|
前回(第2回)の記事では、世界のさまざまな国や地域で進められている「ビジネスと人権」に関するルール作りの状況や、その前提となる「ビジネスと人権に関する指導原則(国連指導原則)」について述べてきました。第3、4回では、国連指導原則が企業に求める人権尊重の具体的な取り組みについて、2回に分けて説明します。前編である今回は、取り組みの全体像のうち「人権方針」や、昨今よく耳にするようになった「人権デューデリジェンス」の基本的な考え方について解説します。(玉井仁和子、監修:矢守亜夕美)
国連指導原則は企業に何を求めているのか
前回でも説明したとおり、国連指導原則では、全ての企業に対して「自らの活動を通して人権に負の影響を引き起こしたり、助長したり、取引を通じて関係したりすることを避け、そのような影響が起こってしまった場合には対処する責任がある」と定めています。
この責任を果たすために企業が具体的に取り組むべきことは、「方針によるコミットメント」「人権デューデリジェンスのプロセスの実施」「是正措置・救済」の3つです。
|
「方針によるコミットメント」とは?
「方針によるコミットメント」とは、具体的には「人権方針」を作ることを指します。企業として、人権を大切にするという自分たちの姿勢や考え方を示し、さまざまな関係者へ周知することが求められています。
人権方針には、従業員はもちろんのこと、取引先や、製品・サービスに関係している全ての人々の人権に配慮することが明記されている必要があります。また、方針を作る過程では社内外の専門家からアドバイスをもらい、方針が完成したら経営陣など会社のトップレベルで承認されなければなりません。
承認された方針は、全ての従業員や関係者に知らせ、誰でも簡単に確認できる状態にしましょう。そして、作った方針を社内ルールや業務上の手続きなどにも反映し、日々の仕事に根付かせることもとても重要です。
経団連のアンケートによれば、日本の企業の約9割は何らかの形で人権方針を策定しています。既に多くの企業が、国際的な原則に基づいて「自分たちはどのように人権を尊重するのか」についての方針を示しているのです。
「人権デューデリジェンス」の進め方とポイント
人権デューデリジェンスとは、自社や取引先が関係する事業で、人権に負の影響を与えるリスクを見つけ、それを防ぐための対策を考え、実行していくプロセスのことを指します。
このプロセスは、継続的なものである点に注意が必要です。一般的に、企業のM&Aにおけるデューデリジェンスは「一度、徹底的に調査したら終わり」であることが多いですが、人権デューデリジェンスでは、事業に関わる全ての人の人権を侵害しないための「終わりのない改善のプロセス」を続けていかなければなりません。
人権デューデリジェンスのプロセスは、「負の影響の特定・分析・評価」、「防止・軽減措置の実施」、「モニタリングの実施」、「外部への情報公開」の4つに分けられます。
まず、「負の影響の特定・分析・評価」のステップでは、自社の事業やバリューチェーンにおける人権への負の影響(人権リスク)を調べ、特に深刻で、起きる可能性の高い「重要な人権リスク」を見つけます。例えば、重い荷物を運ぶ仕事が多い企業の場合、けがの可能性など「労働安全衛生」に関する人権リスクが重要になる可能性があります。一方、デスクワークのみを行う従業員が多い企業の場合、業務中のけがのリスクは高くないかもしれません。このような事業の特徴に加え、国際機関などが指摘する業界ごとの人権リスク、同業他社で起きている訴訟などの情報を参考に、その企業にとっての「重要な人権リスク」を洗い出してきます。
リスクが特定された後は、そのリスクへの「防止・軽減措置の実施」が求められます。想定される人権リスクが実際に起きないようにするための取り組みや、起きてしまった場合の対応方法をあらかじめ決めておくことが重要です。
具体的には、リスクを予防するための新たな社内制度を作ることや、従業員への教育・研修を行うことなどが想定されます。また、自社のバリューチェーン全体の人権リスクに対応するために、調達ガイドラインなどを利用して取引先に対応を求めることも効果があるでしょう。
対策を講じた後は、その対策がうまくいっているかを確認することも大切です。「モニタリングの実施」では、その後の人権リスクの発生状況や取り組みの効果を確認し、問題があれば改善していきます。そうした場合、従業員の労働時間や労災、社内のハラスメントの発生状況などを定期的に把握することで、追加の対策が必要かどうかの検討の材料にもなるでしょう。
ですが、以上の取り組みを積極的に実施していても、その情報を発信しなければ、社外からは状況が分かりません。「外部への情報公開」のプロセスでは、自社の人権リスクの評価方法や予防の取り組みついて、社内外の関係者に説明することが求められます。例えば、企業の統合報告書やウェブサイト、サステナビリティレポートなどに掲載することで、従業員や顧客、投資家などに情報を十分に提供できるようになるはずです。
これらの取り組みを進めていく上で大切なのは、繰り返しになりますが、人権デューデリジェンスを「終わりのない改善のプロセス」と考えることです。
一度で全ての事業やリスクに対して完璧に取り組むことはとても困難ですし、国連や各国のルールも、企業にそうしたことを求めているわけではありません。「人権侵害を防止する」という本来の目的に沿って、優先順位をつけながら少しずつ改善し、一連の取り組みを続けていくことが何よりも重要なのです。
「人権方針」や「人権デューデリジェンス」について、具体的なイメージを少しつかんでいただけたでしょうか。次回は、企業が果たすべき責任の3つ目である「是正措置・救済」について解説していきます。
|
玉井仁和子(たまい・にわこ)
株式会社オウルズコンサルティンググループ
シニアコンサルタント
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社を経て現職。一橋大学社会学部卒。
企業のサステナビリティ戦略立案や人権デューデリジェンス実施支援、人権方針策定等のプロジェクトに多く従事する他、調達ガバナンス強化、事業戦略立案プロジェクトにも従事。NPOに対する中期戦略・ファンドレイジング戦略の策定支援も担当。
労働・人権分野の国際規格「SA8000」基礎監査人コース修了。