
こんにちは。2025年3月のサステナブル・ブランド国際会議2025(SB’25)東京・丸の内に、東京大学教養学部の学生として登壇した長岡大熙(だいき)です。
進路に悩みつつ受験した大学院が不合格となり、予期せず空白の1年を過ごすことに。その後、不思議な運命の巡り合わせで、日本からはるばるSB’25 サンディエゴに参加することになりました。この記事では、そこで得た学びを皆さんと共有できればと思います。
考えはまとまらないままでも、行ってみる
はじめに、簡単な自己紹介と、SB’25 サンディエゴに参加するまでの経緯を記しておきます。
私は中学時代、福井県勝山市の母校で生徒会役員を務め、生徒主導で地域の活性化を目指すプロジェクトに積極的に関わっていました。高校や大学ではそうした活動からは離れていましたが、その後、英国への交換留学や、卒業論文に向けた研究を機に、再びふるさとへの関心が高まりました。同時に、自分が将来的にやりたいことを、これまで考えてこなかったことにも気が付きました。
「自分がふるさとに対してできることはなんだろう?」とようやく考え始め、大学院を受験したものの考えはまとまらないままで、結果は不合格。思いがけず1年間の空白が生まれてしまいましたが、やりたいことがよく分からないままでは、大学院の再受験も就職も、自分のためにならないことを心の中で感じていました。
そんな中で、2025年3月に行われたSB’25 東京・丸の内の「ESDが拓く社会: 次世代と共に問いを立てる――教育現場と企業による対話」にスピーカーとして招待いただきました。そこでは、自身が子ども時代に受けた教育が、どのように、ふるさとに対する愛着や自分のアイデンティティに影響を与えているか、についてお話しました。
そしてSB’25 東京・丸の内のキックオフパーティで、SB創設者のコーアン・スカジニア氏から「秋にサンディエゴでSBが開かれる」ことを聞きました。「行ったところで本当に自分のためになるのか?」と迷いましたが、このチャンスを逃すわけにはいかないと思い、SB’25 サンディエゴへの参加を決断しました。
サステナビリティや働くことに対する、米国の姿勢を知りたい
サンディエゴでの目標は、「サステナビリティ」という言葉がどのように社会全体に落とし込まれているのかを、より高い視座から見ることでした。
大学時代は「サステナビリティ」とはほとんど無縁な生活を送っていました。しかし、2024年末からバドミントンの普及活動の一環で、途上国に寄贈するためのラケットの回収・修繕のボランティアを始めたり、SB’25 東京・丸の内に参加したりしたことで、「サステナビリティ」が社会の様々な場面で使われ、私たち人類の未来のために動いている人たちが多くいるということを知りました。そうした人たちとつながりを作れることに、純粋な喜びを感じていたのです。
その一方で、こうしたコミュニティが、日本と米国ではどのように違うのか、ということも気になっていました。カリフォルニア州のGDPが日本全体のGDPを抜いたというニュースも記憶に新しいですが、米国の人々の等身大の姿を学び、停滞感のぬぐえない日本に持って帰ることはできないかとも考えていました。
また、今まさに自分が悩んでいる、将来の生き方に対する姿勢の違いにも興味がありました。日本で「働く」と聞くと、長期休暇を取ることが難しかったり、長時間労働による過労死や労働時間あたりの生産効率の低さが話題になったりするなど、どことなく閉塞感や疲労感が漂う印象があります。一方、米国における社会人は、自分の仕事に熱意や誇りを持って働いている人が多いイメージがあります。そんな彼らから、働くことや生きることについて学びたいという気持ちもありました。
日本では大学卒業後すぐに就職するのが当たり前なので、あまりギャップイヤーを取っている人は見たことがありません。SB’25 東京・丸の内でも、私が自分の現在の境遇を語ると、珍しがる人が多かったと感じます。「自分は何も成し遂げられていない」という感覚は常にありますが、しかし、むしろ何者でもない自分が、サンディエゴでの出会いを通して何ができるのかということを試したいと思っていました。
トランプ政権の影響と、日本との政治姿勢の違い
サンディエゴでまず印象的だったのは、第2次トランプ政権による自国第一主義的な大転換の影響です。
日本でもいわゆる「サステナビリティ疲れ」とも呼べる現象が起こっているのを感じますが、SB’25 サンディエゴ1日目の全体セッション「MAGAに対してサステナビリティを語るには (How to speak sustainability to MAGA)」では、現在のアメリカ社会の中でいかにサステナビリティ、DE&Iといった話題を公に語りづらくなったか、その中でわれわれはどのように対処していけばよいのか、ということが語られました。
共和党に対し批判的な発言もあったために、参加者の中にはよく思わなかった方もいたと、その後のランチで小耳に挟みました。とはいえ、トランプ政権の影響はSB全体でも明確で、出展企業や参加人数が昨年と比べおよそ半分に減ったとか。トランプ政権のインパクトが大きいということもありますが、そもそも政治的立場を表明することがあまり是とされない日本とは、大きな差異があると感じました。
自分の役割に誇りを持つ参加者たちと、若者の重要性
一方で、SBの参加者からは希望を感じました。円卓を囲んでの食事や、セッションの前後に用意されたネットワーキングでは、企業や各分野の現状や展望についての議論が交わされており、それぞれの参加者が企業における自分の役割に誇りを持っている姿が見られました。意を決して会話に飛び込んでみると、快く迎え入れてくれたのが印象に残っています。

同世代との出会いもポイントになりました。若い世代の参加者同士のコミュニケーションでは、AIの画像認識技術によって、主に大学でのリサイクルやリユースを促進する事業を行う起業家や、インスタグラムなどのソーシャルメディアを通して環境保全に向けた取り組みを紹介しているインフルエンサーと会いました。
同世代の活躍を間近で見たことで、「自分も未来のために活動できるかもしれない」という勇気を得ました。また、今年から現地の高校生を招待するという取り組みが始まるなど、日本でのSBのように対象の年齢層を広げようとする取り組みも広がっているようです。
特にマーケティングの観点では、若い世代、いわゆるZ世代が重要な存在と捉えられているのを感じました。3日目に行われた「イエス! サステナビリティこそ買う理由!(Yes! Sustainability Is A Reason to Buy!)」というセッションでは、マーケティング調査企業のERM Sheltonがモデレーターを務め、クロックスとアマゾンが、それぞれサステナブルな商品がどのように消費者の購買意欲をかき立て、売上拡大につなげたかについて議論が行われました。
ソーシャルメディアによるプロモーションの効果もあり、Z世代におけるサステナビリティに対する意識は高いようです。具体的には、商品の購入・使用を通じ、「サステナブルを意識している人と周囲に思われたい」と答える人は、若い世代に多いという調査結果が紹介されていました。
「Moving the middle(中央値を動かす)」
企業経営の観点からは、経営のサステナブル化に苦心している様子が伝わってきました。経営層が決定したサステナブルな経営方針を、どのように末端の従業員にまで伝え、「自分の仕事がサステナビリティに貢献している」というやりがいを引き出すか、頭を悩ませているようです。
また、企業としての求心力を維持しながら人材の水準を引き上げていくという、2つの課題を両立する難しさも感じました。ネットワーキング中に、企業で研修を担当しているという参加者2人の議論に参加する機会がありましたが、「せっかく採用した人材であっても、研修であまりにも高い水準を求めてしまったがゆえに人員を失ったこともある」といいます。
そこで話題になったのが、ある講演の中で紹介されていた「moving the middle」という概念でした。「moving the middle」とは、経営層だけが変わっていくのではなく、研修や採用を通じ、「中央値」を上げることによって全体の水準を引き上げるという概念です。
サステナブルな経営に向けた新方針は、しばしば労働者に追加の業務を強いる可能性がある中、既存の従業員をどのように研修していくのか。また新規従業員に対しては、持続可能性の観点からどのように企業の魅力を高めていくのか。こうした経営層視点のサステナブル経営の難しさを学ぶことができたのは大きな収穫でした。
これから社会人になる身としては、企業を選ぶ上で、単に労働条件だけでなく、どのような経営が行われているかということに目を配りたいと感じています。これからの時代、企業にとってもサステナブルな経営は避けられないものでしょう。言葉だけが先行してしまい、本質的でないような取り組みも多々見られますが、どのようにサステナビリティと向き合っていくか、一人ひとりが考えなければならない時代なのかもしれません。
ただ注目されていてビジネスチャンスになるからというレベルの話ではなく、自分も動き始めなければ未来の世代に安心した暮らしを残せない。そんな地球規模の危機感を覚えた経験でした。
一歩ずつ、自分にできることを
多くの参加者とは異なり、自分はこれまで企業で働いた経験もほとんどなければ、何かを成し遂げてきたわけではありません。これまでの人生を振り返ると、いろいろなことに興味を持ってきましたが、裏を返すと何一つとして深められていないということでもあります。
4日間の日程の中で、若くして活躍する起業家や、次世代を応援する経営者たちと会い、一体いつになったら「勉強中」という身分を捨てられるのかと自身に問いかけました。
この半年間、誘われるままに催し物に参加し、人と会ってきました。フットワークの軽さが自分の強みだと思っているし、未知の分野の未知の人々に会ってつながりを広げることは好きなので、これからも継続したいと思います。

一方で、自分が本当にやりたいと思ったことを周囲の人々に伝えることによって、新たな発見があったり人とのつながりができたりするということも経験し、これまでぼんやりとしていた自分の将来が明るく感じるようにもなりました。
選択肢が豊富すぎるがゆえに悩むというぜいたくな時代ですが、コロナ禍やAIの台頭を経験し、「人間の力」という一見陳腐な表現にも、説得力が備わるようにもなりました。
今回の旅でさらに悩みが深まった気もしますが、まずは一歩ずつ、自分のできることから始めていきたいと思います。
長岡 大熙
2001年生まれ。福井県勝山市出身。 勝山北部中学校に在籍時、地元勝山市を「美しく」「元気に」「有名に」をコンセプトに掲げた「北中まちづくりプロジェクト」に生徒会メンバーとして参加。地元の魅力をPRし、グッズ販売を通じて活動の周知を図るなどの取り組みが評価され、第6回ESD大賞中学校賞を受賞した。 大学進学後、都内出身の学生が多い環境で故郷をはじめとした地方への意識が高まり、地方が持つ可能性について改めて考え始めた。2023年秋から英国・ウォーリック大学に留学し、日本を外から眺める視点を得た。日本のイメージが東京を筆頭とする大都市によって代表されがちな現状を認識し、むしろそうしたイメージに覆い隠されている地元への愛着が深まった。 現在は、趣味でもあるバドミントンを通じ、地域や環境のサステナビリティについてできることを模索している。









