「豊岡鞄®」を今治のタオルや鯖江の眼鏡に続く地域ブランドに――かばんの産地、兵庫県豊岡市の挑戦続く
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11月29日の贈呈式で自分のデザインしたかばんを受け取る男の子
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「福井県鯖江市の眼鏡」や「愛媛県今治市のタオル」に続く“地域ブランド”として、着実に歩みを進めるかばんのブランドがある。兵庫県豊岡市の「豊岡鞄®」だ。町の一大産業であるかばん作りは、それまでその多くがOEM(Original Equipment Manufacturing)※1だったが、2005年に兵庫県鞄工業組合が主体となって持続可能な産業となるべく、地域団体商標の取得及びブランド化を促進。現在、厳正な基準を設けた「豊岡鞄®」に34社※2が認定されている。2024年には、かばん作りの将来の担い手に目を向け、全国の子どもたちからデザインを募った「豊岡鞄®とつくる夢のかばんプロジェクト2024」を実施。全国に向けて「豊岡鞄®」を発信している。(松島香織)
※1 他社から仕事を受注し他社ブランドの製品を製造すること
※2 令和7年1月1日現在
兵庫県豊岡市は、県の北東部に位置し、地形は盆地をなすことから寒暖差が大きく、全国有数の多雨地域でもある。また、絶滅危惧種である野生のコウノトリが生息することでも有名だ。古くから町の産業は、湿地に自生するコリヤナギを利用した柳行李(やなぎごうり)※3の生産が中心であり、その後、かばんの産地として豊岡が発展することにつながった。
※3 コリヤナギで編んで作った、衣類などを入れるのに用いる行李(こうり)
だが、長らく「豊岡」の名前が出ないOEM生産が主流であった豊岡のかばん産業は、1985年のプラザ合意※4以降、1991年の生産額を頂点に、円高の影響を受けて安価な輸入品に押され、生産規模を縮小してきた。危機感をもった組合は、ブランド化を通じて全国へ認知を広め、製品の売り上げ向上、また各企業の競争力を高め地域経済の活性化につなげることを目的に、2005年にブランド委員会を発足。2006年に「豊岡鞄®」の商標を取得した。現在、「豊岡鞄®」を名乗れるのは34社だ。年に6回審査会があるが、厳密な製品検査・審査基準があるため、応募数の3分の1は落選しているという。
※4 先進国5カ国(日・米・英・独・仏)による、過度なドル高の是正を目的に、外国為替市場での協調介入を行う合意
ブランド化によって、それまで卸売業から小売業を経て消費者に届けていた豊岡のかばんは、「豊岡鞄®」として直接消費者に届けられるようになった。現在、東京や金沢など、全国に13店舗を構え、百貨店などへの期間限定ショップや展示会など積極的に展開している。
豊岡鞄®の品質の良さを広めることで、地域産業が活性
豊岡市としても、かばん産業は城崎温泉を軸にした観光業と併せて、地域経済の基盤だと捉え、積極的に支援している。「特にかばん産業には多くの人が関わり、雇用の割合でいくとインパクトが大きい。市としてかばん産業を応援していく、と位置付けている」と豊岡市コウノトリ共生部 環境経済課兼農林水産課の宇野純也氏は話す。市では、豊岡鞄®の取り組みに携わり補助金を出したり、ふるさと納税の返礼品にするなどして支援。多くの企業は、未だOEMに頼っているため、宇野氏は「豊岡鞄®の価値を、我々行政も一緒になって引き上げていくことで、市のかばん産業全体を盛り上げたい」と期待している。
市ではいわゆる「シャッター街」になってしまった駅から10分ほどの商店街に、かばんメーカーを誘致して、観光業と結び付けた「カバンストリート」を整備。かばんの自動販売機を置いたり、ベンチやポストなどをかばんのモチーフにするなど仕掛けをつくり、城崎温泉と併せた観光ルートとして町ににぎわいの場を作った。
また、兵庫県鞄工業組合、一般社団法人豊岡鞄協会と共に、2021年から豊岡鞄®をさらに盛り上げるべく3年を期限とした「シナジープロジェクト」を開始した。1年目には豊岡鞄®にはどのような特徴があるのかを整理し、「良いものを長く使いたいという品質に対するこだわりの美学を持つ本物志向の人」を顧客ターゲットにするなどブランドステートメントを打ち出した。2年目からは、ホームページやSNSを改善して、自分たちが伝えたいことを訴求できる体制を整えた。
こうした取り組みから品質の良さは徐々に全国に伝わり、生産量は増えているという。「プロジェクトを開始してから、基本的には売り上げは右肩上がりで、毎年生産量が増えている。つまり豊岡鞄®の認知が広がっているということ」と宇野氏は手応えを感じているようだ。
そしてプロジェクトの最後となる3年目は、ものづくりの魅力や楽しさを伝え、市の定住・関係人口の増加や技術を継承するかばん職人の育成につながるよう、将来世代に目を向けた「豊岡鞄®とつくる夢のかばんプロジェクト2024」を実施した。
「夢のかばん」に込めた、かばん産業の持続可能な未来
衣川英生氏
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「豊岡鞄®とつくる夢のかばんプロジェクト2024」は、子どもたちが考える「夢のかばん」を、職人が子どもと対話しながら形にしていくというもの。まず18歳以下の子どもを対象に、東京と大阪で「夢のかばん」を描くワークショップを開催し、合わせて約160人が参加。その後、改めてデザイン画を募り全国から173点の応募があった。
その中から、審査委員と豊岡鞄®のメーカー8社が議論を重ね、8点のデザイン画を選んで製作。11月に贈呈式が開催され、怪獣や宝箱などの形をしたかばんが披露された。会場のKITTE(キッテ、東京・丸の内)に集まった子どもたちは、自分が描いた絵を基に実際に形になったかばんを見て、歓声を上げながら駆け寄っていた。出来上がったかばんは、東京と大阪の店舗で展示された後、クリスマスの日に子どもたちにプレゼントされた。
兵庫県鞄工業組合 理事長の衣川英生氏は、豊岡鞄®は約18年の歴史があると挨拶。「18歳というと、ちょうど日本では成人にあたり、大人になる入口に立ったということ。ここからさらなる躍進を遂げていかないといけない」と豊岡鞄®の発展に向けて決意を表した。そして、子どもたちと保護者に向けて、豊岡にかかわらずファッションやかばん業界に興味を持ち、将来的に一緒に仕事ができたらうれしいと呼びかけた。
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グローブ型の「てのかばん」のデザイン画と出来上がったかばん(プレスリリースより)
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デザインは、豊岡の象徴でもあるコウノトリをモチーフにしたものや、怪獣などさまざまだ。ある大阪の男の子は、野球が大好きでグローブ型のかばんを描いた。一緒に会場に来ていた父親が「これを持って阪神タイガースの試合に行けるね」と言うと、出来上がったかばんを前に嬉しそうにうなずいていた。このかばんを製作したモリタ代表取締役の谷口知之氏は、「指の間隔が狭くカーブがあるので縫いに苦労がありました」と話す。また男の子と度々打ち合わせをして布地の色を決めたり、幅のバランスを工夫して、よりグローブらしさを出したという。
モリタはもともと革の取っ手(ハンドル)やかばんに付属するパーツの加工会社だった。だがコロナ禍に、自社ブランドがないため、相手先からの発注がなくなれば自社の仕事がなくなってしまうという危機感を持った。そこで「TOTTE(とって)」というかばんの自社ブランドを立ち上げて、豊岡鞄®の認証を取得した。「うちの特徴はやはり取っ手。かばんでいちばん大事な部分なので、そこには妥協を許さず、持ちやすい取っ手を生かしたかばん作りをしていきたい」と意欲的だ。
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「観覧車のかばん」のデザイン画と出来上がったかばん(プレスリリースより)
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観覧車をイメージしたかばんの製作を担当したのは、タイムバックスの坂田恵子氏だ。坂田氏は、審査会でこのデザイン画を見た時「すごくわくわくした」という。「絵のカラフルさと5歳の男の子の描写力に感銘を受け、ぜひこれを形にしたいと思いました」と話した。タイムバックスは早くから豊岡鞄®の活動に参画。かばんの製作では、「いかにごみを減らすか」「その余った部分をどうやってまた使うか」「どう最後まで使えるか」をテーマに取り組んでいる。
「デザイン画を見ていたら、残っている皮や生地の端材が使えて、動きがあり面白いものができると思った」と坂田氏。男の子はとても気に入ったようで、ほかの子どもたちと一緒に、観覧車の部分を外したり付けたりして楽しそうに遊んでいた。観覧車には、アウトドアや介護用品に使用されるホックを付けて着脱できるようにした。ホックは引っ張っても取れず、上にスライドすると取れるようになっている。だがホックは通常金具なので数個付けると重くなってしまう。いちばん苦労したのは、「材料選びと小さい丸を縫うこと」だったという。
15年ほど豊岡鞄®と歩んできた坂田氏は「今回のプロジェクトを通じて、この町の産業や私達のかばん作りをもっと知っていただきたい。子どもたちにかばん作りは『こんなに楽しいんだよ』と分かってもらいたいです」と語った。
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「きょうりゅうかばん」「私とパパとママのバッグ」「ラブカをだっこ」のかばん
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兵庫県鞄工業組合 副理事長を務めるマスミ鞄囊(ほうのう)代表取締役・植村賢仁氏は、「このプロジェクトに我々も真剣に取り組んだ。お子さんの笑顔に手ごたえを感じている」と自身も笑顔を見せる。そして、「豊岡産のかばん」を「豊岡鞄®」へとブランド化した当時を振り返り「当時は成功するかどうかは分からない状態。でも何もしなければ衰退するだけなので、何か一歩からでも始めないといけないと考えていた」と話した。
そして「物を作り売る職人を育てるというサイクルを回さないと、産地として成り立っていかない。その基礎作りはある程度できたと思う。だがまだ知名度が低くて、全国的に知名度をどうやって上げていくのかが今の最大の課題」だと植村氏と続けた。
兵庫県鞄工業組合 専務理事でシナジープロジェクト委員会の委員長を務める、ナオト代表取締役社長の宮下栄司氏も同じく、豊岡鞄®の「緊急の課題」と考えているのが知名度と職人の育成だ。現在、育成の場は2つある。1つ目は豊岡市と兵庫県鞄工業組合が設立し、豊岡まちづくり社が運営するかばんの専門学校「アルチザンスクール」。2つ目は、兵庫県立但馬技術大学校からの委託を受け、組合企業から出資を受け設立した豊岡K-site合同会社が運営する「鞄縫製者トレーニングセンター」だ。
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「宝箱のリュックサック」「地球にやさしいリバーシブルバッグ」「肩掛けコウノトリ鞄」
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宇野氏によると、入学者の95%は豊岡市外から来るのだという。また卒業者の約6割が豊岡市のかばんメーカーに就職しているという実績がある。宮下氏は、「会社では若い世代が活躍しており、我々の地場産業はこうした若い方がたくさん集まって発展していく、前向きな産業だということを発信していきたい」と力を込めた。
3年間のシナジープロジェクトは今回で一旦終了するが、「夢のかばんプロジェクト」は継続して開催する予定だ。「2025年は大きな規模でできるかどうかは分からないが、やはりこうして子どもたちにもの作りに興味を持ち、プロセスを体験してもらいたい。知名度を上げるのはすごく時間かかることだと思うが、続けていくことが大事だと考えている」と宮下氏は力強く語った。
今治市のタオルや鯖江市の眼鏡に続く“地域ブランド”の確立に向けて、豊岡鞄®の挑戦を見守っていきたい。