
エネルギーはいまや地政学的緊張の中心にあり、国家と経済の安全保障を左右する中核課題だ。国際的な秩序は不安定のまま先が見えず、エネルギー貿易の重要性はかつてないほど高まっている。そうした中、国際エネルギー機関(IEA)が2025年版「世界エネルギー見通し」を発表した。エネルギーに関する情勢や世界的な傾向を分析し、シナリオに基づいて機会や脆弱(ぜいじゃく)性、共通項を浮き彫りにする年次報告書の最新版だ。10年後、20年後のエネルギー需給状況や電力消費の傾向、気温上昇などを描いた3つのシナリオを提示しているが、これらを総括してみると、平均気温が1.5度を超える事態はもはや避けられそうにない。世界は、化石燃料からの脱却を改めて推進する決意が求められていると言えそうだ。
2025年版の発表に際し、IEAのファティ・ビロル事務局長は次のように述べている。「多くの政府がエネルギー安全保障を最優先課題に掲げています。そうした背景を踏まえ、世界エネルギー見通しのシナリオは、将来的に立ちはだかる意思決定の重要ポイントと、科学的根拠ならびにデータを基に進むべき道について議論するための枠組みを提供しています」
IEAが提示する3つのシナリオ
IEAは2025年版の報告書で3つのシナリオを提示している。政策や技術、市場に関する最新の包括的データと精密なモデリングに基づいた内容となっているが、あくまでも異なる仮定の下で起こり得る状況であって「予測」ではないと明言する。
1つ目は、現行政策に基づいたシナリオ(CPS)だ。その名の通り、現状を維持した場合に何が起こり得るかを示している。すでに導入・統合済みのエネルギー新技術も考慮されているが、進行速度については控えめに見積もっている。IEAがこのシナリオを提示したのは2019年以来、6年ぶりである。
2つ目は、公表済み政策に基づいたシナリオ(STEPS)だ。現行政策に加え、各国政府が導入の意思を示した取り組みや目標、方向性を組み込んだ内容となっている。ただし、目標の達成は前提としていない。IEAはSTEPSを「中心シナリオ」に位置付けている。
3つ目は、2050年ネットゼロ実現のシナリオ(NZE)だ。2050年までにエネルギー関連排出量の実質ゼロを達成することを念頭に置いた内容である。
全シナリオに共通する前提とは
IEAはシナリオの作成に当たって、3つ全てに共通する前提を設定している。
- 電力の時代が到来:今後数十年にわたり、家庭の冷暖房や照明、産業、輸送や移動、データセンターやAI(人工知能)による電力サービス需要が増加する。
- 再生可能エネルギーが拡大:太陽光を先頭に、風力、水力、バイオエネルギーなどが堅調に成長する。
- 原子力発電が復活:小型モジュール炉への投資が増え、2035年までに原子力発電量が3分の1以上増加する。
以上を念頭に置いた各シナリオについて、詳細を見ていこう。

現行政策のままなら何が起こるのか
エネルギーの最終消費量は今後10年間、年1.3%のペースで増え続ける。これは過去10年とほぼ同じペースだ。産業生産高や家電保有率、モビリティ需要が増える一方、エネルギー効率の伸びが小幅にとどまることがその要因となる。
化石燃料については、石油の需要が新興国や開発途上国で増加するため、2050年までに1日1億1300万バレルに達する。天然ガスも2050年まで需要が伸びる見込み。石炭は今後10年間も唯一最大の電力源になる。
電力需要は世界的に増加するが、エネルギーシステムの電化はなかなか本格化しない。太陽光発電と風力発電は競争力が向上して価格が他の動力源と同等になるものの、統合で足踏みする可能性がある。原発は2030年に入ると新設が加速していく。
エネルギー関連の年間CO2排出量は微増し、2030年初頭から2050年まではおおむね横ばいで推移。欧州を中心に先進国の排出量が減り、中国も2030年以降は減少に転じるが、他地域では増加する。
現行政策を維持した場合、地球の平均気温は2050年までに2度、2100年には2.9度上昇する。
公表済み政策が導入されたら何が起こるのか
エネルギーの最終消費量は新興国と開発途上国の需要拡大により、2035年までの10年間は年1%のペースで増加する。ただし、エネルギー効率が向上するため、増加ペースは過去10年間より緩やかになる。
石油の需要は2030年ごろに1日1億200万バレルでピークに達し、その後は徐々に減少していく。天然ガスは供給拡大を背景に需要が2035年まで年1%弱で増加し、その後は横ばいになる。石炭の需要は2030年までにピークを迎え、インドと東南アジアの増加分より、中国の減少分が上回るようになる。
電力の需要はいっそう増加。先進国では電気自動車(EV)やデータセンター、AIなど、新興国・開発途上国では家電やエアコンの普及・拡大がその要因となる。
2030年以降、全世界のエネルギー需要の追加分は全て再生可能エネルギーで賄えるようになる。再生可能エネルギーが電源構成に占める割合は、2035年に2分の1、2050年に3分の2と上昇していく(主に太陽光と風力)。原子力の発電量は2035年までに40%増加するが、電源構成に占める割合は変わらない。
エネルギー関連の年間CO2排出量は近くピークに達し、2050年には2005年水準に戻る。中国が火力発電で使用する石炭の量が減少することがその主な要因だ。
このシナリオでは、平均気温は2060年ごろまでに2度、2100年までに2.5度上昇する。
2050年にネットゼロが実現したら何が起こるのか
IEAのネットゼロ実現シナリオは、クリーンエネルギーによる電化、エネルギー効率の向上、低排出燃料、メタンガス削減の4本を軸として描かれている。
再生可能エネルギーの設備容量は、2035年までに現在のほぼ4倍に拡大。原子力や低排出技術が全エネルギー消費の3分の1を占めるようになる。エネルギー効率は2035年までに年4%の割合で向上する。また、液体バイオ燃料、バイオガス、水素燃料といった持続可能な燃料の導入が進み、使用量は現在の4倍以上になる。メタンガスは2035年までに80%以上削減される。
エネルギー関連の年間CO2排出量は、2035年までに約55%減少する。それでも、平均気温は2030年ごろに1.5度上昇し、2050年ごろにはプラス1.65度でピークに達する。たとえ2050年にネットゼロを実現しても、1.5度未満に抑えることはできないのだ。ただし、排出削減技術に加えてCO2除去技術を導入すれば、2100年には気温上昇を1.5度未満に引き下げられる可能性をIEAは示唆している。
どのシナリオでもパリ協定の目標は達成できない

報告書が載せた上記のグラフが示すように、IEAが提示したシナリオのどれを取っても、気温上昇を1.5度未満に抑制するというパリ協定の目標を達成することは不可能だ。2100年には、公表済みの政策を取り入れた場合で2.5度、現行政策のままなら2.9度も、産業革命以前の水準より平均気温が上昇する。
頼みの綱である2050年のネットゼロが実現すれば、いったんは1.65度上昇しても、2100年までに1.5度未満に引き下げられる可能性がゼロというわけではなく、IEAは長期的にみて、「気候変動の影響について最悪の事態を回避する余地はまだ残されている」と述べている。
とはいえ、今回の「世界エネルギー見通し」の発表と時を同じくして開催されたCOP30(国連気候変動枠組み条約第30回締約国会議)は、会期を延長して議論したにもかかわらず、1.5度未満達成の前提となるべき「化石燃料からの脱却」という文言を成果文書に盛り込むことができないまま閉幕した。一刻の猶予も許されないにもかかわらず、国際社会はネットゼロに向けて共に歩むどころか、足並みが大きく乱れている。
IEAは石油消費国間の協力体制を構築する目的で設立された。ビロル事務局長は2025年版報告書の中でこう述べている。「近年のエネルギー情勢を振り返ってみても、エネルギー安全保障を巡る緊迫感が同時にこれほど多くの燃料と技術に当てはまった時期はありません。1973年オイルショック直後のIEA設立当時に各国政府が見せたような気構えと関心が求められています」。 国際社会は今、気温上昇を少しでも抑制するべく断固たる意思で脱炭素に臨む覚悟が求められている。
遠藤 康子(えんどう・やすこ)
フリーランス英日翻訳者。英語講師、日本語講師を経て、現在はウェブニュース、雑誌記事、書籍の翻訳を手掛ける。訳書に『子どものためのセルフ・コンパッション』(創元社)など、共訳書に『これからの「社会の変え方」を、探しに行こう。』(SSIR Japan)などがある。












