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ミレニアル世代から見た林業 100年先の未来を考える

広がる林業女子ムーブメント――林業と女性の関わり(後編)

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SB-J コラムニスト・井上 有加

日本における林業女子の歴史

京都の山を写した古い絵葉書(個人提供)


山になりわい暮らしの中で木に触れる「林業女子」は、古くて新しいライフスタイルだと考えている。日本では時代とともに形を変えながら、林業と女性はさまざまな関わり方をしてきた。この写真は、筆者が学生時代を過ごした京都の山の昔の風景を写した絵葉書である。

京都を代表する銘木に、床柱等に用いる磨き丸太になる「北山杉」がある。北山杉の美林は川端康成の小説「古都」でも描かれたが、この北山林業において女性は重要な役割を担っていた。この写真に写っているのは、京都市北部にある北山杉の村で製造した磨き丸太を都へ売るため、山道を歩いて運ぶ女性たちの姿である。重たい丸太を1本ないし2本頭の上に載せ、1日に2往復して売り、帰りは都で手に入れた食料などを運んだそうだ。北山では枝打ちや伐採は男性の仕事だが、苗木の植え付けや保育、丸太を磨く加工作業や運搬は主に女性が担っていた。

林業従事者数の推移(国勢調査より)

小規模家族経営が多い日本の林業において、女性によるこのような林業労働は全国的に珍しいことではなかった。1950年代後半から全国で行われた拡大造林(大規模な人工林の造成)の様子を写した写真や映像を見ると、苗木の育成や植林の現場に数多くの女性の姿があり、また植林後に幼樹の世話をする保育の仕事にも多くの女性が従事していたデータがある。しかし拡大造林が終わり、間伐や主伐など力仕事の比率が多くなると、現場で働く林業女子は減っていった。

では、現代の林業女子に仕事はないのだろうか?そんなことはない。近年は機械化が進んだことで、伐採等の林業現場へも女性が進出することが期待されている。むしろ機械を繊細に扱える女性の方がオペレーターに向いているという声もある。また、現在主流になりつつある提案型集約化施業(林業事業体が複数の森林所有者を取りまとめて間伐などを行う)においては、森林所有者とのコミュニケーションや施業プランニングといったソフトの仕事の重要性が増しており、専門職として女性の森林施業プランナーも各地で誕生している。

また、大学の林学科にも女性が増え(筆者のクラスは約3割が女性だった)、卒業後は林業の専門家として林野庁や都道府県の林業職公務員になるのは自然な流れになっている。最近では、林学を学んだ上で木材サプライチェーンの川下側である木材加工や流通、建築の分野に進む女性も目立ち始めている。彼女たちは木材の販売促進や営業、デザインといった職種で、山から生み出されるプロダクトを消費者に届けている。さらに、企業や家業の経営者として女性が林業経営を改革している事例もある。林業界で女性管理職比率はまだまだ低いが、今後イノベーションのためには必ず女性の目線が必要になってくるだろう。

このように、「林業従事者」の統計としては表れてこないものの、腕力以外の力を活かせる仕事や居場所を現代の林業女子は発見し、つくり出しているのである。元々、小さな植林木の世話をする保育の仕事は子育てにも似て、女性に向いていたと聞く。昔とはまた違った形で、林業女子は山や木へ愛情を注いでいる。

林業女性団体に見る“林業女子3世代”

林業界における女性団体は、林業女子会ができる前からいくつも存在している。全国各地に約1100グループある「林業研究グループ」の中の「女性林研グループ」は1970年代から各地に設立された(1997年に全国組織化)。会員は主に森林所有者や家族従事者として林業に携わる山村の女性で、技術的な勉強会や普及啓発、特用林産物の加工販売といった活動を展開してきた。

次に、1993年に設立された「豊かな森林づくりのためのレディスネットワーク・21」(以下、「LN21」)は都道府県の女性林業技術職員でつくる全国ネットワークである。設立当時まだ少数派であった女性職員どうしの交流をしながら、フォーラムの開催や仕事着の開発などに取り組んできた。この「LN21」と林業女子会を兼務している女性公務員も多い。

このように先輩が築いた礎があって、2010年に林業女子会が誕生した。ネットワーキングや情報発信など活動の方向性は似ているが、異業種や関心層も含めて参加できる敷居の低さと、SNSを通じたゆるやかなコミュニケーションが特徴だろう。

この3団体の流れを見て、やや強引に林業女子の3世代を定義してみるとすれば、第1世代は“家族”としての林業女子であり、山村生活の中に当たり前に林業があった時代に、生業や家庭、地域を支えてきた頼もしいお母ちゃんたちというイメージだ。第2世代は公務員も含めた“職業人”としての林業女子が誕生した世代であり、家族労働から雇用者に形を変えて男性社会に飛び込んでいった先駆者といえそうだ。

そして第3世代の私たちは“通訳者”になっていくだろうと感じている。女性がはたらく土壌ができつつある林業界に自然体で入っていき、多様な切り口から林業に関わっている。都会の感覚もバランスよく持ちながら山と街を結ぶことをミッションと感じている。しかしこの流れもここ50年ほどの話だから、100年後はどうなっているのだろうか、楽しみだ。

林業女子会の今後の展開

@岐阜@みえの合同交流会(林業女子会@岐阜Facebookより)

林業女子というフレーズを思いついたとき、それが多くの人にインパクトを与え林業への関心を呼び起こすことを期待していた。それと同時に、趣味やファッションではなく森林に対して生業や生活として関わるライフスタイルを提案したいと考えた。それにより林業の専門家や山村で暮らす女性が増え、エシカル消費が拡大することで林業に貢献できるのではないかという希望があった。

今もその思いは変わっていないが、林業女子会というグループの展開としては想定を超えてきた。まず、思った以上に多くの女性が林業に関心を持ち、何かアクションしたいと考えていることがわかった。こちらから積極的に呼びかけた訳ではなく、各地で次々と手が挙がった結果、25団体にまで広がっている。

そして10年も継続する息の長いムーブメントになったことにも驚いている。設立当時は学生だったメンバーも母親になり現在子育て中という人も多く、最近は木育や森のようちえん活動など、子どもと一緒の活動も増えてきた。ライフステージやライフスタイルの変化に合わせて柔軟に好きな活動ができるのが、林業女子会のいい所なのだろう。

女性は結婚相手の都合で転居や転職することも多いが、その場合には転居した先の林業女子会に“移籍”することができる。筆者も結婚生活の中で「@京都」から「@東京」へ移籍し、これから永住予定の高知県で「@高知」の一員となった。全国どこへいっても(海外でも)林業の話ができる仲間と出会えるネットワークがあることは、とても心強い。最近では、進路に悩む女子大生が林業女子会にコンタクトして来ることも増えた。林業女子会は女性にとっての林業への入り口であり、気軽に相談できる窓口として根付き始めている。

林業女子会@高知「現場部」の様子

活動を継続することで林業界の中でも存在感が増し、「林業界で女性が林業に携わることへの理解が深まった」という声もある。そこで次の展開として出てきたのが、情報発信とネットワーキングに加えたもう一つの活動軸である“林業界への提言”である。これまでは一般消費者に向けた発信を軸にしてきたたが、いよいよ女性目線で林業界に向けた提言活動をしていこうと考えている。

その一つが、「@高知」が行っている「現場部」の活動である。現場従事者の女性が集まり、女性目線で林業機械・器具の改善を目指す勉強会では、林業機械や資材メーカーと率直な意見をぶつけ合った。“女性が働きやすい現場は男性にとっても働きやすい”をモットーに労働環境の改善点についてディスカッションを重ねていくつもりだ。

今回は林業女子会というムーブメントについて紹介し、林業界における女性の役割の変化についても考えた。次回からは、林業におけるサステナビリティやブランドとは何か、地方で実践するグッドライフをテーマに、ミレニアル世代の女性であり地方在住の筆者の目線から語ってみたい。

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井上 有加
井上有加(いのうえ・ゆか)

1987年生まれ。京都大学農学部、同大学院農学研究科で森林科学を専攻。在学中に立ち上げた「林業女子会」が国内外に広がるムーブメントとなった。若手林業ビジネスサミット発起人。林業・木材産業専門のコンサルティング会社に5年間勤務し国内各地で民間企業や自治体のブランディング支援に携わる。現在は高知県安芸市で嫁ぎ先の工務店を夫とともに経営しながら、林業女子会@高知の広報担当も務める。田舎暮らしを実践しながら林業の魅力を幅広く発信したいと考えている。

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