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未来を創るひと

かご作りを通して、差別や偏見のない「分かり合える時代」に――池宮聖実・moily代表

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SB-J コラムニスト・水野 浩行

彼女を一言でいうなら「教育者」。教育者を目指しながらも、経営者の道を選んだ彼女がカンボジアで行っていることは紛れもなく慈愛に満ちた教育だ。彼女はカンボジアの資源で籐(とう)の一種「ラペア」をつかってかごを作り、現地の人たちの幸せを実現しようと奮闘している。moily(モイリー、岐阜県不破郡垂井町)代表の池宮聖実さんはいつも笑顔を絶やすことがないポジティブなソーシャルワーカーだ。

教師を目指して、カンボジアへ

水野:moilyを始めるきっかけを教えていただけますか。

池宮:私は大学が教育学部で、子どもの頃から小学校の先生になることが夢でした。大学4年生になる前の春休みに、教員採用試験の面接の材料を集めるためにカンボジアに行ったことがきっかけです。

水野:教師になる過程で必要だったから行ったのですね。

池宮:最初はカンボジアに対して熱い思いを持っていたわけではないんです。当初、カンボジアに対してはかわいそうとか、地雷のイメージ、暗いイメージがあったのですが、いざ現地に行ってみるとあまりのイメージとの違いに衝撃を受けました。

日本に住んでいた時の幸せの価値観は、好きな時に好きなものを食べて、買えて、旅行してというもので、それが幸せだと思い込んでいました。確かに現地にはまだまだそういう日本の当たり前がないのも事実ですが、逆に日本にはない幸せの価値観を感じました。

水野:具体的にはどんなところでしょうか。

池宮:服も靴もないし、家も立派じゃないけど、人と人との壁もないし、人懐っこい。むしろ当たり前の人との交流がそこにはあって、「私はこの人たちのことを何も知らないのに、上から目線でかわいそうと思っていた」ということに気づきました。ネットや本の情報だけでなく自分の目で見ることの大切さを痛感し、このまま先生になるのはダメだと思ったんです。

そこで先生になるのをやめて、1年間、バックパッカーになりました。

本物の教育者になるためにバックパッカーに

水野:バックパッカーの目的地はカンボジアにしたのでしょうか。

池宮:この時の旅で感じたように、偏見や勝手にこうだ!と思い込んでいる国を自らの目で確かめる必要があると感じたので、そうした国を選びました。

10カ月で16カ国に行きまして、現地のボランティア団体に入り込みながら東南アジア、モンゴル、中国、インド、ネパール、中東、アフリカ、南米などですね。

水野:実際にまわってみて感じたことはありましたか。

池宮:例えばネパールでは2カ月間、山の方で小学校の先生として働きました。小学校5年生のクラスだったのですが、大きなエピソードが2つあります。

ネパールは私立に行く子どもが多く、教育に力を入れていました。それは少しでも他の国で働いて欲しいと親が願うためです。一方で、カーストが低く、教育に興味がない親は公立に行かせます。

そういう家庭に訪問すると、子どもを放ったらかしの家庭も多く、ある時、突然学校に来なくなった子がいたから訪問してみると、あの子はもうお手伝いに出稼ぎに行かせたから学校へは行かないよと言われることもありました。労働に子どもが駆り出される現実を目の当たりにしました。

もう一つは、同じくネパールですごく田舎に行った時です。わざわざ村長が挨拶に来てくれました。その時、村長が「君はこの村を見てどう思うか」と尋ねてきました。私は「こんなにきれいな水があって、自給自足できていて、村の人みんなが仲良くて、素敵な場所だと思う」と答えました。すると村長は「君は先進国の人間だから何か支援すべきだ」と。私は「何か問題があるなら一緒に手伝うよ」と返したら、「そういう問題を考えるのが先進国の人間だろう」と返されちゃいました。

水野:そういう捉え方をする現地の人たちもいるんですね。

池宮:はじめは村長に憤りを覚えたんですけど(笑)。この問題は先進国側が勝手にかわいそうと思い込んで支援をし続けた結果、こういう姿勢になってしまったことに気付きました。やり過ぎると、自分たちで解決する力を奪っているんだということに。

水野:まさにそうですね。

池宮:このやり方を私はとりたくなかった。ケニアでは、スラム街の孤児院で働きました。当時23歳で同じ年齢のケニア人と仲良くなり、彼女は体を売って生活をしていました。

何気なく「なぜ今の仕事をしているの?」と聞いたら、「キヨミにはこの気持ちは分からない。私にはこの選択肢しかないし、解決できない」と言われてとても悲しく悔しかったこともありました。

こうした原体験がもとになって、彼らの力になれること、つまり彼らの仕事を生み出すことがmoily創設に大きく影響を与えてくれました。

きっかけをくれたカンボジアの手しごとを世界に発信

水野:旅を経てカンボジアに焦点を当てた理由はなぜでしょうか。

池宮:一番はじめにきっかけをくれたのがカンボジアだったので、カンボジアに戻ったのですが、私としてはカンボジアだけに強い思い入れがあるわけではありません。きちんとした仕組みをつくれたら色んな国に広げたいと思っています。

水野:moilyを立ち上げてからのご苦労はどんなものがあったのでしょうか。

池宮:実はmoilyを立ち上げて苦労をした、という実感はあまりないです(笑)。立ち上げた当初はやっぱり納期や品質を大切にしなきゃ、という気持ちが強くなって、現地の人たちとの心の乖離が生まれてしまいました。最終的に「もう一緒にやりたくない」と言われたこともありました。一番大切にしたいことは現地の人たちの幸せだったのにも関わらずです。

苦労というか、一番やってはいけないことをしてしまって、もう一度構築し直したことはありますね。

水野:現地ではよくある話ですね。moilyは作った人たちの名前がダグに表示され、可視化されていることも魅力の一つだと思います。やはりそういう経験があってこそなのでしょうか。

池宮:そうですね。誰が作っているのか、誰が使ってくれているのかをどちらにも情報共有することを大切にしたいと思っています。そうすることでお互いがハッピーになると考えています。

水野:なぜかごバッグを作ろうと思ったのでしょうか。

池宮:実はこの素材(ラペア)はカンボジアとベトナムでしか採れません。彼らの日常に存在している文化なので大きな強みになると考えました。そして当時は私くらいしか日本人でやっている人間がいなかったんですよ。なのでプライスリーダーになって、価値を創造しやすかったことも理由ですね。あとは単純に可愛いと思ったことです。

水野:今後、池宮さんやmoilyが具体的に目指していることはなんでしょうか。

池宮:貧困が原因で起きる問題に強く関わっていきたい。でも仕事を創るだけでは良くないと思っていて、そこの村やその場所でなければならないモノを作ることにはこだわっています。そして、現地の人たちと信頼関係を築き、一緒になって問題を共有し、解決していくことを目指しています。

水野:モノを作る仕事が目的ではなくて、現地の一員になって解決していくことがゴールということでしょうか。

池宮:収入はもちろん大切です。実際に2.5倍くらいに収入を上げることができました。ただそれだけではなく、自己実現をしていけたり、色んな可能性を見出していきたい。

水野:なるほど、彼らのライスワークだけでなく、ライフワークも支援していきたいということですね。

池宮:そのとおりです。ただ単に収入を上げるだけではなく、彼らの幸せに焦点を当てて関わっていきたいと思っています。

池宮:moilyは今まで、自分一人で運営していましたが、よりパートナーを増やしてチームにしていこうと思っています。またモノ作りで最低限の収入をみんなでつくることに注力していましたが、村の人たちとより一層コミュニケーションをとるようにしています。例えば現地の職人たちがかごを作ることでどのように自己実現していけるか、という一人ひとりの人生の充実を目指していますね。

みんながハッピーに、そして対等に分かり合えるように

水野:moilyのミッションやゴールはよく理解できました。企業に対してどんなことを期待していますか。

池宮:カンボジアをかわいそうだと思わないで欲しい。moilyの意味って「みんな一緒」っていう意味なんですよ。彼らは彼らで実はとっても幸せだし、対等なんです。だからパートナーだと思って、多くの人たちとの関わりを持って欲しいですね。

水野:池宮さんのお話を聞いていると、フェアトレードをとことん地で行っている方なんだなと改めて思いました。

池宮:みんなが笑顔になることが事業の目的なので、関わる人がハッピーになれば良いんです。たまたま今、カンボジアのかごバッグでそれを行っているということです。

水野:もしかすると、池宮さんがプレイヤーとして役目を果たす一方で、「一緒になってソリューションを導いたり、ハッピーにしていきたい」という企業、あるいはスポンサーが出てくるかもしれませんね。

池宮:そうなってくれると嬉しいですね。私はひたすら現場が楽しいし、多くのみなさんとハッピーになることをつくっていけたらと思います

水野:最後に、池宮さんが「100年後の未来を創るひと」として、伝えたいことはありますか。

池宮:一方的な価値観が差別や偏見を生むので、それがなくなって欲しいです。まさにカンボジアに対する先進国側からの見え方がそれに相当します。生まれた国が違うだけで差別が起きたり、哀れみが生じてしまうのは、ある程度しょうがない部分もあるのかもしれません。しかしこの先の未来は、より多くの人たちが簡単に繋がれる時代になるからこそ、分かり合う時代になって欲しいと強く思います。

水野:その一端をmoilyが実現していくことを期待しています。本日はありがとうございました!

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水野 浩行
水野 浩行 (みずの・ひろゆき)

2010年よりエコロジーをコンセプトとしたブランド「MODECO」を設立。産業廃棄物の削減と有効活用をテーマにした「アップサイクルデザイン」の第一人者として、国内外から注目を集める。とりわけ、自治体と連携した消防服の廃棄ユニフォームを再利用したFireman など一連のデザイン・社会問題は『ガイアの夜明け』などTVをはじめ100を超えるメディアから取材された実績を持ち、2015 年に株式会社アミューズの資本・業務提携を結び、ブランドビジネスの新しい在り方を示した。またヒューレット・パッカード、パタゴニア、フォルクスワーゲンなど欧米のナショナルブランドとのコラボレーションも数多く手掛け、未来のために描くそのデザインは国境を越え高い評価を受ける。そのほか、小学校から大学の講師などさまざまな教育活動も行っている。2018年より、MODECOのモノづくりのみならず、サステナブル社会における企業づくりのため、HIROYUKI MIZUNO DESIGNを設立。上場企業から中小企業まで、未来的な企業、事業の設計に向けた顧問、コンサルティング事業を開始。また現在は「100年後の未来を創る」ことを掲げ、あらゆる社会起業家と 企業と連携し、社会をサステナブルにアップデートすることを目的とした新しいソリューションプラットフォーム「AFTER 100 YEARs(100s)」の設立に向け準備中。

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