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ゼロから未来を創る、複合災害を受けた福島・双葉町が向かう創造的復興とは

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SB国際会議2024東京・丸の内

浅野撚糸が2023年4月、双葉町中野区復興産業拠点にオープンさせた、工場とオフィス、ショップやカフェからなる複合施設「フタバスーパーゼロミル」。復興のシンボル的存在だ(浅野撚糸のホームページより)

Day1 ブレイクアウト

東日本大震災から 11 年以上にわたり全町避難を余儀なくされてきた福島県双葉町が、2022 年 8 月末に特定復興再生拠点区域として一部避難指示が解除された。これにより企業誘致が活発になり、住民が少しずつだが戻ってきている。津波、地震、原発事故と、これまで経験したことのない未曽有の複合災害を受けた双葉町がここからどのようなまちづくりを目指すのか。この地に進出した企業にはどのような思いや狙いがあるのか、復興庁の担当者の言う“創造的復興”とは――。セッションでは、町長、復興庁統括官、双葉町に進出した浅野撚糸(岐阜県)と、官民のキーマン3者が集まり、双葉町の目指すべき未来を語り合った。(環境ライター 箕輪弥生)

ファシリテーター
田中信康・SB国際会議ESGプロデューサー サンメッセ総合研究所代表/サンメッセ取締役
パネリスト
浅野雅己・浅野撚糸 代表取締役社長
伊澤史朗・福島県双葉町 町長
桜町道雄・復興庁 統括官

福島・双葉町だからこそ伝わる世界へのメッセージ

双葉町では東日本大震災から11年以上にわたって全町避難を余儀なくされた(セッションの冒頭に流された動画の1場面)

2022年に避難指示が解除された地域は町全体のわずか15%、震災前まで7000人ほどの人口があったが、今はまだ帰還した住民は100人ほど(2023年末)と厳しい状況が続く双葉町。町には県内中の除染土壌を受け入れる中間貯蔵施設があり、まだ13年前の震災時のまま残された地域も多い。セッションではまず双葉町の現状を映像で確認した。

田中氏

ファシリテーターの田中信康氏は「私も実際に双葉町を訪れたが、状況は非常にシリアスだ。このシビアな状況でなぜ進出を考えたのか」と、『エアーかおる』などのタオルを製造・販売し、2021年からこの地で事業を始めた浅野撚糸の浅野雅己社長に聞いた。

「実際、社員を説得し、銀行に融資をしてもらうのも大変だった。2020年にやっと銀行の融資が下りて、いよいよ発表というときにコロナが始まった」と浅野氏は振り返る。

というのは、浅野撚糸は、その時期経営的に倒産寸前の厳しい状態だったが、吸水性、速乾性に優れたタオルを開発して、奇跡の復活を遂げたばかりだったからだ。

浅野氏

社員からは「せっかく先行きが見えたのに、またなぜリスクを背負うのか」と言う声も多く上がったという。

進出を決めた理由として、セッションで浅野氏は、福島大学出身だったが、福島の復興に何もできていなくてどこか心苦しく思っていたこと、そして事業が軌道に乗り、経産省の「繊維の将来を考える会」のメンバーになった際に「福島の復興に手を貸してほしい」と声をかけられ、現地を見て、どうしてもやらなくてはと決断したことを語った。

そうして浅野撚糸は、資金、労働力などさまざまな課題を乗り越え、昨年4月に双葉町中野区復興産業拠点に、撚糸工場、オフィス、ショップ、カフェからなる複合施設「フタバスーパーゼロミル」をオープンした。

2021年11月の起工式の時点で、双葉の社員はゼロで、募集をしても難しい状況だったが、現在では地域出身の社員を含め24人が働く。

浅野氏は「私たちは双葉に同情で行くような余裕はありません。11年も人が住んでいなかった町なんてない。世界でも類を見ないチャレンジであり、そこで事業をしていることを世界に発信するんです」と語る。

その狙い通り、現在はベトナム、中国、韓国、ポルトガルなどの海外の企業との取引が始まり、シャネル、エルメス、ディオールなど世界のハイメゾンからの注目度も高いという。世界の企業が福島の復興に関心を寄せていることはこの事実からも確かだ。

伊澤氏

一方、双葉町の伊澤史朗町長によると、双葉町には浅野撚糸以外にも「24社の企業が来ていて、19社の企業がすでに動き始めている」という。

そのうちの一つとして伊澤氏が紹介したのが、大和ライフネクスト(東京・港)によるホテル開業計画だ。同社は東日本大震災・原子力災害伝承館に隣接するエリアに、観光客の受け入れから国際会議の誘致までを可能とする新たなカンファレンスホテルを計画している。

伊澤氏は「ネガティブに考えるとこんな町に誰が住むんだとなってしまうが、逆に考えればこういう町だからこそ復興させないといけない、そしてそれは日本だからこそできると思っている」と力を込めた。

自由な発想で町の未来を描くクリエイター

セッションでは、若手クリエイターによる双葉町の未来を提案する映像「Draw in FUTABA」が披露された。これは、さまざまな視点を持ったクリエイターが集まり、現地リサーチやワークショップを経て、双葉町でできることのアイデアを“ビジョン”として具体的に描くという取り組みだ。
映像では、図書館からサウナ、流れ星の見えるカフェまでユニークなアイデアが描かれた。

伊澤氏によると、クリエイターらのプロジェクトは、双葉町に限って行われたわけではなく、視察を通じて彼らが選んだ場所が双葉だったという。伊澤氏は、その理由を「復興最終ランナーの双葉町の現実が彼らの琴線に触れたのでは」と推測するとともに、「これまではどうやって復興させるかを考えてきたが、彼らはゼロから発想して考えている。この自由な発想の違いがこれからの双葉のパワーになるのでは」と期待を語った。

新たなつながりで全く新しいまちづくりを

桜町氏

双葉町の今を国はどう見ているか――。復興庁の桜町道雄氏は「双葉町は元には戻らない。白いキャンパスに絵を描くように、全く新しい町をつくっていく」と話し、これを“創造的復興”と表現した。

「この町をどう維持していくか、それは外から人に来ていただくしかない」。そのためには「交流人口を増やし、ファンになってもらい何度も来てもらって関係人口化してもらうことが重要だ」と桜町氏は強調。そのインパクトの大きさを、「地域の文化や風習、歴史を地域に育った人ではなく、外から来た人に託していくというのは地方創生の中でも初めてではないか」と語った。

プロジェクトはクリエイターが被災地域を視察し、帰還住民や新たな住民らと協創する形で、地域の新たな可能性を検討することにより、関係人口の創出を図ることを狙いとしている。

そんな双葉町の魅力について、浅野氏は「双葉町に来るとみな妄想家になる。その妄想が目標になって計画、実践になり、現実化できるのが双葉だ」と力説。桜町氏は「いったんゼロになった場所が復興するプロセスや変化を実際に見て、一緒に変化を起こしてもらえたらありがたい」と結んだ。

箕輪 弥生 (みのわ・やよい)

環境ライター・ジャーナリスト、NPO法人「そらべあ基金」理事。
東京の下町生まれ、立教大学卒。広告代理店を経てマーケティングプランナーとして独立。その後、持続可能なビジネスや社会の仕組み、生態系への関心がつのり環境分野へシフト。自然エネルギーや循環型ライフスタイルなどを中心に、幅広く環境関連の記事や書籍の執筆、編集を行う。著書に「地球のために今日から始めるエコシフト15」(文化出版局)「エネルギーシフトに向けて 節電・省エネの知恵123」「環境生活のススメ」(飛鳥新社)「LOHASで行こう!」(ソニーマガジンズ)ほか。自身も雨水や太陽熱、自然素材を使ったエコハウスに住む。JFEJ(日本環境ジャーナリストの会)会員。

http://gogreen.hippy.jp/