第9回 :地球と共に生きる―「アースデイ」から始まる未来
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「アースデイ東京2016」(2016年4月、筆者撮影)
近年4月になると「アースデイ」(地球の日)が世界各地で開催されます。「母の日」「こどもの日」があることから、大地・自然(地球)を想う日があって当然ですね。「アースデイ」のルーツは1970年、アメリカの若者たちの呼びかけからでした。1990年以降は世界中に広がり、国境を越えて毎年1億人を超える人々が集う世界的な市民イベントになりました。1990年日本でのアースデイ開催時から、ほぼ毎年参加してきましたので、あらためて地球と人間をめぐる新潮流について考えてみましょう。
ルーツをたどる
1960年代は日本でも公害問題が激化し、米国でも農薬汚染を警告した「沈黙の春」(レーチェル・カーソン著、原書1962年)が話題を呼びました。核兵器や核汚染の脅威も重なって環境保護運動が急速に高まった時代でした。
深刻化する環境破壊に対して、発端は当時、米国のG.ネルソン上院議員とスタンフォード大学に在籍していた全米学生自治会長のデニス・ヘイズ氏(その後世界的な環境活動家になりました)が、全米の学生や市民団体に呼びかけたことから、1970年4月22日にアースデイの運動が始まりました。
地球の危機に行動を起こす様々なアイデアと行動が連鎖反応を起こして、全米で2千万人が関与するユニークで多彩なイベントが繰り広げられたのです。興味深いアイデアと取り組みに「歩行者天国」があります。
とりわけ米国最大都市ニューヨークでは、市長が6番街通りから自動車を締め出して「歩行者天国」を実現したことで、以後は世界中の都市にこの試みが普及しました。米国の若者たちのアクションとアイデアによって、今日の私たちは「歩行者天国」を享受しているわけですね。
実際的な成果としては、同年に米国環境保護庁(EPA)が設立されて、環境規制の法律が整備されました。ちなみに日本の環境庁の設立は翌年の1971年になります。すでにこのコラムの第1回「サステナビリティのルーツを探る」で紹介しましたが、国連の人間環境会議の開催は1972年です。
![]() 「アースデイ東京2016」でのファッションショー(2016年4月、筆者撮影)
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いわば第1の環境ブームの時代潮流の草分けとして、アースデイを位置づけることができます。このムーブメントは1990年には世界大に拡大して、1992年の「地球サミット」に象徴される第2の環境ブームへと引き継がれていきます。
1990年、日本での最初のアースデイは、東京では夢の島公園が会場でした。参加入場料に空き缶の持参が呼びかけられて、学生達(当時、目白学園女子短大)と楽しく参加したことが昨日のように思い出されます。
初回のアースデイには、全国200ヵ所、1000を越えるグループ、計3万人の参加がありました。日本各地でシンポジウム、コンサート、記念植樹、ごみ拾い、フリーマーケット、ハガキや廃食油の石けんづくりの実演など、楽しいイベントが盛り沢山に催されたのでした。その後、2001年から東京の実行委員長にC.W.ニコル氏が就任し、代々木公園を会場にして国内最大規模の市民イベント・お祭りとして定着しています。
地球と人間-「身土不二、宇宙船地球号、ガイア」の思想
すっかり定着したアースデイですが、その思想的源流については様々にたどれます。古くはソローの『ウォールデン 森の生活』(原書1854年)、レオポルドの『土地倫理』(関連原書1949年)などがあります。
より地球をはっきり意識した思想としては、バックミンスター・フラー『宇宙船地球号操縦マニュアル』(原書1963年)、ジェームズ・ラブロック『地球生命圏 ガイアの科学』(原書1979年)などがあります。
さらに日常的な生活行動としては、環境を重視する消費者「グリーン・コンシューマー」やロハス(LOHAS: Lifestyle of Health and Sustainability)を意識したライフスタイル形成の動きとも重なりました。
他方、哲学や宗教から源流をさかのぼると、「身土不二」(身体と大地・自然は切り離せない、仏教思想の系譜)の再認識ともつながります。「内なる自然」(人間・身体)と「外なる環境」(自然・地球)が密接不可分だという認識は、人類の新たな世界観としての新潮流となりつつあります。
天動説が地動説に移行するのには、かなりの時間経過が必要でした。同じく私たちが、地球と人間の世界観を再構築し、実態として真に実現していくためには、まだまだ相当の時間がかかりそうです。
アースデイの25周年(1995年)から、50周年(2020年)に向けたキャンペーンサイト