難に不可欠との主旨で必要性が説かれ、与那国空港の滑走路延伸と共に計画されている。計画では、要請文に添付された図面によると、与那国島南部のカタブル浜から西に位置する樽舞湿原にかけその一帯(1.5平方キロメートル未満)を浚渫(しゅんせつ)する形となっている。仮称「比川港湾」は、延長約1200メートル、最小幅は約200メートル、深さ10メートルに及ぶ。与那国町の話では、「あくまでイメージ図」とのことではあるが、特に問題なのが、サンゴ礁に抱かれるカタブル浜の湾の西端から西側へと続く断層崖下(北側)の樽舞湿原だ。

樽舞湿原は、断層運動によりできた谷底低地に広がる湿地帯で、琉球弧最大規模と言われる。水を通しづらい硬い岩盤の上の、湿地に豊富な水を蓄える「天然ダム」だ。湿地に依存するさまざまな生物の生育、生息を支えるヨシなどの植生が広がっていることで重視され、環境省は「生物多様性の観点から重要度の高い湿地」として、北東部に位置する田原川湿原と共に選定し、その一部を、希少鳥獣生息地の保護を図るための鳥獣保護区にも指定している。

※九州の南端から台湾に至る約1200キロメートルの距離を弓状に連なる弧状列島のこと

崖上からみた樽舞湿原

湿地には、分かっているだけでも10万種以上の淡水生物の生息や生育を支える働きなどがある※4。環境省沖縄奄美自然環境事務所の永長大輔氏は、湿地が生物多様性を育む場であり、「種が一つ減っただけでも、人間も影響は受けています。そしてある転換点を超えると、自然環境全体が分かる形で大きなダメージを受けることになります」などと話す。

以前は、地域住民が樽舞湿原を利用してコメやイグサなどを作っていたが、現在は、池のような形で見られる一部や川などを除き、イグサやヒメガマなどの植物が生い茂る姿に変化している。樽舞湿原では、与那国島固有亜種で日本最大級のヨナグニシュウダ(ヘビ)やカモなどが見られる。また鳥類では、コウノトリやアカヒゲなど、昆虫では、ヒメフチトリゲンゴロウ、タイワンタイコウチなどが生息、もしくは生息の可能性があるとされている。

サガリバナ群落

与那国島の動植物などに詳しい与那国町教育委員会の村松稔氏は、「樽舞湿原の動植物は、ここでしか生きられません。この湿原をなくしたら、全部消滅してしまいます」と訴える。その影響は、渡り鳥の中継地でもあることから島外の生態系などにも及ぶ。また、八重山諸島の大規模なサガリバナ群落は、石垣と西表島で知られているが、樽舞湿原南側の断層崖沿いにも、広範囲かつ高密度で自生しているのが確認されている。サガリバナ自体は希少ではないが、群落としての規模が大きい。環境面などで調査が難しく、樽舞湿原は島の中でもとりわけ未解明な部分も多いため、今後の調査が課題となる。

湿地には、ほかに自然防災、緩衝材機能などもある。湿地に雨水が溜まり、洪水の歯止めにもなる。また、湿地から少しずつ大地に水を浸透させて干ばつを和らげたり、農薬や産業廃棄物等から出る汚染物質の一部や赤土などの海への流出も、湿地や湿地の植物、海洋生物が吸収している。湿地がある限り、これらの働きは持続可能だ。今回の港湾開発計画の対象地域外ではあるが、人口113人、73世帯(3月末時点)の比川集落は、カタブル浜の東側にあり、比川地域の沖には、サンゴ礁特有の地形の「リーフトンネル」も約2年前に発見されている。水陸両面での生態系や人の暮らしへの大きな影響があることは疑いようがない。

元琉球大農学部准教授で理学博士(昆虫分類学)の、屋富祖(やふそ)昌子氏も開発に警鐘を鳴らす。「与那国島は、小さな島ながらも大陸にルーツを持つ動植物の固有種も多く、黒潮やそれに伴うさまざまな上空の気団による生物の移動が、同時に見られる貴重なところです」と話す。

比川港湾の名は昨年、国の総合的な防衛体制強化のための公共インフラ整備として、特定重要拠点港湾の候補地の一つにも挙がっている。周辺の比川集落が、町に説明を求めた背景には、こうしたこともある。

先月28日には、糸数町長による比川集落住民向けの港湾開発計画に関する説明会が実現した。住民の大半は、樽舞湿原などの自然環境保全を求めており、公民館館長によれば、町長も、自然環境を守ることと国境にある島という状況下での町政の在り方に悩んでいる様子が見受けられたという。

世界は、自然を回復軌道に乗せるため、生物多様性の損失を止め、反転させる「ネイチャーポジティブ」に向かっている。約20センチにもなる世界最大級のガ、ヨナグニサンなど希少な野生動植物が多く存在する与那国島。まずは、樽舞湿原を含む計画地域の自然環境評価を、町として早急に実施することが求められる。

西村 仁美(にしむら・ひとみ)

川崎市在住。フリー。約25年間、人権に関わる幅広いジャンルで取材する。ここ5年ほど琉球弧の軍事化を取材、「海でつながる弧」を筑後地域文化誌「あげな・どげなⅡ」で連載中。