
旅行者の小さなアクションが、現地の環境や社会にいい影響をもたらす──。そうした責任ある旅の実践を後押しする観光戦略が各地で始まっている。
耐え難い暑さが欧州を覆う中、オーバーツーリズムに対する抗議デモの季節が再びやってきた。スペインは観光客向けの短期賃貸アパートを制限する新たな政策を打ち出し、フランスのルーヴル美術館では疲弊した職員らが仕事を拒否したため予期せぬ休館に追い込まれた。観光の負の側面がニュースの見出しを埋め尽くしている。
しかし、こうしたネガティブなニュースばかりではなく、ぜひ注目してもらいたい前向きなニュースもある。例えば、最近の観光戦略の中には、旅行者がより責任ある旅をし、時間と労力を注ぎ、訪れた場所と意識的に関わることを促したり、さらに特典を与えたりするものもある。(編集・翻訳=小松はるか)
コペンハーゲン、昨年好評だった「コペンペイ」を拡大

例えば、デンマーク・コペンハーゲンの「CopenPay(コペンペイ)」プログラム。2024年、静かに試験導入された同プログラムには予想を上回る大きな反響があった。旅行客は、都市庭園でのボランティア活動といった環境や地域社会に貢献する活動に参加すると、アイスクリームなどが特典としてもらえる。
この夏、コペンペイはさらに規模を拡大して展開されている。期間は2倍の9週間に延長し、100施設が参加する。ごみを拾えば昼食が割引になり、自転車で店に立ち寄れば無料のコーヒーがもらえ、草引きをすれば博物館のガイドツアーに参加できる。さらに、鉄道でコペンハーゲンに到着した旅行者は自転車のレンタルが無料になるなど、さまざまな特典が用意されている。
「コペンペイは、旅行者の体験に環境や社会に配慮した活動を取り入れることで、コペンハーゲン観光の在り方を見直そうとしています」と、コペンハーゲンの観光協会「ワンダフル・コペンハーゲン」のソーレン・テゲン・ペダーセンCEOは言う。
こうした取り組みはデンマークの首都にとどまらない。旅行者がこの夏の滞在中により良い選択をし、地域にポジティブな足跡を残せるよう後押しする都市は、他にもある。例えば、スイスのサステナビリティ事業「Swisstainable(スイステナブル)」では、認定された宿泊施設や公共交通を8月24日まで割引価格で利用できる。ドイツのベルリンでは、旅行者が「WelcomeCard(ウェルカムカード)」を購入すると市内の交通機関を無料で利用できる。これはベルリンの大きな魅力の一つだ。
ここで紹介したプログラムは、環境や地域社会に配慮する旅行者らが抱えてきた「意図と行動のギャップ」を埋めようとする取り組みの一つだ。こうした取り組みでは、良い行動にインセンティブを与え、「正の強化」(報酬を与えることで行動を促進すること)と呼ばれる心理効果を活用する。
中でも、コペンペイの場合は、コペンハーゲンを訪れた旅行者に「(環境や地域に)還元する」機会を提供する。環境や地域のためになる行動を取りたいという旅行者の意欲が高まっていることは、ブッキングドットコムが2025年に行った意識調査からも分かっており、まさに時代にふさわしい取り組みだ。
フィジー、環境や地域に貢献できる60分キャンペーンを展開

フィジー政府観光局は環境や地域に貢献したいと願う旅行者のニーズに対応するべく、今年4月、「Loloma Hour(ロロマ・アワー)」という取り組みを始めた。「ロロマ」は、フィジーの言葉で「愛から生まれる思いやり」を意味する。ロロマ・アワーは、その精神に基づき、旅行者に滞在中の1時間を使って「野生動物の保護」「地域社会への還元」「海岸線の保護」「サンゴ礁の保護」の4つの活動に参加してもらうよう呼びかけるものだ。
ロロマ・アワーには21のリゾート施設が参加し、40以上の活動を提供する。旅行者はマングローブの植林、魚礁づくり、フィジー語のクラスなどを選ぶことができる。
フィジー政府観光局と共に今回のプロジェクトを手がけた、フランスの広告代理店ハヴァスのクリエイティブ部門の責任者セバスチャン・バイザー氏はこう話す。
「休暇中のわずか60分間をフィジーの持続可能性に貢献する活動に充て、環境・文化的に意味のあるインパクトをもたらすことで得られる『幸せ』を味わってもらう──。今回のキャンペーンは、従来の観光旅行が提供してこなかった体験を通して、旅の“幸せな時間(ロロマ・アワー)”を全く新しく、より意義のあるものにしようとする試みです」
旅行者の行動や地域への関わりを促すプログラムが増加していることは、それぞれの観光地のツーリズムの在り方に変化が起きていることを示している。観光地の戦略は、旅行者の数ではなく、旅行者が現地の経済、環境、社会にもたらす影響に着目する方向へと移り始めている。
ワンダフル・コペンハーゲンのペダーセン氏は、「コペンペイの目的は、旅行者の数を増やすことよりも、旅行者が旅の中で取る選択を意識できるよう、そっと後押しすることです。(コペンペイを通じて)ユニークな体験をすることで、コペンハーゲンをより意識的に探索してもらえたらと思っています」と話す。
インセンティブを付ける上での注意
一方で、こうした取り組みは観光戦略の弱点も浮き彫りにする。例えば、責任ある取り組みや正しい取り組みをすれば報酬をもらえると教えることにもなる。しかし本来は、旅行者が自然と取り組んでみようと思えるように、デザインや仕組みによって行動をそっと後押しする仕掛け(ナッジ)をつくるべきだ。
また「ロロマ・アワー」の場合は、旅行者が参加するかどうかを選ばなければならない。さらに、事前にプログラムの存在を知っていることと、活動に参加するために労力を費やすことが必要になる。
とは言え、こうした取り組みやそれを推進する観光地はやはり取り上げるに値する。旧態依然とした業界がもたらした課題に新たなアプローチや解決策で取り組もうとするフロントランナーだからだ。
行動科学を活用して持続可能な旅の体験づくりを支援する企業「BehaviorSmart(ビヘイビア・スマート)」で、チーフ・ビヘイビア・オフィサーを務めるミレーナ・ニコロヴァ氏はこう言う。
「観光地が、旅行者の責任ある行動をどうすれば促せるか、そして、マーケティングや広報、リソース、予算をどう活用すれば、旅行者が自らの行動の影響をより意識するようになるかを考え始めていることは、評価されるべきです」
もちろん、常に向き合わなければならない課題もある。こうした良い行動や責任ある取り組みを、プログラムの実施期間や旅行期間にとどまらず根付かせるにはどうすべきか。報酬をぶら下げたり特別な努力を求めたりすることなく、その土地の文化に織り込み、旅行者の体験に自然と溶け込ませていくにはどうすればいいのか、というものだ。
その答えを考えていると、ニコロヴァ氏はスウェーデンの慣習「フィーカ」を一つのヒントとして紹介してくれた。フィーカとは、人と交流しながら、コーヒーや紅茶、甘い菓子を楽しむ日々の休息時間のことだ。
「あなたが甘いものを食べたいかどうかに関わらず、フィーカは行われます」とニコロヴァ氏は言う。
「参加するかどうかはあなた次第ですが、フィーカはごく自然に、あらゆる場所で行われているものです」