王子ホールディングス 代表取締役 社長執行役員 CEO
サステナブル・ブランド国際会議 サステナビリティ・プロデューサー

1873年、渋沢栄一の提唱によって設立された抄紙会社を前身とする王子ホールディングス。日本の近代化を支えてきた同社の歩みは、常に「限られた資源をいかに活用し、循環させるか」という問いへの挑戦でもあった。今、世界が「ネイチャーポジティブ」へと大きく舵を切る中で、国内外に63万6000ヘクタール(注1)という膨大な森林を保有・管理する同グループへの期待は、かつてないほど高まっている。
しかし、同社が見据えるのは、単なる環境保全としての森林管理ではない。「木を使うものには木を植える義務がある」という、1930年代から脈々と受け継がれる精神をいかに現代の価値へと昇華させ、デジタル化が進む中で「製紙業」の枠をどう超えていくのか。サステナブル・ブランド国際会議サステナビリティ・プロデューサーの足立直樹氏が、同社代表取締役社長執行役員CEOの磯野裕之氏に迫った。
「ボロ切れ」から始まった王子のDNA
足立直樹・サステナブル・ブランド国際会議 サステナビリティ・プロデューサー(以下、足立): 私は元々は生態学の研究者で、国立環境研究所などで森林生態や植物の研究をしてきました。そんなバックグラウンドもあって、御社の活動には以前から非常に興味がありました。御社は森林と深く関わる事業を展開されているだけでなく、非常に積極的に自然を増やし、活用していく方向へ舵を切っておられると感じます。ここ数年、それがかなり「前のめり」になってきた印象を受けるのですが、そのきっかけや危機感のようなものはあったのでしょうか。
磯野裕之・王子ホールディングス代表取締役社長執行役員CEO(以下、磯野):王子の長い歴史の中から見ると、ここ数年でいきなり何かを始めたというわけではなく、そこまで急激な変化だとは捉えていないのが正直なところです。先人たちが積み上げてきた努力の延長線上に今があると思っています。

サステナビリティ自体にはいろいろな見方があると思いますが、私たちは森林面だけでなく、リサイクルやサーキュラーエコノミーもその重要な一部だと考えています。1875年東京・王子に工場を竣(しゅん)工した際、最初の原料が何だったかご存知でしょうか。実は「ボロ切れ」だったんです。使い古した服を集め、その繊維を紙にしていく。つまり、創業の瞬間からサーキュラーエコノミーを実践していた。そういうDNAを持っていたということです。
足立:創業の原点がリサイクルだったというのは、今の時代に見ても非常に先進的ですね。
磯野:そして1930年代になると、当時の社長だった藤原銀次郎が「木を使うものには木を植える義務がある」という言葉を掲げました。紙の需要が増え、原料が木材に変わっていく中で、木を切るだけでなく同時に植林を行う。自然を大切にしながら事業を運営するこの姿勢は、私たちの根底にずっとあるものです。古紙から新聞紙へとつながるリサイクルの仕組みも、80年ほど前から当たり前のように取り組んできました。こうした長年の取り組みがベースにあるからこそ、今、世界的な潮流と私たちの活動がちょうど合致してきたのだと理解しています。
森林は「木の値段」以上の価値を持っている
足立:振り返ってみると、藤原銀次郎さんがおっしゃった時から100年ほど経っているわけですよね。その継続性は素晴らしいと思います。御社のTNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)レポートも拝見しましたが、社有林の自然資本としての価値を約5500億円と算出されていますね。これを開示されたことは素晴らしいですが、この「資産」をどのように解釈し、経営としてどう価値化していこうとお考えなのでしょうか。

磯野:TNFDレポートの作成を通じて、改めて浮き彫りになったのは「森林を維持しながら事業を運営することの価値」をどう示すかという課題です。世界中の森林オーナーたちと同じ問題意識を持っていますが、これまでは木を切り出した時の「木の値段」くらいしか価値が認められてきませんでした。しかし、森林には土砂流出の防止や水源涵養、生物多様性の維持など、多面的な機能があるはずです。
例えば北海道の猿払(さるふつ)では、大学やスタートアップ企業と一緒に、音声モニタリングやドローン、カメラ、環境DNA(注2)などを用いた生物多様性の可視化・森の価値の見える化に取り組んでいます。森林がきれいな水を作りだし、安定的に川に供給する。その水が流れ込む広大な湿地は鉄分を供給し、それが川を通じて海へ流れ出す。その豊富な鉄分が、猿払沿岸の大きなホタテの産地を支えていると研究者は考えています。「山と海はつながっている」のです。こうした機能はこれまであまり評価されてきませんでしたが、これからはしっかりと発信し、価値化していかなければなりません。
足立:まさに、自然のつながりが直接的な経済価値を生んでいる現場ですね。
磯野:オーストラリアの植林地の事例も非常に示唆に富んでいます。私たちの管理するユーカリの植林地のエリアにはコアラが生息しているのですが、植林地の木は原料として健全に育てているので、葉っぱが豊かでおいしい。すると、あまり手入れの行き届いていない、お隣のユーカリの森にいるはずのコアラたちが、みんな私たちの森にやってきてしまうんです。

足立:コアラが「質の高い森」を自ら選んで移動してくるのですね。
磯野:コアラが密集しすぎると木が切れないといった課題も生じるのですが、重要なのは「森林があるから価値がある」のではなく、「健全に管理された森林があるからこそ価値が生まれる」という点です。ほったらかしにしている森と、ちゃんと手をかけている森では、生まれる価値が全く違う。私たちの植林地は3分の1を環境保全林として管理していますが、単に放置するのではなく、荒れないように適切に管理することで、初めて生物多様性も維持されるのです。
海外でトップが発信する理由
足立:磯野さんが生物多様性条約のCOP16(第16回締約国会議)に自ら登壇し、発信されている姿を私も現場で見て、非常に心強く感じました。実はこれまで「なぜ日本企業のトップはもっと外に出て発信しないのだろう」と歯がゆく思っていた部分があったんです。海外での発信を強められた背景には、どのようなお考えがあったのでしょうか。

磯野:2022年に社長に就任し、2023年にロンドンで森林関係の会合に出席したのが一つのきっかけでした。そこで驚いたのは、海外の森林に携わる人々が、グローバルレベルですでに非常に強固な横のつながりを持っていることでした。彼らはニューヨークやロンドンで開かれる世界最大級の気候変動イベント「クライメート・ウィーク」などに顔を出し、活発に情報交換やネットワーキングを行っている。この動きの中に入っていかなければ、日本は取り残されるだけだと強く感じたのです。
足立:まさにその「ネットワークの不在」こそが、日本企業の課題だったのかもしれません。
磯野:特にサステナブル・パッケージングやバイオマスビジネスなどの制度作りはヨーロッパが先行しています。日本にいて1億2300万人の市場だけを見ていても、こうした情報は入ってきません。そこで私たちは、2023年9月に世界中の森林保有企業を中心とした国際組織「ISFC(International Sustainable Forestry Coalition)」を設立しました。2026年1月末現在、会員企業は22社、管理面積は合計で3000万ヘクタールに及びます。
足立:ISFCでは具体的にどのような活動をされているのですか。
磯野:共通の原則のもとに、森林の価値を同じ尺度で評価する活動を進めています。すでに18社が参加し、生物多様性や気候変動に関する共通指標を開発しており、2026年秋のCOP31(国連気候変動枠組み条約第31回締約国会議)で発表する予定です。私たちが動かなければ、森林の実態を知らないコンサルタントなどがルールを作ってしまいます。森を管理している当事者が「健全な森林管理にはこれだけの価値がある」というルールを世界に提示していく。それがわれわれの責任だと考えています。
製紙業を超えていく
足立:今日お話を伺っていると、サステナビリティがすでに経営の中核にあることを強く感じます。いま磯野さんが最も重視されていることは何でしょうか。
磯野:これまでの製紙事業を否定するのではなく、その上を「超えていく」ということです。情報伝達としての紙の需要が減っていく中で、紙に依存する構造から脱却し、森林資源をより多角的に活用するビジネスモデルを構築しなければなりません。その鍵を握るのが、木材から取り出されるセルロース、ヘミセルロース、リグニンといった成分の活用です。

足立:従来の「紙を作る」という枠組みから、成分レベルでの木の活用、いわゆる「バイオ生成」へと進化していくということですね。
磯野:その通りです。先日、オーストリアのバイオケミカル企業の買収手続きを完了しました。彼らのモデルは、周辺の森林から集めた木材を、エタノールや、洋服の原料となる溶解パルプなどへと活用するものです。この先進的なビジネスモデルを学び、日本の山林資源にも適用させていきたい。日本の森は今、戦後に植えられた木が伐採期を迎えており、これらを資源として有効活用することは、山林の再生、ひいてはネイチャーポジティブの推進に直結します。
足立:サステナビリティへの貢献と、事業の成長が完全に一致しているわけですね。

磯野:具体的な製品レベルでも、サステナビリティを軸にした転換を進めています。一例として、紙製の農業用マルチシートがあります。通常、畑では雑草抑制や保湿のためにプラスチック製のビニールシートを使いますが、これは夏場の地温を上げすぎてしまい、収穫後の回収作業も農家さんの大きな負担になっていました。
足立:それを紙に替えることで、どのようなメリットが生まれるのでしょうか。
磯野:私たちの開発した紙製農業用マルチシートは、適度な通気性があるため地温の上昇を抑えられます。実証実験では、ビニールに比べて地温が約5度下がり、ナスの収穫量が劇的に増えたという事例もありました。さらに、収穫後はそのまま土に漉(す)き込めば微生物によって分解されるため、回収の手間もゼロです。これはパッケージ分野におけるプラスチックから紙への代替と同様、循環型社会を実現するための重要な一歩です。
足立:まさに「木を使い切る」ことで、社会の課題を解決していく。その先に、新しい王子の姿があるのですね。
磯野:はい。私たちは長期ビジョンのスローガンに「サステナビリティへの貢献」を掲げています。これは、サーキュラーエコノミー、カーボンニュートラル、そしてネイチャーポジティブの実現そのものです。森林資源に根差し、その価値を最大限に引き出すことで、製紙業という枠を越えた存在へと進化し続ける。それが私たちの目指す姿です。
足立:150年の歴史を背負いながら、グローバルな最前線で「森の新しい価値」を創り出していく。これからの御社の動きから、ますます目が離せません。本日はありがとうございました。

(注1)森林面積:王子グループが保有・管理する森林面積は、国内外合わせて63.6万ヘクタール(2025年3月末時点)。
(注2)環境DNA:水や土壌などの環境中に存在する生物由来の微量なDNA断片。これを分析することで、生物を直接捕獲・観察せずに、その場所にどのような生物が生息しているかを効率的に把握できる。
インタビューを終えて――「製紙事業を超える」という言葉の重み
足立直樹
今回、磯野裕之CEOにお話を伺い、最も強く感じたのは、サステナビリティが理念やスローガンの段階をすでに超え、同社にとってはきわめて現実的な経営課題として捉えられている、という点だった。
磯野氏がCEOに着任後、王子グループは持続可能な森林管理方針、TNFDレポート、森林破壊・転換ゼロコミットメント、生物多様性コミットメント、環境行動目標2040と、自然資本に関する方針やガイドラインを矢継ぎ早に整備し、またレポートを開示してきた。これらは単なる外部向けの説明資料ではなく、「自分たちは何者なのか」「何を価値の源泉として事業を続けていくのか」を、あらためて言語化する試みでもあるように感じる。
印象的だったのは、磯野CEOが繰り返し強調した「森林は木の値段以上の価値を持っている」という言葉である。土壌、水、生物多様性、さらには海とのつながりまで含めた森林の多面的機能を、いかに可視化し、社会に説明していくか。これは王子一社の問題ではなく、世界中の森林オーナーが直面している共通課題であり、同時にネイチャーポジティブの時代を築くために私たち全員が求めているロジックだ。その中で、ISFCを通じ、当事者自らがルールづくりに関与しようとする姿勢は、日本企業としては稀有であり、高く評価されるべき点だろう。
一方で、「製紙業を超えていく」という言葉の先に、どのような産業像、社会像を描くのかについては、まだ始まったばかりのように感じた。欧州ではPPWR(包装・包装廃棄物規制)のような制度と市場が連動し、紙パッケージやバイオ素材の実需が成長しているが、日本では需要側の合意や制度設計が十分とは言えない。技術や資源を持つ企業だけが努力しても、構造そのものが変わらなければ、大きな転換は起こりにくい。
だからこそ、製紙・林業の枠を超え、メーカー、流通、行政さらには異業種を巻き込みながら、「紙や森林資源が選ばれる社会」をどうつくるのかが、次の焦点になるのではないだろうか。それは、もはや一企業の努力だけで解決できるテーマではない。
150年の歴史を持つ企業が、グローバルなネットワークの中で新しい役割を積極的に模索している。こうした試行錯誤のプロセス自体が、いま日本企業に最も欠けている姿勢なのかもしれない。サステナビリティを「対応業務」から「経営変革の起点」に変えられるかどうか。王子グループの挑戦は、その問いを私たちに突き付けている。
王子グループがこの先、「製紙事業を超える」ことを日本の産業や社会の中でどのように具体化していくのか、引き続き注目していきたい。
| 【参考資料】 王子グループ TNFDレポート2025 https://www.ojiholdings.co.jp/uploads/sustainability/docs/TNFDReport_2025_ja.pdf |
王子ホールディングス 代表取締役 社長執行役員 CEO
海外事業に豊富な経験を有し、王子グループの東南アジア、オセアニア、ヨーロッパ等での展開に貢献。2022年のCEO就任後、パーパス「森林を健全に育て、その森林資源を活かした製品を創造し、社会に届けることで、希望あふれる地球の未来の実現に向け、時代を動かしていく」を発表。持続可能な森林管理が、水資源涵養、地球温暖化緩和、生物多様性保全等、社会・経済的に重要な役割をもたらすことを信念とした経営を実践。
サステナブル・ブランド国際会議 サステナビリティ・プロデューサー
株式会社レスポンスアビリティ 代表取締役
東京大学理学部、同大学院で生態学を専攻、博士(理学)。国立環境研究所とマレーシア森林研究所(FRIM)で熱帯林の研究に従事した後、コンサルタントとして独立。株式会社レスポンスアビリティ代表取締役、一般社団法人 企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB) 理事・事務局長。持続可能な調達など、社会と会社を持続可能にするサステナビリティ経営を指導。さらにはそれをブランディングに結びつける総合的なコンサルティングを数多くの企業に対して行っている。環境省をはじめとする省庁の検討委員等も多数歴任。
眞崎 裕史 (まっさき・ひろし)
サステナブル・ブランド ジャパン編集局 デスク・記者
地方紙記者として12年間、地域の話題などを取材。フリーランスのライター・編集者を経て、2025年春からサステナブル・ブランド ジャパン編集局に所属。「誰もが生きやすい社会へ」のテーマを胸に、幅広く取材活動を行う。











