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ドイツの地方発、都市哲学に見る持続可能性

【高松平藏コラム】第6回 ドイツの町にとって芸術祭が重要な理由

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SB-J コラムニスト・高松 平藏

21世紀に入る前後から、日本の自治体では演劇や現代芸術のフェスティバルが増えた。一方、ドイツでは長い歴史があるが、特に1970年代以降に増え、音楽、文学、パフォーマンス、演劇、コミックなど多様なジャンルのフェスティバルが開催されている。これらのフェスティバルがどのように持続可能性と関係しているのかを見ていきたい。

ドイツのフェスティバルの特徴の一つは、中心市街地全体が「会場」として利用されることが多いことだ。例えば1955年以降、5年ごとに行われる現代芸術で有名なカッセルのドクメンタでは、複数の文化施設や屋外の公共空間が活用され、まるで中心市街地全体が一つの大きな会場のように機能している。

ドクメンタの特徴としてよく挙げられるのが、社会的・政治的なメッセージとそれに伴う議論だ。しかし、これはドクメンタに限ったことではない。ドイツ各地の文化や芸術のフェスティバルでも、さまざまな社会的・政治的なテーマが取り上げられている。

◼️町全体が「文学仕様のリビングルーム」に

ここで筆者が住むエアランゲン市(人口約12万人、バイエルン州)を見てみよう。同市では、初夏に演劇・パフォーマンス系のフェスティバルとコミックフェスティバルがそれぞれ2年ごとに開催され、さらに毎年夏の終わりには「詩人の祭典」という文学フェスティバルが行われる。

会場となるのは、劇場、図書館、ギャラリー、映画館、ミュージアム、社会文化センターなどの施設に加え、広場やメインストリート、宮殿庭園や歴史的建造物だ。このように羅列すると、会場がバラバラに散らばっているように思えるだろう。

しかし、これらの会場は中心市街地に集まっている。そして第3回「どう作る? ドイツのようなウォーカブルなまち」で触れたように、中心市街地の多くの部分が歩行者ゾーンとして整備されている。これにより、各会場へのアクセスが容易で、社交や「他者と知り合うきっかけ」、出会いの場として機能する公共空間が形成されている。

もっとも普段からこのエリアは「社会のためのリビングルーム」である。そこへ、フェスティバル期間中は、メインストリートの両脇には文学フェスティバルの旗が並び、文学仕様の「リビングルーム」になるのだ。

エアランゲン市の文学フェスティバルのメイン会場「宮殿庭園」。簡易舞台が作られ、招へいされた作家が自著を朗読。ドイツには元々、朗読文化があるため、多くの人が集まっても静かに耳を傾けている(筆者撮影)

◼️フェスティバルが生み出す社会的対話の場

ドイツの文学フェスティバルは政治・社会問題により深く踏み込む傾向がある。毎年約100人の作家、ジャーナリスト、批評家が招かれ、多様な視点が交わる。

今年の文学フェスティバルでのシンポジウムや講演では、ウクライナや中東の紛争、アメリカの政治状況など、現代の重要な社会問題が取り上げられた。その中から、特に印象的な2つの例を紹介しよう。

1つ目は、「イスラム教徒とユダヤ人の夕食」(私訳)の著者2人によるシンポジウム。彼らはフランクフルト在住でパートナーである。そして、それぞれ全く異なる背景を持っている。サバ・ヌール・チーマさん(女性)はパキスタン系で、フランクフルトの保守的なムスリムコミュニティ出身。メロン・メンデルさん(男性)はイスラエル出身で、レバノンでの兵役を経て留学のためにドイツにやってきた。このシンポジウムでは、著書の朗読とともに、現代世界における寛容さと対話の可能性について議論が交わされた。

2つ目は、ドイツ基本法(憲法)制定75周年を記念したシンポジウムである。築300年の市営劇場で、元連邦・家族相のレナテ・シュミットさんを交え、ジャーナリストや学者らが「自由とデモクラシーの危機」について議論した。近年、排外主義の主張を持つ極右政党の台頭により、デモクラシーの基盤が揺らいでいることが、このシンポジウムの背景だ。

これらの例は、ドイツの文学フェスティバルが単なる文化イベントを超え、重要な社会問題について市民が考え、対話する貴重な機会を提供していることを示している。

◼️文化や芸術が政治・社会と深く結びついている理由

政治・社会に焦点を当ててプログラムの一部を紹介したが、フェスティバルそのものは老若男女が参加できる、学習、体験、楽しみ、社交、対話のプラットフォームだ。絵本のコーナーや活字印刷の体験、老人ホームでの朗読などプログラムの内容は幅広い。基本的に文学仕様の「リビングルーム」になった中心市街地にはわくわくするような雰囲気が漂う。

それにしても、コミックのフェスティバルでさえ、時事問題に焦点を当てた展覧会やシンポジウムが開催される。演劇やパフォーマンス系のフェスティバルでは、政治や社会を批判的に捉える作品が多く見られる。

これはなぜか? 自由とデモクラシーがベースになっている社会だからだ。ドイツにおいてデモクラシーとは、単に選挙で投票することにとどまらない。市民が誰でも自由に意見を述べ合うことが基本で、次に必要なのが共通善を考えながら妥協を図っていくプロセスなのである。つまり、デモクラシーは「共生」のための方法なのだ。

「下からのデモクラシー」を重視するドイツでは、学校や文化政策などで学習する取り組みが地方の末端にまで整備されている。フェスティバルもその一端を担っている。文化や芸術もデモクラシーの文脈の中で大切な役割を果たしているのだ。

ここまで読むと、SDGsの目標16「平和と公正をすべての人に」を思い出す読者諸氏も多いのではないか。オリジナルの文言をもう少し丁寧に訳すと、「平和と公正、そして強固な制度(Strong Institutions)をすべての人に」となる。強固な制度とは法の支配や司法への平等なアクセス、透明性の高い公共機関の発展、参加型および代表的な意思決定の確保を指す。これらはデモクラシーと極めて密接な事項なのだ。

ドイツの芸術祭は、単なる文化イベントではなく、街全体を舞台に、市民が芸術を楽しみながら、社会について考え、対話する場である。この取り組みが、ドイツの町の持続可能性とデモクラシーの強化につながっている。

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高松 平藏
高松 平藏 (たかまつ・へいぞう)

ドイツ在住ジャーナリスト

ドイツの地方都市エアランゲン市(バイエルン州)および周辺地域で定点観測的な取材を行い、日独の生活習慣や社会システムの比較をベースに地域社会のビジョンを探るような視点で執筆している。日本の大学や自治体などでの講義・講演活動も多い。またエアランゲン市内での研修プログラムを主宰している。
著書に『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』(学芸出版)をはじめ、スポーツで都市社会がどのように作られていくかに着目した「ドイツの学校には なぜ 『部活』 がないのか―非体育会系スポーツが生み出す文化、コミュニティ、そして豊かな時間」(晃洋書房)など多数。

高松平藏のウェブサイト「インターローカルジャーナル」

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