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ブランドが社会とつながる、持続可能な未来へ  「サステナブル・ブランド ジャパン」 提携メディア:SB.com(Sustainable Brands, PBC)
ミレニアル世代から見た林業 100年先の未来を考える

日本林業の多様性:100年続くブランドと産地

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SB-J コラムニスト・井上 有加

日本には、○○杉、○○桧といった産地の名前を冠する木材ブランドが数多くある。ワインや食べ物ではなく木材にこれほど多様な銘柄がある国は世界でも稀だろう。木材産地の成り立ちに注目しながら、100年続くブランドの在り方について考えてみたい。

木にもテロワールがある

木材の特徴を分けるものにはまず樹種があり、同じ樹種の中にも遺伝的に異なる形質を表す「品種」がある。特にスギには膨大な数の品種があり、前回紹介したオモテとウラの系統から、さらに細かく分かれている。種を取り実生(みしょう)で受け継がれる品種もあれば、挿し木で増やしてきたクローンもある。現在日本一のスギ産地になっている九州にはもともとスギは自生しておらず、持ち込まれたのは16世紀以降らしい。九州では挿し木が多いのが特徴で、数十種類の品種が、求める品質や土地に合わせて植え分けされている。

さらに、たとえ同じ品種であっても育つ山の気候や土質、斜面の向きや水分、そして育て方が大きな影響を与え、品質に違いが生まれる。年輪の詰まり具合、色合い、節の多さといったその土地ならではの木の味わいがワインのテロワールのようで、日本の木の文化を多様で深みあるものにしている。加えて、各地域の木の特性を生かした加工技術や流通が発達することで“産地”であり“ブランド”が形成されてきた。代表的な事例から、日本林業のブランドがどのように作られてきたか見てみよう。

日本三大美林―公的に保護されてきた天然林林業―

秋田杉の森 (上小阿仁村・上大内沢自然観察教育林)

東京に住んでいた頃、1年のうちに日本三大美林をすべて訪ねようと旅をした。それは針葉樹天然林の中で屈指の森といわれるが、一体何がすごいのか自分の目で見てみたかったのだ。目指すは「青森ヒバ」、「秋田杉」、そして長野県から岐阜県にまたがる「木曽桧」の森。ネット情報や友人の案内を頼りに訪ねた森には、見たこともないような数百年の天然の巨木がそびえていて、日本にこんな森が残されていたのかと驚いた。この天然林からとれる木は年輪が詰まった大径材で、訪れた地域の名建築や特産品にも使われていた。産地のまちそのものが、これら銘木の生産のために栄えた名残があって、三大美林が地域にどれほどのインパクトを与えたか覗い知れた。木材そのものだけでなく、生産の場である森や地域が一体となってブランドを成しているように感じる。

秋田杉の天井板 (能代市・旧料亭金勇)

その歴史は、豊臣秀吉の天下統一により築城などの建設ラッシュとなり、全国から木材調達が始まったことにさかのぼる。この頃まだ開発が及んでいなかった山深い地域でも各藩により天然林が開発され、大量の木材が献上された。各地で徐々に森林資源が枯渇していった中で、三大美林ではそれぞれ津軽藩、秋田藩、尾張藩による伐採禁止などの保護政策が取られ、自然に森林が再生する力を利用した天然林林業が試みられた。木曽ではその取り締まりの厳しさを表す「木一本、首一つ」というフレーズが有名だ。そのおかげで現代の私たちは、江戸時代から生き残っているヒバやスギやヒノキを見ることができる。

青森ヒバの森 (青森市・眺望山)
青森ヒバが使われている建築 (青森市森林博物館)

しかし三大美林も、明治以降は国有林に編入されると森林鉄道が敷かれて開発が加速し、二度にわたる大戦中にもかなりのボリュームが伐採されてしまった。現在、天然の青森ヒバと秋田杉は、資源保護のため国有林における伐採が原則禁止となっている。木曽桧は、20年に1度の伊勢神宮式年遷宮や文化財に利用するため伐り出されている。復元された名古屋城本丸御殿にも使われていて、木曽桧ならではの一点の曇りもない無地の(=節のない)美しい空間を作り上げているから、豪華な襖絵もいいが、木にもぜひ注目して見てほしい。

伊勢神宮式年遷宮に用いられた木曽桧 (上松町・赤沢自然休養林)
名古屋城本丸御殿

日本三大美林とは、圧倒的なボリュームと質を持つ天然資源が公的に開発・保護されてきたことでブランドとなったが、収奪型林業の歴史でもあり、現在では幻に近い銘木となっている。しかし、江戸時代からの政策のおかげで今に生きているわずかな美林は、天然の針葉樹の生態を知ることができる貴重な財産であるし、数百年後の未来を想像させてくれる。またこれらの産地には、大径材を加工する独特の技術や木をいかす文化が根付いており、現在は人工林で育った木がその名前を受け継いで活用されている。これからも息長く守られてほしいブランドだ。

日本三大人工美林―全国のモデルとなった育成林業―

吉野杉 (川上村・下多古村有林)

日本三大人工美林とは、人の手で植えて育てる育成林業を行う地域で、静岡県の「天竜杉」、三重県の「尾鷲桧」、そして奈良県の「吉野杉」を指す。林学の学生なら一度は見に行きなさいと言われる森で、日本林業の一つのモデルになっている。これらの林業は、恵まれた立地条件、特徴的な用途開発、そして木の品質を高める育成技術の3つをベースに近世以降に発展してきた。国内で戦後造林されたほとんどの地域では、植林から収穫、再造林という育成林業のサイクルをようやく1回経験しようというところだが、三大人工美林はすでに持続可能なサイクルを繰り返している。

3つの地域は、木材の消費地である大都市圏にアクセスしやすい立地に恵まれた。昔の木材輸送の主流は水運だったが、天竜は天竜川を下って、尾鷲は海運で名古屋や江戸へ、吉野は紀ノ川から大阪方面へ木材を出荷することができた。加えて、それぞれ特定の用途に合わせた木の育成と加工がなされて、その名が知られるブランドとなった。たとえば吉野杉は密植して育てるため無節で緻密、水漏れがしにくく、樽のパーツである「樽丸」になった。吉野杉の巨大な樽のおかげで上方の酒を江戸へ大量輸送できる流通革命が起き、上方から下って来た酒でないと杉の香りがせず美味しくないことから、「くだらない」という言葉も生まれたらしい。

200年クラスの吉野杉が並ぶ原木市場
吉野杉でできた樽丸
杉の容器や箸は和食・日本酒文化も支えている

そして何より、熱心な造林と育林技術の開発により木の品質を高めてきたことが三大人工美林の礎となっている。吉野の植栽密度や間伐方法は、明治時代にはマニュアルとして出版もされ、現代林業のモデルになっている。こうした発展は明治期に登場した地元の名士や資本家の尽力によるところが大きく、大規模な造林、木材流通のインフラ整備に投資を行い、ビジネスとしての林業の成立を目指してきた。

天竜、尾鷲、吉野では、今も人工林林業が基幹産業であり、高い林業技術を持っている。現地の原木市場や製材所に行くと、100年や200年を超える丸太もゴロゴロ並んでいるのに驚く。この木は丁髷を結った人たちが植えたのだろうかと、想像が膨らむ。かつて高級材だった和室向け建築用材などは需要が激減しているが、内装材への転換や森林認証の取得などトレンドに対応した商品開発も行われ、今もたゆまぬ努力が続けられている。

100年続く林業ブランドとなるには

その他にもユニークなブランドはたくさんある。特に消費地に近い地域、多摩川上流の「西川材」や、千葉の「山武杉」、紀伊半島にも昔からの産地が多い。年輪が詰まった木ばかりがよいのでなく、成長が早く油分が多いため船を作る弁甲材として発展した宮崎県の「飫肥杉」などもある。

また昭和以降は、加工や流通を強みに形成されたブランドもある。たとえば岐阜県東濃地方の「東濃桧」は、木は近隣各県広いエリアから集め、乾燥加工の品質を高めることで一大産地となった。冒頭で紹介した九州にも「日田杉」「小国杉」などがあるが、製材工場の大型化や流通の合理化により、首都圏からの距離をカバーして日本一のスギ生産量を誇っている。また、ビジネスベースでは品種や地域ではなく企業や商品がブランドとして選ばれるようになり、木材における“ブランド”の定義は日々変わっている。

戦後の拡大造林と加工や流通網の発達によって、もはや日本全国が木の産地となりつつある。しかしながら、過去のように森林が枯渇しあるいは人工林の育成が途絶えてしまえば、ブランドも同時に失われてしまう。数十年、数百年にわたって積み重ねてきた豊かな森林資源と絶え間ない育成こそが、林業におけるブランドのベースになることは間違いなさそうだ。日本では、幸いにも100年以上続く林業もこの目で見ることができる。外出ができるようになったら、どこかの産地を訪れて森の空気を吸いながら、視野を広げてみてはいかがだろうか。


参考書籍
『日本人はどのように森をつくってきたのか』コンラッド・タットマン著
『徳川の歴史再発見 森林の江戸学』徳川林政史研究所編

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井上 有加
井上有加(いのうえ・ゆか)

1987年生まれ。京都大学農学部、同大学院農学研究科で森林科学を専攻。在学中に立ち上げた「林業女子会」が国内外に広がるムーブメントとなった。若手林業ビジネスサミット発起人。林業・木材産業専門のコンサルティング会社に5年間勤務し国内各地で民間企業や自治体のブランディング支援に携わる。現在は高知県安芸市で嫁ぎ先の工務店を夫とともに経営しながら、林業女子会@高知の広報担当も務める。田舎暮らしを実践しながら林業の魅力を幅広く発信したいと考えている。

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