
企業の生物多様性保全への取り組みを後押しする「地域における生物の多様性の増進のための活動の促進等に関する法律(地域生物多様性増進法)」が、今年4月に施行された。企業が有する森や里山、都市の緑地など、これまで環境省が「自然共生サイト」として認定していた生物多様性保全の仕組みを新たに法制化し、再構築することで、その取り組みの効果をより強めようとするものだ。世界目標であるネイチャーポジティブの達成に向け、日本企業の生物多様性保全の取り組みを巡る状況はどう変わるのか、新法の趣旨を解説する。
自然共生サイトと「生物多様性地域連携促進法」が土台に
自然共生サイトは、2030年までに陸域と水域のそれぞれ30%を健全な生態系として保全する世界目標、いわゆる「30by30(サーティ・バイ・サーティ)」の達成に向けた日本独自のアプローチとして、環境省が2023年度に開始した任意の制度だ。
民間企業などの取り組みによって「生物多様性の保全が図られている区域」を、自然と人との関係性を表す、制度と同名の「自然共生サイト」として認定。その中から、保護地域と重複しない区域を、国際的に「保護地域以外の場所で生物多様性保全に貢献する土地」として定義される「OECM(Other Effective area-based Conservation Measures)」の国際データベースへ登録してきた。
今回の新法は、この日本版OECMとも言える自然共生サイトの仕組みと、名古屋でCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開かれた2010年にできた「生物多様性地域連携促進法」の2つを土台として再構築。自然共生サイトの国際的な発信力を強化し、個々の取り組みを戦略的且つ継続的に支援することを狙いとしている。 では、法制化前と法制化後の自然共生サイトでは、何がどう違うのか。まずはそのポイントを挙げる。
法制化前と法制化後の「自然共生サイト」の違いとは

ポイント 1 「場所」を認定から「活動」を認定へ
法制化前と法制化後の自然共生サイトの大きな違いは、法制化前には、生物多様性の保全が図られている区域、すなわち「場所」そのものを認定する制度であったのに対し、法制化後は、より幅広い取り組みを柔軟に促進するため、生物多様性を増進する「活動」を認定する制度へと変わったことにある。
新「自然共生サイト」に登録されるには、まずは特定の場所にひもづいた生物多様性を増進する活動実施計画を申請し、主務大臣によって認定されることが前提となった(この仕組みについては後述)。法制化前に認定された従来の自然共生サイトは、認定期間である5年以内に新法に基づく申請を再度行う必要がある。
ポイント 2 生物多様性の「回復」と「創出」がキーワードに
さらに、その活動内容には、すでに生物多様性が豊かな場所の維持に加え、管理放棄地などにおける生物多様性の「回復」や、開発跡地などにおける生物多様性の「創出」も対象とすることが明記された。
環境省によると、今回、新たに生物多様性の「回復」と「創出」をキーワードとしたのは、「2030年までに劣化した生態系の少なくとも 30%で効果的な再生を行うこと」とするGBF(昆明・モントリオール生物多様性世界枠組)のターゲット2に基づくものだ。この、「回復」と「創出」で認定を受けた場合には、計画に基づく活動の結果、その場所の生物多様性が豊かになったと確認された時点で、OECMとして登録する流れとなる。
「増進」と「連携」2つの認定制度がスタート
ここで、新法のポイント1で挙げた、自然共生サイトが、「場所」を認定する制度から「活動」を認定する制度に変わった具体的な仕組みを見てみたい。

自然共生サイトの仕組みとともに、「生物多様性地域連携促進法」を引き継ぐ「地域生物多様性増進法」は、旧法と同じ枠組みで、環境省と農林水産省、国土交通省の3省が管轄する。その上で今回、新たに設けられたのが「増進活動実施計画」と「連携増進活動実施計画」の2つの仕組みだ。
前者は企業やNPOなどが、生物多様性の維持・回復・創出に資する具体的な計画を、後者は市町村と地域の多様な主体が、連携してそれらの活動にあたる計画をそれぞれ申請し、主務大臣(環境大臣、農水大臣、国交大臣)が認定する。
両制度とも認定を受けると、その活動が「自然共生サイト」に登録されるだけでなく、例えば、企業や団体が、森づくりや里山の再生などのプロジェクトを行う際に必要な複数の法令に基づく申請や許可手続きを一本化、簡素化できるなどの特例措置を受けられる。
土地を所有していなくとも「支援証明書」を発行
さらに、新法では、企業等がその土地を所有していない場合でも、自然共生サイトの質の維持や向上のために必要な金銭的および技術的、または人的な支援を行った際には、「支援証明書」を発行する制度が構築された。このことで企業による保全活動や貢献が可視化されると期待される。環境省によると、この証明書は企業がTNFD(自然関連財務情報タスクフォース)やIR活動などを通じた投資家向けの情報開示に活用することを念頭に設計されており、今年夏ごろから本格的な運用が始まる。
このほか、新法の下では、企業や団体が生物多様性保全の取り組みを行う上でのインセンティブとして、補助金の活用や、自然共生サイトの認定を受けるための調査手法などを助言する仕組み(有識者マッチング)が検討されている。
生物多様性の「回復」と「創出」とは?
では、今回、新たに自然共生サイトの認定の対象として明記された、生物多様性の「回復」と「創出」とは具体的にどのような取り組みが想定されるのか?
遊休荒廃地をブドウ畑に転換――キリンホールディングスの参考例
本稿では、その一つの参考例として、2023年度に自然共生サイトとして認定された、キリンホールディングスの「シャトー・メルシャン 椀子(まりこ)ヴィンヤード」(長野県上田市、約30ヘクタール)のケースを見てみたい。

東京ドーム6個分の広大なブドウ畑が広がる同地は、かつての桑畑が、市況の変化や生産者の高齢化などで遊休荒廃地化していたのを、上田市や地元住民らの尽力で地権者を取りまとめ、ブドウ畑に転換したものだ。2003年からキリンホールディングスの事業会社であるメルシャンが設立した農業生産法人が管理している。
認定内容によると、垣根仕立ての畑は、年に数回、下草を刈る早生栽培を実施することで、在来種や希少種が回復したことが確認されている。畑の周辺は広葉樹に囲まれ、南側には水田が広がり、貯水池もある。そこにブドウ畑が草原として存在することで、里地里山の主要要素が揃ったという。遊休荒配地を在来種の生育する草原と畑に整備したという点において、生態系の創出と回復と評価された。
生態系として質的にも回復していることは、農研機構との2015年からの共同研究で明らかになったもので、定期的な植生調査と昆虫調査のほか、2019年からは草生栽培がブドウそのものに与える影響を調査することを目的に、クモや土壌生物、鳥などの調査も行うなど、モニタリングを続けているという。
なお、この「椀子ヴィンヤード」は、自然共生サイトとして正式認定された中では唯一、事業として農産物を生産する畑であり、事業を通じて「ネイチャー・ポジティブ」につながる事例として認められたものとなる。
2030年に30by30を達成する実効性ある方策となるのか
環境省によると、従来の自然共生サイトの認定数は2024年度までの2年間で島根を除く全国46都道府県の328カ所(計約9.3万ヘクタール)に上り、うち2023年度に認定された約4.8万ヘクタールがOECMとしてリスト化されている(2024年度分については登録作業中)。
またこれまで自然共生サイトの認定を500カ所以上に増やす方針を示してきた同省だが、新法の下での認定数の目標については「状況を踏まえて改めて精査しているところ」だという。
足元では、日本の生物多様性保全の現状は、「陸域20.5%、海域13.3%」(2020年)であり、ここからあと5年足らずの間に、陸域を9.5ポイント、海域を16.7ポイントと大幅に増やすことは可能なのか? 生物多様性の「維持」に、「回復」と「創出」を加えながら、日本版OECMを増やしていくことで、本当に必要な面積をカバーできるのだろうか?
TNFDの提言に基づいて、自然関連のリスクと機会の早期開示を行うと表明した日本企業は世界最多の約130社を数えるなど、生物多様性への取り組みをビジネスチャンスと捉える機運は今、日本でかつてないほど高まっている。
そうした今だからこそ、日本企業にとって、新法が、生物多様性を“守るべき資源”から“守るとともに、活用すべき戦略資本”へと転換する真の契機になるかどうか、そしてなにより、日本にとって、2030年の30by30を達成する実効性のある方策となるのかどうか、が問われている。
【参考資料】 ・環境省資料「支援証明書制度の試行運用結果及び本格運用の検討について」 https://www.env.go.jp/content/000296398.pdf ・環境省資料「地域における生物の多様性の増進のための活動の促進等に関する法律について」 https://www.env.go.jp/content/000253465.pdf ・環境省 30by30 認定サイト一覧 https://policies.env.go.jp/nature/biodiversity/30by30alliance/kyousei/nintei/index.html |
廣末 智子(ひろすえ・ともこ)
サステナブル・ブランド ジャパン編集局 デスク・記者
地方紙の記者として21年間、地域の生活に根差した取材活動を行う。2011年に退職し、フリーを経て、2022年より現職。サステナビリティを通して、さまざまな現場の思いを発信中。