サステナブル・ブランド ジャパン | Sustainable Brands Japan のサイトです。ページの先頭です。

サステナブル・ブランド ジャパン | Sustainable Brands Japan のサイト

ブランドが社会とつながる、持続可能な未来へ  「サステナブル・ブランド ジャパン」 提携メディア:SB.com(Sustainable Life Media, Inc.)

にぎわいを生み出す持続可能なまちづくりの秘訣ーー横浜・日ノ出町

  • Twitter
  • Facebook
Tinys Yokohama Hinodechoの川口直人マネージャー(右)とカンタさん(左)

かつて200店以上の違法風俗店が立ち並んでいた横浜日ノ出・黄金町エリア。ここに2018年4月、飲食店や宿泊施設を備えた複合施設「Tinys Yokohama Hinodecho(タイニーズ 横浜日ノ出町)」が誕生した。近隣のみなとみらいに比べて人通りが少ないこの地域のイメージを一新し、人を呼びこむ持続可能なまちづくりに挑戦する。Tinysの川口直人マネージャーは試行錯誤した1年目を振り返り、「大切なのは、まち全体ににぎわいを生み出す仕掛けをつくること」と話す。(サステナブル・ブランド ジャパン編集局=小松遥香)

平日の午前中、京急日ノ出町駅から徒歩5分にある「Tinys Yokohama Hinodecho」(以下、Tinys)を訪ねた。平日とはいえ、通りにいるのは風俗店跡を写真におさめようとするアマチュアカメラマンと時折人が通るぐらい。静かな場所だ。

「ご覧の通り、人通りが少ないエリアです。横浜と聞くと、山下公園などを思い浮かべるかもしれないですが、一応ここも横浜市です。ここには全盛期、違法風俗店が250店舗ほどあったそうです」(川口マネージャー)

「その頃を知っている大人たちは、子どもに、このエリアには行っちゃだめと教えるような場所です」と話すのは、横浜市出身でTinysのイベント企画や飲食を担当するカンタさん。

そうした店舗は2005年、町内会からの働きかけをきっかけに、神奈川県警による取り締まり「バイバイ作戦」によって一掃された。2008年からはまちの再生を目指し、アートフェスティバル「⻩⾦町バザール」を開催するなどアートによるまちづくりが行われている。

風俗街が立ち並んでいたという日ノ出町駅から隣駅の黄金町駅までの道には、アート作品と当時の面影が混在している

そんな中、イベントではなく日常的にこの場所に人を増やしてにぎわいをつくってほしい、と京急電鉄が声をかけたのがTinysを運営するYADOKARI(横浜市)だった。同社は、移動可能なタイニーハウスなどの「動産」を活用した遊休地などの企画・開発、メディア運営を通して、暮らし方の視点から、これからの豊かさの実現を目指すクリエイティブ集団だ。

YADOKARIは2016年12月から2018年3月までの期間限定で、東京・日本橋小伝馬町エリアに設けた飲食・イベントスペース「BETTARA STAND 日本橋」で、450本以上のイベントやワークショップを開催し、まちづくりや地域活性化を行ってきた。その実績が認められ、京急電鉄から同社の高架下を活用した日ノ出町のまちづくりを依頼された。

思い通りには進まなかった、日ノ出町でのまちづくり

Tinysには、タイニーハウスでつくられた「タイニーズホステル」とイベント・飲食スペース「タイニーズリビングハブ」のほかに、目の前を流れる大岡川で水上スポーツ「SUP(スタンドアップパドルボード)」などが体験できる「Paddlers+(パドラーズプラス)」が併設されている。

タイニーハウスは必要最小限のものを備えた小さな家。リーマンショック以降、米国で起きた新たな豊かさを求める流れの中で、再び注目されるようになった住まいのあり方だ。「タイニーズホステル」も「タイニーズリビングハブ」も車輪が付いたトレーラーハウスの可動産になっている。

日本橋で培った地域活性化モデルを日ノ出町でも生かそうと、2018年4月にオープンしたTinys。しかし、思い描いた通りには進まなかったという。オープン当初から一社員として携わり、今年1月からマネージャーになった川口さんはこう振り返る。

「最初は日本橋でやってきたようにイベントをたくさん開催して、にぎわいをつくり、コミュニティをつくることを目指していました。この場所にあまり来ないような、感度の高い都内や横浜市内の方たちを呼ぶようなイベントを開催し、イベントをツールにして、このまちを好きになってもらいたいと考えていました。1回で20-40人が参加するイベントを月20本開催していました」

オープン後しばらくは、思っていたにぎわいをつくれている手応えを感じたという。しかし8月ごろにはその勢いに陰りが見え始めた。新しくできたから、と集まってきてくれた人の波は去り、同じ時期に、イベントの企画を得意とする担当者が異動することになった。

「イベントの数も減り、質も下がっていきました。イベントを多くこなすことで事業をまわしていくという計画が難しくなり、ランチタイムのお客さんも減りました。とても厳しい状況でした」

さらにイベントを頻繁に開催したことが裏目に出てしまう。近所の人が来てくれても、「イベントをやっていて貸し切りなんです」と断るような状態が続いた。近所の人からは「入れないし、何をやっているかわからない」という印象を持たれ、気づいた時には客離れが進んでいた。

宿泊業で頑張ろうにも、シーズンに左右される。シーズン中でなくても、女子会やタイニーハウスに興味があって泊りに来てくれる人はいるものの、民泊など新たな業態が登場する中で、これ以上価格を下げることができず苦戦を強いられた。

季節は冬になっていた。Tinysの中心部分にある、光や風が入るように建てられたオープンテラス仕様の「リビングハブ」には冷たい風が吹きさらし、働く川口さんにもTinysにとっても試練の季節が訪れた。

Tinysの目の前を流れる大岡川。春になると川沿いには桜が咲き誇る

地域の外ではなく、まず地域の中に目を向けてみる

「このまちの人が来てくれて、このまちの人に愛されるようなものをつくるにはどうしたらいいか」――。

入社して1年目だった川口さんだが、統括マネージャーを任されることになり、試行錯誤する日々が始まった。「イベント」「飲食」「宿泊」という3本柱を根本から見直し、発想を転換して新たな事業モデルを考えようと決めた。その頃を振り返って、「頭を抱えた時期でした」と笑う。「でも今までのやり方では無理だという結果が出たんだから、思い切って色々なことを試していこうと考えました」。

自分だけ、Tinysだけでここに人を集めてくることはできないーー。ではどうすればいいのか。その中で、社会人経験の短い川口さんがたどり着いたのが大学の卒論でテーマに選んだ「連帯経済」だった。連帯経済とは、社会・環境的な目的の達成や地域の連帯をより強くするなど持続可能な世界の実現を目指し、人々が助け合いながら、所属する地域が必要とするサービスや商品などを生みだすことで経済活動を営むというもの。

「僕たちと同じように、このエリアには、このまちを何とかしたいとか、にぎわいをつくりたいと思っている人が他にいることを知っていました。だから、このまちの人と連携しようと思うようになりました。

それまではTinysの中ににぎわいをつくろうと頑張ってきましたが、そうではなくて、このまち全体ににぎわいをつくろうと考えるようになりました。ここに40人を集めるよりも、このまちや前の通りなど全体に100人、500人が集まって、そのうちの50人、100人がTinysに来てくれたらいいと考え始めました」

そこから、連携できる相手を探し始めた。それまではイベントを開催するために、都内から人を呼んでいたが、日ノ出町エリアの中からおもしろい人を探して、イベントを一緒にすることにした。いろんな人たちに「連携してください」と頼み続けたという。

そんなとき、川口さんの苦悩する様子を見ていた同じ歳のカンタさんがTinysの運営に携わることになった。カンタさんは横浜市内で無化学肥料、無農薬の畑をつかって野菜を栽培する団体を立ち上げていて、料理も得意。そんなカンタさんが加わったことで、新しいコンセプトで飲食部門やイベントを行えるようになり、Tinysの可能性は広がっていった。

カンタさんがつくる「ワンプレートランチ」

自分たちだけがにぎわうまちづくりは持続可能じゃない

春が近づくころ、仕切りなおしたTinysに新たな風が吹き始めた。日ノ出町から黄金町までの高架下では定期的に、イベント「黄金町パンとコーヒーマルシェ」が開催されている。次の開催が予定されている3月末は、ちょうど大岡川沿いの桜が咲き「桜まつり」の時期とも重なり、このまちに一気に人が増える一大イベントだ。

川口さんは、イベントを主催する初黄日(はつこひ)商店会に連携したいと相談した。商店会からは「実はそうしたいと思っていた」と答えが返ってきた。さらに、アートでまちづくりを行うNPO「黄金町エリアマネジメントセンター」にも声をかけ、三者で打ち合わせを行うことにした。「このまち全体のにぎわいをつくって、それぞれに波及させよう」と全員の意見が一致した。同じ地域にありながらも、それまで単独でイベントを開催していた三者が一つになり、イベントを行うことが決まった。

2日間にわたって行われた「黄金町パンとコーヒーマルシェ」の期間中、Tinysではヒットソング「桜」で有名なシンガーソングライターの河口恭吾さんのソロライブを、黄金町エリアマネジメントセンターはアートイベント「のきさきアートフェア」を開催した。結果的に、約1万人がイベントに集まり、2000人近くがTinysに立ち寄ったという。

「この発想でいいんだ、と改めて思いました。前の通りに驚くぐらいの数の人が集まって、こういう景色を目指していかないといけないと実感しました。2日間のイベントを終えた後に飲んだビールは本当に美味しかったです」(川口さん)

ともに24歳の川口マネージャーとカンタさん。二人の肩書はコミュニティビルダー

この日をきっかけに、地域の人たちからも飲食店として改めて認識してもらえるようになったという。その後、7月にも三者は連携して「黄金町クラフトビール祭り」「のきさきアートフェア」「はつこひ市場(カレー&カレーパン祭り)」を同時開催。約2000人が集まり、期待通りのにぎわいを生み出すことができたと話す。直近の11月2-3日に開催した「黄金町 パンとコーヒーマルシェ」には同イベントの単体開催としては過去最多の約1万人が集まった。Tinysでは演劇公演を行ったという。

川口さんは「持続可能なまちづくり」についてこう考える。

「Tinysだけがにぎわうような場づくりは全然サステナブルじゃないと考えるようになりました。まち全体ににぎわいを波及させられる企画をつくって、それぞれの場ににぎわいを落としていくことで持続的になるのではないかと思います。

このまち全体のなかの一店舗としてやっていかないといけない、と気づいてからは、すごく早いスピードでいろんな方たちと連携できるようなりました。それに『連携しましょう』と声に出すことで、新しい情報も入ってきました。

Tinysの設立時からのミッションは、このまちの人通りを増やすことです。桜が咲いたら人が来るというのではなく、2カ月に1回ぐらいイベントを開催して、定期的に人が来てくれるようにしたいです。『この地域っておもしろいよね』ってまた来てくれるエリアを目指さないといけないのではないかと思います。まずは一生懸命、このまちの中でやっていこうと思っています」

カンタさんは、「ここが担っているミッションと施設としての成功が最近、一致し始めたと感じています。Tinysが点で活動をしていた人たちをつなげて、面にしていくという役割を少しずつ果たせるようになってきました。まちも上手くいかないと、自分たちも上手くいかないというのが見えてきました。川口を中心に、時間をかけて、色んな人に会って話をして連携して、にぎわいをつくっていこうとしています」と話す。「でもこういうことに時間をかけ、リスクをとる人ってあまりいないんですよね」と笑う。

人と地域をつなぐ、まちづくりの窓口になる

最近この地域の面白さが分かってきた、と川口さんは話す。

「このまちの中にも面白いコンテンツがあるし、面白い人たちがいます。それが見えるようになったのは、このまちの中で常に感度を高く持って人と接するようになったからです。いまは、それをどうやってこの地域以外の人、都内の人に届けようかなと考えています」

2人が目指すのは、日ノ出町という場所でTinysが「まちづくり専門の窓口」として役割を果たしていくこと。人や組織、地域をつなぎ、持続するまちづくりの基盤を築いていきたいと考えている。最近では、日ノ出町から少し離れた場所にある、日本有数のドヤ街として知られる寿町の宿泊施設と連携し、まち歩き企画「『寿町』・『日ノ出町』・『黄金町』まち歩き~横浜の裏側をまちづくりの視点から~」を実施するなど、連携する地域の幅を広げている。

横浜で生まれ育ったカンタさんは、横浜のこれからについてこう話す。

「横浜は、港の付近が盛り上がっているだけで満足してはいけないと思います。ほかの地方と比べると、横浜には港の文化はあるけれど山の文化は残っていません。いわゆる横浜のイメージを取り除いてみると、特徴のない一地方都市です。

学生時代、全国の農家を回りました。その方々の何が一番かっこいいと思ったかというと、土地に対して持っているプライドです。

横浜っていう場所は都会と田舎の間の『とかいなか』だと思っています。今後の横浜について考えると、一つ一つのエリアがもっと横浜やそのエリアの将来を自分ごと化して考え、コミュニティや文化ができていかないと、均質化したのっぺらぼうなまちになるんじゃないかという危機感があります」

川口さんが、頭を抱えて悩んでいたという冬から1年が経とうとしている。今年の冬は、リビングハブにこたつとカーテンを設け、寒さを感じることもない。振り出しに戻り、ゼロからTinysのまちづくりのあり方を築いている川口さんとカンタさんはいま「来年はもっと楽しくなると思います」と話す。

今年の冬は、暖かい「こたつ」に入って鍋を楽しむ冬鍋コースを提供している

Tinys Yokohama Hinodecho

〒231-0066 神奈川県横浜市中区日ノ出町2-166先
http://tinys.life/yokohama/

  • Twitter
  • Facebook
小松 遥香 (Haruka Komatsu)

アメリカ、スペインで紛争解決・開発学を学ぶ。一般企業で働いた後、出版社に入社。2016年から「持続可能性とビジネス」をテーマに取材するなか、自らも実践しようと、2018年7月から1年間、出身地・高知の食材をつかった週末食堂「こうち食堂 日日是好日」を東京・西日暮里で開く。前Sustainable Brands Japan 編集局デスク。